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●延宝元年(1673)
●延宝7年(1679)
●天和元年(1681)
●天和2年(1682)
●天和3年(1683)
●貞享3年(1686)
大聖寺藩が大聖寺川の新川開削に着工する。
この頃、加賀藩が庭園をつくる(兼六園の初め)。
大聖寺藩領に飢饉がおこり、死者2,587人をかぞえる。
7月28日−加賀藩士木下順庵が幕府儒官として召し出され,将軍綱吉の侍講となる。
加賀藩で、糸・漆・菜種の諸商人に問屋を設定して、仲間をつくらせる。
加賀藩で、綱紀が御手役者(おてやくしゃ)の諸橋市十郎らに宝生(ほうしょう)流への改流を命じる。