短甲武装像

邪馬台国は何処にあったのか?

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 この時の時代背景   使節一行の目的・規模  魏の使節の乗り物は   景初2年と3年の問題 魏の使者はどのように?   
距離の単位“里”   伊都の国の位置づけ  投馬の国の位置は? 卑弥呼の時代に近畿は?  何故、唐津ではない? 

魏の使節の乗り物・交通機関

使節の規模と安全を考えると、複数の、2-3隻の大型帆船を最良と思われますが、魏の国に、百人以上の人員を乗せ航行できる船舶を所有していたのだろうか? 所有していたとすると、それはどんな船だったのだろうか?

魏 遼東 帯方郡 倭 地図
 ・ 238年景初2年に、公孫氏討伐のため、朝鮮半島を占拠し、楽浪郡・帯方郡を設置するために、兵員を渡海し、上陸させているが、この時の人員の数と船舶の大きさはどの程度であっただろうか? 

 *** ここで使用した船が参考になるはず。

 ・ 紀元前109年(約300年前)に、同じ様に、漢が斉の国(山東半島の付け根)から渡海し、兵を五万人送り込み古朝鮮を滅亡させている。但し、この時は、古朝鮮の反撃にあい、戦闘では負けている。返り討ちにあってしまったのだが、策略を使い、最終的には漢が勝ち、古朝鮮は滅亡。困難な戦争で、五万の兵でも不十分だったと考えられる。

 ・ 魏書には、 237年 青・エン・キ・幽の四州に命じ、大いに海船を建造させた。とある。
 ・ 237年景初1年中 軍を密かに渡海させ、楽浪郡・帯方郡を回復。
  ( 景初中、明帝密遣帶方太守劉kin[偏日旁斤]、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡)
 
 景初初年の魏の戦いは、密かに渡海し、大軍を送りこみ、今度も、占領に成功し、帯方郡と楽浪郡を立ち上げた。 又、今回も策略を使ったのだろうが、いずれにしても、少なくとも、数万の兵を送り込んだと推定される。
 数万の兵と軍備と補給品を送り届けた船は、数百人を乗せ、貨物を積める大型の帆船で、あったにはず。しかも、多数作られたはずで、その大型帆船は、その3年後でも、十分に活用できるものであったと推定される。


云うまでもないないことですが、
この乗り物・交通機関に関しては、日本の同時代の船とその技術レベルとは、無関係です。

 王の正式な使者は、自国の船を使う物なので、魏の船の技術レベルを調べることにします。


ジャンクの構造
この時期の帆船の能力に関して

 ・ 中国のジャンクと呼ばれる優秀な帆船が古くからあったが、一般的にその能力が過小評価されてきた。

 ・ **** ジャンクについて、その能力や背景を知ろうと、あの徹底的な資料収集で有名な司馬遼太郎も探した(探させた)が、ジャンク関連の図面や書き物が残されておらず、たった2冊の本しか見つからなかったと、その著作中に嘆いていた。
   
  その内の一冊が、ジョセフ・ニーダム著書、
             「中国の科学と文明」 第11巻航海技術。
  この書から図を借用・引用します。)

 ・ 大きな舵と独特な帆で、風上への切り上がり能力を持っていた。
 ・ 帆の装備される横の棒状のもの(桟)は、現代ではバテンと呼ばれ、現代のレースに使われるヨットにも積極的に採用され、風の流れを整える優れもの。
 ・ やや偏った中心を持つ帆の形状と桟とロープによって、縮帆はジャバラ状に折りたたみ可能で、少ない人数で、帆を取り扱える特長をもつ。
 ・ 船体構造は、ボートのように船全体が一つ風呂桶のようになっているのでは無く、小さく仕切った部屋を幾つも並べたような、云うなれば四角い枡を並べたような構造をもち、頑丈で浸水しにくく、一箇所が浸水しても、外に波及せず、沈没しにくい特色を持つ。
 ・ 基本構造は船底が平坦で、浅瀬に乗り上げても転覆せず、満潮時に離床できるもので、浅い湾へも進入が可能。


ジャンクと北前船-上陸用小船
 南船北馬と云われるが、魏に属していた斉の国(山東半島の付け根)は、秦の時代には、最強の海軍と造船・海運を持っていた地域。

 当時の船の記録では、呉の船が4本マストで700-800人の人員を乗せ、ベトナムまで外洋を航行していたとの事。

 呉と敵対し、この後、呉を滅ぼした魏の海軍:帆船の能力は、互角、少なくとも、対抗できる能力を持っていたものと推定する。
 魏の使者が使うことのできた帆船は、大型の帆船で、数百人の人員を運ぶことができたものと推定します。



 現在のガントクレーンの並んだ港湾設備や、桟橋に横付けすることの出来る設備が無い時に、
 大型帆船の貨物の搭載や、人員の乗船・下船はどうやっていたのだろうか?
 アメリカ大陸を発見したコロンブスは、桟橋を期待して、なにも装備せず出航したのだろうか?

 大型の帆船では、上陸用の舟艇を帯同していることは、洋の東西を問わない常識。
 下の図の北前船の絵をご覧下さい。小船がしっかりと括られています。

 大型の帆船にとって、停泊しやすく、上陸しやすい浜のある処は、良い上陸地点となります。
 浜辺と大型帆船の間を小船・ボートが繋ぎます。
 唐津も良い条件ですが、博多も良い条件が揃っています。






 ・ 帯方郡太守は、渡海挟み撃ち作戦に使用した船軍を活用し、指揮した役割・地位であったことを考えると、使節の長として選んだ梯儁には、その用途に、最適な船舶を与えたと考える。  最適な船:大型帆船・ジャンク。

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