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邪馬台国は何処にあったのか?

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伊都の国の位置づけ


魏志倭人伝の中で、伊都の国について、記述が多く、その特異性が、従来から注目されて来た。この特異性を持つ国が、今回のルートの中で正しく比定されているのかを検証することにする。

戸数表

 * 伊都国の特異性を列記する

  ・ 邪馬台国からは、100里+100里の近い処
  ・ 戸数は1000と少ない
  ・ 代々国王がいる
  ・ 帯方郡から行き来する使者は常にとどまる所
  ・ 一大率が置かれ、北の諸国を検察し、恐れられている
  ・ 女王国より中国の王都や帯方郡又は諸国へ行くとき、又、帯方郡の使者が倭に来るときは、伊都の国の港で、書類・贈物の点検・確認を行う。



伊都国 地溝 北の国 地図 ・ 伊都の国は、少人数で上記の上記のことが行なうには、左記の図のような山間の要害の地にあることが必要。

  ・ このことをじっくり考えてみるとは、七世紀の大宰府の機能と酷似していることが判る。
     ・ 外交と防衛の役割を持つ。
     ・ 近接の大野山(大野城)から博多の港まで一望のもとに見渡せ、監視可能
     ・ 貿易・入出国管理を行う。
     ・ 港近くに、大宰府の外交施設として鴻臚館を持ち、外交を司る。
     ・ 防衛の拠点。

  ・ 倭人伝の「一大率が置かれ、北の諸国を検察し、北の諸国から恐れられている」
    このことを考察すると、邪馬台国と北の諸国とは、古くから対立関係にあったものと想像される。 
    防衛する所は南の邪馬台国で、仮想敵国は北の諸国と外国だったと想定する。
  ・ その場合、地溝地帯にある伊都の国は、兵を起しせめて来るであろう敵を近接の大野山(大野城)から監視が出来、攻められた場合も少ない人数で確実に護ることが出来る、山間の要害の地。

  ・ 邪馬台国の外交・防衛を考え、大宰府のあった土地に、伊都国があったとすると、その立地は、最適な地であり、倭人伝に挙げられた特徴に合致したものと云える。

 ・ なお、末盧の国にある港も伊都国の直轄支配下にあったと推定する。
   港のある末盧の国の記述では、それ以外の国々では必ず記載された官吏の名前が無い。
   これは、到着・上陸時点から外交担当の伊都の国の官吏が接待・対応していたものと推定される。従って、末盧国の役人は、使節の前に出ることも無く、倭人伝に記されていない。



  * 倭人伝の旅程の記述の通りの大宰府近辺に伊都国があったとすると、
    外に記述されている様々な役割・特徴が矛盾無く理解できる。


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