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●寛永5年(1628)
●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永12年(1635)
●寛永14年(1637)
●寛永16年(1639)
2月10日−加賀藩が貸し米・貸し金の利子,走り百姓についての法度を定める。
3月13日−加賀藩が田畑の売買禁止,農民の逃散禁止などの農民法度58か条を定める。
4月14日−金沢城下で大火がおこり、町方で数千軒、および金沢城中の大半を焼失。街区を改正する。
11月25日−幕府が加賀藩に嫌疑をもっているとの風評のため,藩主前田利常・光高父子が出府。
しかし12月10日,将軍家光は謁見を許さず。
辰巳用水がつくられ、犀川の水を金沢城内にひく。
5月9日−金沢で大火,1万余戸が焼失する。街区を改正する。
11月4日−加賀藩が金沢の町民に御用金の出資を課す。
加賀藩が十村(とむら)整理を行い,改作法を始める。
この年、全国で,キリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
閏3月21日−加賀藩が領内の農民の逃散を禁止する。
●寛永15年(1638)
加賀藩が年貢米を初めて大坂に回送して売却する。
利常が長男光高に藩主の座を譲って小松城に隠居し、次男利次に富山藩10万石、三男利治に大聖寺藩7万石
を分け与え、支藩を成立させる。