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●承応3年(1654)
●明暦元年(1655)
●明暦2年(1656)
●明暦3年(1657)
8月16日−加賀藩が領内で分国一統銭の使用を命じる。
春−加賀藩が越中・能登・加賀3国に町夫(まちぶ)制を定める。高岡・富山1,500人、氷見・魚津1,000、
今石動(いまいするぎ)700人とする。
6月26日−九谷村の陶工,田村権左衛門が花瓶を焼く(九谷焼の初め)。
福井領加賀藩とのあいだに白山の所属をめぐる争論がおこる。
このころ九谷焼(古九谷)がおこる。
加賀藩領内いっせいに村御印を交付する。加賀・越中・能登3国に改作法が成就する。
前田利常が小松城で没す。
加賀藩が農政を中心とした藩政改革である改作仕法(かいさくしほう)を完了する。