短甲武装像飾り

邪馬台国は何処にあったのか?

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 この時の時代背景   使節一行の目的・規模  魏の使節の乗り物は   景初2年と3年の問題 魏の使者はどのように?    上陸地点変更  
距離の単位“里”   伊都の国の位置づけ  投馬の国の位置は? 卑弥呼の時代に近畿は?  何故、唐津ではない?   

魏の使者はどのように邪馬台国へ行ったのか?

魏の使者は、240年:正始元年の5-6月に、帯方郡を出発した。
魏の使者の到来を予め知らせるために、倭の使者から数名が、先に出航したと推定。

 この章では、少し、想像を加えて、一行の進む様子を具体的に、記してみる。
 (倭人伝の記述と地図と実際私の見た景色を加えて想像してみる。)

短甲武装像
・ 帯方郡・楽浪郡に軍隊を送り込んだ時以来使っている大型の帆船(数百人の人員・貨物の搭載可能な)複数隻に、使者、副使、随行武官、従者などと、倭の朝献使節の残留者を乗せ、帯方郡の港を出発。

 - 陸地に沿い、日中だけ航行し、一日千里進み、夜間は停泊、又は、上陸。
 - 上陸時にはその住民と接触し、その地域の情報を収集したものと推定。この情報収集結果が、魏志韓伝に反映されているのでは?

 - 途中、半島の海岸はやまが迫っており、島も多く、岩礁が多い。
   倭人や雇った韓国人の水先案内人は、的確に、その島や岩礁を避ける指示を出している。
   魏の船員にすぐ判る地図を持っているわけでなく、地形の記憶と注意深い海面の看視から、岩礁を見つけている。
   夜間は岩礁の看視ができないため、停泊せざる得ない。
 - 夜間は半島に上陸し、村の長から話を聞き、又、風待ちや天候回復待ちの時は、その近在を長達の案内を乞うて、調査。随伴の武官からは、注意がよく出たが、目的を達するまで、慎重に、平穏に、振舞った。
 - 7日の航海の結果、現在の釜山付近に到着。

・ いよいよ、釜山より、倭国へ渡海する。
 沿岸航行からでは無く、帆に風を受けて、一気に、海原をまっすぐに渡る。 暫く行くと島影が見え、対馬に到着。南に約千里余。
 上陸すると、先に出しておいた伝令が伝わっていたのか。対馬の長が迎えに出てきた。歓迎の宴に出て、邪馬台国の様子を直に聞く。通訳は朝献使節としてきた倭人。対馬の島内を、3日掛けて巡行。 住人は交易の民で倭国のことも、朝鮮、中国事情も良く理解していることに、驚かされる。

・ 次に壱岐の島へ航行・渡海。
  南へ千里。上陸し、歓迎を受け、島内を、1日掛けて、巡行し調査。この住人も、交易の民。

・ 卑弥呼のいる九州本島へ上陸するために博多湾まで航行。
  壱岐の港を出港し、やや対馬海流に流されながら、博多湾に行く。

  壱岐の島からは、陸が見え、険しい海岸線を見ながら沿岸を航海。
  出航して間もなく見えた陸地の辺りは、崖が海に迫った険しい陸地が続く。海岸線が入り組んでいる。
  倭の使者や、乗船させた道案内(航路案内)の指示を受けて、無事、直接博多湾に入る。
   (博多湾内の上陸地点の訂正に関するメモ)
  湾内に入ると、漁民が海に潜っているのが見える。
  聞くと、海の底にいる海老やアワビやサザエなどを獲っているとのこと。
  もの珍しい景色に、魏の使節一行も一瞬沸き立つ場面もあった。
  本島への上陸を目前にして、随行の武官達の動きが活発になった。

使節のルート  湾に入り、碇を下ろす。上陸用の舟艇を下ろす頃には、浜辺から、一艘の舟が2丁の艪を漕いで来る。 倭の役人が乗ってきた。小船の行き来が激しく行われる。
  随行武官や事務方の従者が先に上陸する。
  魏の使節の一行は、用意した上陸用舟艇で浜辺に上陸。

  倭の役人の案内で、用意された宿舎に入る。
  随行武官は、倭の警備役と安全を確認。
  宿舎では、陸揚げされた、女王への贈答品などの確認が行われた。 倭の役人も立会い、員数確認などを行う。詔書・金印・紫綬についても、確認したいとの役人の申し出があったが、拒絶した。
 迎えに来た役人・対応している役人が全て、伊都国の役人とのこと。 港での入港・出航、貨物の積み下ろし、積み込みなどの港湾に関わる業務は全て、伊都の役人が実施しているとのこと。難升米達に聞いた通りだった。
 女王国までの行程、安全性、次の目的地である伊都国について、説明を受けた。そこで、魏の使者のやり方を説明し、協力するように求めた。魏の王の旗を掲げ、ドラを鳴らし、美しく身なりを整えた隊列が行列することを了解させた。中々、判ろうとしなかったが、魏を訪問した使節の随行員に、魏の都での振る舞いの説明が有効だった。 初めて、倭人達に、魏の帝の使いが来たことを広く知らしめ、威圧する為にも、練り歩く必要があった。 そこで、一直線に伊都国へ行くのではなく、やや遠回りしながら、練り歩くコースを伊都国の役人に作らせた。 又、近在の国々にも知らせて、魏の使節の威容を見に来るようにすすめた。
   歓迎の宴が行われた。 末盧国・伊都国について事情説明を聞き、その役割を了解し、陸路の行き方など事前に打ち合わせた。その間、怠り無く警備に兵員を割いたが、特に問題は発生しなかった。

  贈答品の外、軍用装備、武官・兵の装備、食料などの荷揚げと確認などの作業で三日を費やした。使節の一行も、兵員も、船旅の疲れが去り、真新しい衣装にみを包み、ドラ、笛の音の響く中、威厳を正して、行進が始まった。 楽器をもった先触れ先頭に立ち、矛・弓・弩を帯び、きらびやかな軍装の兵が並び、大量荷物を担う隊列を組み、使節が中心に入る長い隊列となった。 急いで行けば一日のコースであったが、途中で2泊し、お祭り騒ぎの行進を進めた。この地域は、緑が濃く、気候も穏やかで、この魏の使節一行を見に来る人々も多かった。 人々は温和で、敵意は微塵も無く、帯方郡の周りの殺伐とした敵意に満ちた視線と全く違う景色だった。

帯方郡より邪馬台への地図
 港から、海を背にして、南東に向かって見ると、平野が広がり、右手の奥には、連なった山々が重なり、左手も山々が連なっている。正面の左手には小高い山があり、その間に隙間があり、平坦な土地が奥の方に続くようであった。
三日目、青葉の茂る豊な平野を通り、山の端のくねった街道を進み、やがて、前方の左右に徐々に山が迫って見えてくる。
左手の小高い山の頂からは、博多の港が一望の下に見えるそうだ。到来する船舶を監視しているとのこと。
左右の山が近くなった辺りで夕日が傾き、伊都の国の豪華な宿泊所に到着。
 何の異変も起きなかったが、緊張を強いられた3日の旅を振り返りながら、用意された食事とった。
 ・ この伊都の国の地形は、北側に一面の水田が広がり、海まで連なる。この辺りでは山が東西から迫る。
  南側には、やや狭い平地に水田が広がっている。その先には、奴國や邪馬台国が広がっているとのこと。
  伊都国の本国は山間の狭い地域。両側に険しい山が迫り、その山には兵を置く事の出来る狭間がある。
  軍略上の要地と見えた。
 ・ 翌日、伊都国の王と面談。
  役人の話では、邪馬台国の女王の処までは、半日の行程とのこと。
  既に、女王へは、到着の知らせの者を走らせたとのこと。
 ・ 倭の朝献使節の長の難升米と改めて話し、女王との面談について打ち合わせを行う。
   献上品贈呈の手はずを整え、品々の確認などを行った。
   又、伊都の国の特殊な役割や成り立ち及び奴國・不彌国について情報を収集。
 ・ 女王との面会の準備が整うまでの間、伊都国の中を案内してもらった。
 ・ 西南の小高い山は大野山と呼ばれ、その頂上まで、人がすれ違える巾の道が整備されていた。その山頂には見晴らし台が築かれ、そこからは、博多の港が一目瞭然で見下ろせる。勿論、魏の使者の2艘の大形帆船もしっかりと碇を下ろしている様子が見えた。ここで、常時、船の出入りを監視し、役所に知らせ、港を監督していた。この山の西側には、盆地状に平地が、山並みとの間に伸び、北の方まで広がっている。東に目を向けると、平地の向こうに山々が連なり、一番近い山には、何やら建物とおぼしきものが見えたんで聞くと、伊都国の東の監視場のひとつだとの答えがあった。 東西の山に見張り台を立て、この地峡地帯を守備する軍略上の要地であることを納得した。 北の平野の東側にある山々を越えると又、有力なクニがある。海岸沿いに連なっているとのこと。そのクニの中に、3人の美しい娘が護る3つの海の社があるとの話を案内の者が語った。

 ・  その間、近くにある不彌国と奴國へ、それぞれ一日ずつ費やして訪問することにした。
    表向きは、表敬訪問であるが、実際には、女王国を取り巻く環境と地形や軍備を調査が目的であった。  
 ・  奴國へ出発
    きらびやかな行列を作り、山間の地を東南へ進むと、その先は又広い平野が開けていた。正面に形の良い小さな山が見える。その近くが女王国とのこと。
    稲の緑が美しい水田が広がる平野を通り、運河となっている川を渡る。その先が、古くから中国に朝献してきた奴國の豊かさが感じられる。
    役人達が揃って出迎え、奴國の王と面談。夕方には、来た道を、伊都国に戻る。

 ・  不彌国へ出発
    翌日も、きらびやかな行列が同じ道を進み、川を渡らずに、上流に向けて進むと山間の中に田が広がり、昨日とは違う、山間の地に、不彌国の王の住居があった。
    国王と面談。再び、伊都国の宿舎に戻った。

 ・  さて、女王との面談の日が来た。詔書と金印などの贈呈のセレモニーを行うため、きらびやかな衣装を身にまとい、随行員や兵士を伴って出発した。
    山間の地を東南へ進むと、その先は、広い平野が開けていた。正面に形の良い小さな山が見える。その近くが女王国とのこと。
    緑の美しい水田が広がる平野を見ながら山すそを進み、運河となっている川を渡る。
    一行は、佇まいを治し、正装し、列を整え、美しく包装した魏王の下与品:女王への贈答品を携えて、魏から連れてきた武装兵士達も美しく飾り立て、ドラを鳴らして行進。
    行列は、女王国へそのまま招きいれられ、女王の御殿に入る。国々の王達も会場には列席していることが判った。
    女王が、使節一行を伊都国で、数日待たせていた理由も、この列席した顔ぶれで納得。
    女王が現れ、謁見し、魏王の口上を述べ、詔書を渡し、品々品を見せながら贈答。
    女王の言葉をもらい、その場を退出。

 博多湾から上陸し、やや曲がりくねった街道を東南・東南と進み、邪馬台国を訪れたものと推定する。
 

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