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●慶長3年(1598)
●慶長4年(1599)
●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長9年(1604)
●慶長10年(1605)
●慶長11年(1606)
●慶長19年(1614)
加賀の大聖寺に山口宗永、小松・松任に丹羽長重が封じられる。
前田利家、大阪で没す(62歳)。利長が跡を継ぎ、加賀へ帰る。
前田家の客将として身を寄せていた高山右近の指揮で、金沢城が修築される。
5月20日−金沢城主・前田利長が生母高畠氏(芳春院)を人質として江戸へ送る。
9月15日−関ヶ原の戦い。利長は東軍につく。戦後、利長は加賀国・能登国・越中国の3国を与えられ、
119万石の大大名となる。
前田利長、民政に関する条文を定める。
前田利長、江戸に参勤する。
能登の鳳至(ふげし)・珠洲(すず)の両郡において十村肝煎(きもいり)が任命され、十村役制度がはじまる。
利長が隠居して、利家の四男利常が金沢藩の三代藩主となる。
利長が越中新川郡にあった土方雄久(かつひさ)の領地を交換し、能登で1万石を与える。
キリシタン大名の高山右近が金沢を離れ、国外に追放される。
前田利長が越中高岡城で没す。