“生肝体移植を受けて”
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2007年2月に62才で肝臓移植の手術を受け、その後6年を経て、2013年5月:現在は大変元気で暮らしております。
執刀いただいた医師団ど万全の体制を作って対処してくれた慈恵医大病院、家族とそれを支えてくれた皆様に感謝しています。
一つの体験記として、何らかの参考になればと思い記します。読んでいただければ幸いです。
比較的若い時(30才代)に肝炎を発病し、進行性で、不治の病で、限られた寿命の中で、子供達をかかえた家族の生活を何とか保ちつづけ、自分のやりたいことをやってきました。
目前ではなく、数年先の「死」をいつも念頭においての暮らしは、中々スリリングでした。
家族の体から肝臓を分けてもらう移植は、全く、想定外でした。
どう云う訳か、移植を受け、「生きる選択」をした話を、順次、掲載いたします。
最初に、ロングコート・チワワの「モモ太郎」君の話をしましょう。
彼が居なかったら、私が生き延びる道を選んで、肝臓移植するまで、とても、たどりつけなかったものですから。
7月の終る頃、車通勤の息子が帰り道、両側田んぼの真っ暗な舗装道路を走っていると、小さな黒い動物が動くのに気が付いたそうです。
動物好きの彼が、車を止め、探して見ると、黒っぽい仔犬で、手の上に載るほどのサイズ。おびえて、震え、もうそれ以上に逃げずじっとしている。
「さて、どうしたものか?」、そのまま、舗装道路に置いて帰れば、後から来る車に轢かれてしまう。
田んぼ側の畔道に置けば、水に落ちて戻れない。
・・・・・・・「そのままにしておけない」と、助手席に乗せてしまった。
彼は、早速、交番と地域の動物愛護協会に届けに行ったが、書類を書き、相談したが、やはり、仔犬はご自分で連れて帰ってくれとのこと。
そこで、我が家に携帯で、母親に電話 「仔犬を拾ってしまった。うちでは、飼えないよね。」 「どんな仔? 貰い手を捜してみよう。」と我が家の奥さんが言う。
わが家では、奥さんの「必死の電話作戦」が始まった。
我が家には、数年前まで、19年才まで長生きした犬:ロッキー君が居た。
お散歩を毎日していたお陰で、犬好きの人達に、心当りがあってので、かた端から電話を掛けまくったそうだ。
しかし、急に、犬を飼ってくれませんかと尋ねても、良い返事がもらえない。
次々と断られ、終には、悲しくなって、泣きながら電話を掛けていた。
このさいたま市(旧大宮)の住宅街は、愛犬家が多いので、「貰っていただける可能性が高いと信じていたのに!」
「決めた。」
「うちで飼う。」
「もう、あげない。」
「うちの仔にする。」
うちの奥さんは決心したそうです。
そんな頃に、私は仕事から戻り、我が家の「事件」を知ることになった。
やっと、車が帰って来て、ダンボールの中に入った小さな黒い生き物が見えました。
小さい! 動かない!
「本当に生きている?」 「生きているヨ!」
そんな会話の後、食べ物を与えても、水やミルクを与えても一切口にしない。
力なくダンボール箱の片隅に寄って、まるまって、じっとしている。
翌朝、早くに目が覚めた私は、ダンボールの中を見た。
生きていた。
牛乳を探して、指に付け、舐めさせてみるが、舐めてくれない。
息をしているだけ。
反応は鈍い。
「生きられるかな?」
仕事に出かけ、遅くに帰ってくると、奥さんと娘が、
「仔犬じゃないんですって、5歳以上だって、ロングコート・チワワという種類。」
「今日、獣医さんに行って、診察してもらい、予防注射を打って、清潔にして、これで、安心して飼える。」とのこと。
手際が良い。
見ると朝よりずっと元気。「モモちゃん、お父さん帰ってきたよ。」 そう、名前も付いていた。
正式には「モモ太郎」と命名された由。
獣医さんと、ご近所で小型犬を飼っている方のお世話で、食べられるドッグフードをやっと探し、水も飲めるようになり、ひと安心という所にこぎつけた。
しかし、片隅に丸まっているだけ。
鳴きもせず、歩こうともしない。
とても心配なちび犬です。
つづく