岩木山山頂からの360°パノラマ:岩木山は本州最北端の青森県にある独立峰なので、津軽平野から日本海までが広く見通せる。
月刊山岳雑誌「岳人」に、連載された「百霊峰巡礼」を巡ります。 北は北海道の利尻山から南は沖縄の於茂登岳までの百座です。 巡礼中に出会った自然現象、高山植物や動物たちを紹介しながら 古の人々が畏敬の念を抱いた霊峰を訪ねる旅を紹介します。
旅詳細
参考情報
百霊峰巡礼について |
「百霊峰巡礼」は、栃木県宇都宮市の出身である立松和平氏が執筆し、2004年1月号より月刊山岳雑誌「岳人」に、毎号一座ずつ連載されていた。
私たち夫婦は、多少時間的余裕もできた2006年11月に、東京都の高尾山への巡礼を開始し、既に80座を超えた。巡礼を終えた霊峰を少しずつ報告します。
ただ残念なことに立松和平氏は、73座登頂後、2010年2月に他界された。25座毎に東京新聞から出版されていた「百霊峰巡礼」は、第三集で終了となった。残る27座については、立松氏を偲びながら、昔から信仰の対象とされた山岳の自然と歴史を独自に辿ってみたい。
尚、立松氏未踏の27座は、上記第三集に記載されている百霊峰候補山岳とした。
恐山は、下北半島の中央部に位置する外輪山の総称であり、霊場である。恐山の最高峰は釜臥山で、釜臥山が、「百霊峰巡礼」に記載されている恐山の標高と一致するので、霊場恐山円通寺を訪れるとともに、釜臥山(かまふせやま)に巡礼した。
尚、立松氏は恐山に登頂していない。
釜臥山山頂が真近に良く見え、高度差は100mも無いと思われる場所に2階建の展望台があり、広い駐車場があった。
11:20 | 駐車場発。「釜臥山遊歩道」と案内板が建っている。山頂に延びる整備された階段を登って行く。 |
11:35 | 釜臥山山頂。山頂には航空自衛隊のレーダーサイトが聳えている。その脇に追いやられたように、恐山奥の院が設置されており、「釜臥山嶽大明神 本地法身仏釈迦如来」と記されていた。我々は、この大明神にお参りした。寒空の中で、周りを見渡すと、むつ市街と陸奥湾がなだらかな美しい曲線を見せている。 |
11:50 | 駐車場着。展望台で休憩後出発。 |
岩木山山頂からのパノラマ:独立峰なので、津軽平野から日本海までが広く見通せる。
『 岩木山は富士山と同様に、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山神社の奥宮が置かれた。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり、「奥の日光」とも呼ばれた。』byウィキペディア。立松氏は巡礼していない山である。
旅行計画で時間短縮の必要から、津軽岩木スカイラインを8合目まで車であがった。標高は1,238mとかなり稼いだ。
9:20 | 8合目登山口。 |
10:17 | 鳳鳴ヒュッテ。鳳鳴ヒュッテには、冬季に遭難した方々の鎮魂を願って2枚の銘板が掲示されていた。 |
10:46 | 岩木山山頂。10分ほど滞在。岩木山山頂は、大きな岩がごろごろしていて歩きづらい。津軽富士と呼ばれように独立峰なので、山頂からの展望は素晴らしく、津軽平野から日本海までが広く見通せる。岩木山神社奥宮に参拝し、鐘の下がるモニュメント前で記念撮影。後から登ってきた大学生が撮影してくれた。 |
11:18 | 鳳鳴ヒュッテ。 |
11:55 | 8合目登山口。 |
『 森吉山は秋田県を代表する独立峰だ。山腹にはブナ林、山頂付近にはアオモリトドマツの原生林が広がる。雪が解けると、高山植物たちは花を咲かせて美を競い合う。マタギの里としても知られ、山麓には今でも伝統が息づく。』by「百霊峰巡礼第三集」
8:35 | 阿仁ゴンドラさんろく駅。眼下に紅葉を眺めている間に山頂駅到着。 |
9:05 | 阿仁ゴンドラ山頂駅。すぐに歩き出す。平日のせいか、人影は無い。 |
9:39 | 森吉神社奥宮。稜線に出てから頂上とは逆の北に進み、森吉神社奥宮に参拝する。りっぱな鳥居のあるお社があり、隣に避難小屋もある。玄関上に「森吉山県立自然公園 森吉神社避難小屋 秋田県」との看板がある。 |
10:09 | 阿仁避難小屋。この小屋も50人収容の2階立のしっかりした建物だ。両避難小屋は、冬季には命に係わる役目を果たすだろう。笹原が続く。 |
10:45 | 森吉山山頂。雲海から突き出した岩手山と早池峰山が、南東方向に並ぶ位置に聳えて見えている。山頂方位石で確認すると岩手山まで45km、早池峰山までは90kmの距離円の位置だ。他の1,600m代以下の山は、雲の下に隠れて見えないようだ。山頂で病み上がりに登って来たと言う、30代と思われる地元の男性と話をした。やっと好きな山に登れるまでに体力が回復したと…。 |
12:04 | 阿仁避難小屋。 |
12:31 | 阿仁ゴンドラ山頂駅。 |
森吉山山頂パノラマ:山頂付近の木々の葉はすっかり落ちているが、代わりに霧氷が花を咲かせていた。
冠岩:森吉神社参拝の後神社裏に回ると、微妙なバランスで立つ巨岩が聳えていた。
10:25 | 阿仁ゴンドラ山頂駅発。今週末で終了するゴンドラの平日は貸切状態だった。人気の無い山道を歩き始める。 |
11:00 | 森吉神社は入口を釘付けにする作業中だった。明日から天候が崩れるので早めの閉鎖作業だとのこと。外観が再塗装された避難小屋の内部を覗いた。新しい床板などが張られ整備されていた。裏手にまわり森吉神社のご神体である冠岩(かんむりいわ)とご対面。 |
11:24 | 阿仁避難小屋。小屋の標識には「森吉山避難小屋」と表示されている。 |
11:53 | 稚児平。遠くから見ると白く輝いていた霧氷が迫ってきた。山頂を取り巻く低木の樹林帯が全体に霧氷に覆われて輝いている。太陽が当たればきらきらともっと輝くのだろうか。 |
12:04 | 森吉山山頂着。1,500mにわずかに届かないことから日本百名山から漏れたとされている山頂は、標高1,454mだ。風が冷たいので、山頂より若干少し下がった藪に囲まれた場所でラーメンをつくり昼食。温まった。 |
12:48 | 森吉山山頂発。5組ほどと合った。 |
13:25 | 森吉神社・ゴンドラ駅分岐。 |
13:44 | ゴンドラ山頂駅。人影少なし。 |
14:10 | ゴンドラ山麓駅。 |
太平山山頂:開山祭後御神体がご遷座する奥宮の御社殿と、30名が宿泊可能な参籠所が整備されている。
山頂の太平山三吉神社総本宮案内によると奥宮について、『奥宮には7月17日開山祭にて御神体をご遷座し、9月17日閉山祭での間、神職が籠もり祈祷祭典を行っております。御社殿は平成22年9月に改築されました。…参籠所は、平成21年9月再建となりました(30名宿泊可能)。山頂には6月初旬から10月中旬まで神社関係者が常駐しております。…』と記載されていた。どうりで人影が少ないわけだ。神社関係者も参籠者も昨日で引き揚げたようだ。『673年に役行者小角が創建し、801年に征夷大将軍坂上田村麿が堂宇を建立、奉納。御祭神は少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)、大己貴大神(おおなむちのおおかみ)そして三吉大神(みよしのおおかみ)だ。』
尚、立松氏は巡礼していない。
9:15 | 旭又登山口駐車場発。 |
11:59 | 銀の鳥居を通過。眼前の小高い山の頂には奥宮と参籠所が見える。鳥居の額束に六根清浄の文字。 |
12:15 | 山頂着。帰路も稜線の鐘、御手洗神社、御滝神社を経由して駐車場へ。 |
13:57 | 駐車場着。 |
岩手山山頂:薬師岳を最高点に外輪山が火口を取り囲み、外輪山に沿ってトレール(お鉢巡り)が延びている。
『「南部片富士」の名で知られる岩手山。繰り返された噴火によって、火山地形が形成されてきた。古くから篤い信仰が根付き、山頂の外輪山を囲むように石仏が並ぶ。山麓には岩手山神社の里宮が、祀られる。馬返しの登山口を起点に、たどり着いた奥宮。ピンクのコマクサが出迎えてくれた。』by「百霊峰巡礼第二集」。
当初、5月連休に雫石プリンスホテルを予約してあった。ところが、その前の3月11日に東日本大震災が発生。被災者が沢山宿泊しているが良いかとの連絡あった。被災者が沢山滞在される中での登山での宿泊に躊躇し、結局、秋の巡礼に変更した。
また、立松氏巡礼と同じコースを辿った。
6:00 | 馬返し登山口を出発。 |
7:00 | 1合目。休憩者多数。「左一本本道、右盛岡道」の石柱が建つ。 |
9:45 | 8合目避難小屋。3階立の岩手山8合目避難小屋についた。「がんばろう!東北」と書かれたのぼりが3本立っている。休憩者も多い。さらに不動平を通過してしばらく登るとお鉢に到達。右回りで山頂へ。 |
11:10 | 岩手山(薬師岳)山頂着。景色を堪能しながらゆっくり休憩。外輪山の稜線を歩く登山者が良く見える。 |
12:08 | 岩手山神社奥宮。お鉢巡りで、一筋の白煙が稜線の傾斜に沿って流れていく不思議な自然現象に遭遇。 |
12:53 | 8合目避難小屋。 |
15:14 | 馬返し登山口着。 |
早池峰山中腹から上部展望:中腹から上部が蛇紋岩で形成される地層で、独特の景観を保っている。
『早池峰山は古くは東子嶽(あずまねだけ)と呼ばれていた。平安時代初期の大同二(807)年、大迫(おおさま)郷の田中成房と遠野郷の始角藤蔵がそれぞれ別に額に金星のある白鹿を追って東子嶽に分け入ったところ、岩の間から光明が差し、権現の姿を拝す奇瑞(きずい)に遇した。両名は協力しあって山頂に東子嶽明神を祀った。』by「百霊峰巡礼第三集」。
早池峰山は、中腹から上部が蛇紋岩で形成される地層のため超塩基性(酸性)で栄養分に乏しいため、特有の植物で構成されていることで、知られている。
前日は、早池峰山の南隣にある薬師岳に登り、小田越山荘で宿泊した。以下は登山メンバーが作成した山行記録の抜粋である。
5:25 | 小田越山荘発。登山センターのボランティア談、[太平洋からの風は晴れ。北西の風は雨。]。ミヤマオダマキ、ヤマオダマキの紫が上品で綺麗だ。ハヤチネウスユキソウの白も良いけれど、林の中で怪しく咲いていたギンリョウソウの白もも良い。 |
6:25 | 岩稜での休憩。下方の森林限界には団体さんが登ってきた。薬師の稜線がはっきりして綺麗だ。ミヤマアズマギク、イワカガミも散在する。 |
7:58 | 2本並列の鎖場と1本だけの鎖場を越えて、稜線にでた。お田植場だ。山頂と避難小屋が見えてきた。 |
8:25 | 早池峰山頂。10人程度いた。若宮と奥宮に参拝。イワベンケイ、ウスユキソウ、ナンブトラノオ、チングルマがわれ先にと咲いていた。岩手山が見えた。秋田駒、鳥海山?も遥かに遠望できた。 |
9:25 | 大休止も終えて出発。人数が多くなってきた。コメガモリ沢を経て下山となったかなりの急勾配の岩稜地帯だ。濡れて来たら滑る危険がある。そして並列の鎖場を降りた。打石(天狗がガスの中頭をぶつけた岩)通過。 |
10:25 | 沢上部で最後の景色を楽しんだ。登る人がかなり多く子供連れもいた。 |
11:30 | 登山路の甘露水で喉を潤した。コメガモリ沢の岩は歩きにくい。 |
11:37 | バス時間が気になるので出発。 |
12:05 | 河原坊着。ここまで沢の渡渉は4回だ。雨の時は鉄砲水に要注意。 |
文殊岳から鳥海山山頂展望:鳥海山新山・七高山・業者岳・伏拝岳が峰を連ね大きく迫ってくる。
『 出羽国一宮鳥海山大物忌(おおものいみ)神社は、鳥海山山頂に鎮座し、口の宮と呼ばれる里宮が麓の山形県の蕨岡(わらびおか)と吹浦(ふくら)にある。』さらに『「羽黒山年代記」によると貞観(じょうがん)2(860)年に飽海嶽(あくみだけ)に住んでいる二匹の鬼を慈覚大師(じかくだいし、円仁とも呼ばれる。下野国の生まれ。)が封じられた。山は龍の形をしているので龍頭山として権現堂を建て、噴火口に水がたまっていたので鳥海山と山号をつけた。』by「百霊峰巡礼第三集」。
11:13 | 象潟登山口出発。覆っていた霧は高度が上がるにつれて消えていく。 |
12:27 | 賽の河原下部。大きな雪渓を通過。 |
14:01 | 御田ヶ原通過。まだらに雪渓を残した鳥海山の全景が前面に広がる。 |
15:40 | 文殊岳(もんじゅだけ)付近から振り返ると、鳥海湖とその先の稜線までは綺麗に見えているがその先は深く真っ白な雲海で埋まっている。前方には鳥海山新山(しんざん)・七高山(しちこうさん)・業者岳・伏拝岳(ふしおがみだけ)が峰を連ね大きく迫ってくる。業者岳の先で左に下り小さな涸谷を超えて本日の宿泊地である御室小屋(頂上参籠所)に向かう。 期待通り沢山の群生している高山植物に出会えた。ハクサンイチゲ、チングルマ、イワカガミ、ベニバナイチゴ、コシジオウレン、タカネスミレ、ヒナザクラ、ツマトリソウ、ウラジロヨウラク、ニッコウキスゲ、イワヒゲ、イワブクロ、チョウカイフスマ、ヨツバシオガマ、アオノツガザクラ、イワベンケイ(雄花)、ハクサンチドリ、オンタデ、ハクサンシャクナゲ、コバイケイソウ、ヒメザクラ、イワイチョウなどなど。 |
16:50 | 大物忌神社(おおものみやじんじゃ)着・泊。参籠所で、食事は質素だ。 |
 4時前に御来光を見るため鳥海山の最高地点である新山を目指して御室小屋を出発。道筋はないが検討をつけて、岩のような石を抱きかかえるように登る。穂高の岩場のような山頂に到着。4:23御来光。雲の合間に丸いオレンジが見え始めた。やがてしっかりと昇りきると、日本海に鳥海山の端正な形の影が現れた。影鳥海だ。海の上に発生した雲海に三角形の影が映し出された。
 5時頃まで山頂での景色を堪能し小屋に戻った。山頂付近は、岩の合間にイワヒゲやアオノツガザクラそしてイワウメなどが多い。また小屋付近の若干の砂地部にはいままでみたこともないほど大株のイワベンケイ(雄花)が幾株か咲き誇っていた。
6:30 | 御室小屋発。尚、小屋は新築小屋建築の最中だった。本日はほとんどが下りなので、景色とお花畑を楽しみながら山行できそうだ。雪渓を横切って七高山に向かう。 |
6:50 | 七高山山頂。山頂に『安全祈願登山』と書かれた石柱が立っている。 |
8:40 | 七五三掛(しめかけ)。ニッコウキスゲ、ハクサンシャクナゲの群生。 |
9:35 | 御田ヶ原。コバイケイソウ、ヒメザクラ、イワイチョウなどが多い。キスゲ背景に鳥海山と最後の撮影。 |
10:20 | 鳥海湖。湖面には逆さ鳥海が映る。 |
12:30 | 象潟登山口着。 |
月山神社(山頂)からの展望:頂上小屋方面を振り返ると、頂上台地越しに牛首から姥ヶ岳の稜線が延びる。
1,400年前に開かれた出羽三山の羽黒山は現在、月山は過去、湯殿山は未来をあらわし、この世を生きて死に未来に甦ると、されている。1,979.5mが月山の山頂三角点標高だが、月山神社の標高は1,984mである。月山神社は三角点測量の遥か昔より、山頂に鎮座していたのだ。ちなみに、月山神社の祭主は、月読命(つきよみのみこと)だ。
月山神社には、2007年10月下旬秋の紅葉の季節に、姥沢から牛首を経由して巡礼した。月山頂上小屋は9月下旬まで開設なので、巡礼時は人も少なく静かだった。
10:18 | リフトかみ発。姥ヶ岳を超える。 |
11:21 | 牛首。なだらかな稜線が延びる。 |
12:33 | 月山神社(山頂)。頂上小屋方面を振り返ると、頂上台地越しに牛首から姥ヶ岳の稜線がパノラマのようだ。 |
15:20 | リフトかみ着。 |
『(村山)葉山は、山岳信仰の山として東北地方一円の尊敬を受けていた。東北地方には、葉山信仰と呼ばれる信仰がある。葉山は「羽山」「端山」とも書かれ、里から離れた「奥山」に対し、里に近い山という意味をもつ。葉山には農業の神が住むとされ、季節の折々に山に登り、五穀豊穣を祈った。
村山葉山は特に、役小角が山を開いて以降は修験道の山となり、山麓に寺院や宿坊が作られ、江戸時代初期までは羽黒山・月山とともに出羽三山の一山に数えられていた。のちに出羽三山の一山となる湯殿山を奥山に見立て、その手前にある葉山という形である。葉山の神は、「葉山薬師権現」と呼ばれていた。』by「ウィキペディア」。尚、立松氏は巡礼していない。
9:45 | 林道入口。林道は 通行止めだったが、行ってみようと歩く。 |
10:25 | 林道崩壊部。軽トラック停車中。かすかなトレースがあったので進む。 |
10:56 | 葉山登山口(十部一峠)。 |
12:27 | 葉山神社。新しい社が建っている。 |
13:00 | 葉山山頂。10畳ほどの広さだ。 |
13:20 | 葉山神社。子供連れの4名がいた。 |
13:23 | トンボ沼。どうざん坂、しゃくなげ平、まっと沼通過。 |
14:05 | 登山口着。トラック主と会話。 |
15:10 | 林道入口。 |
村山葉山山頂(右手奥)の隣のピークに葉山神社(奥の院)が静かに佇んでいる。社の脇に鐘が置かれている。
2014年に訪れた時には、十部一峠から登山口までの林道は閉鎖され、林道もかなり荒れていた。今回は林道の閉鎖はなく、崩壊部は完全に修復され、又林道自体も良く整備されていた。林道歩き往復2時間半を覚悟していたが、短い山行となった。
7:58 | 葉山登山口(十部一峠)。 |
8:22 | ブナ林帯。ブナ林が広がっている。 |
8:51 | まつと沼。道脇に沼が佇んでいる。この付近から傾斜は緩やかになった。 |
8:57 | しゃくなげ平。石楠花が咲き乱れる場所か。春にも来てみたいものだ。 |
8:57 | トンボ沼。沼を取り囲む木道を進む。神社まで登り2時間25分の肘折(大蔵村)コースと十部一峠(寒河江市)コースとの分岐になっている。 |
9:18 | 葉山神社。鐘を鳴らしてお参りする。裏に単独男性の先客がいた。風が音を立て霧が湧き上がって、周りの木々には霧氷ができていた。 |
9:26 | 神社まで登り3時間30分の畑(寒河江市)・岩野(村山市)コースと神社まで登り3時間5分の山の内(村山市)コース分岐。新しい標識だ。 |
9:47 | 葉山山頂。貸し切り状態。お湯を沸かしコーヒーなどを飲んで暖を取る。 |
10:52 | ブナ林帯。 |
11:18 | 登山口着。 |
11:46 | 林道入口。 |
『蔵王山は古代不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた。いつの頃からか山上の峰に修験者たちによって蔵王権現が祀られ、お山、嶽山と呼ばれ、神の住むところにいくお山参りが中世から近代にはさかんにおこなわれた蔵王山と呼ばれるようになった。』by「百霊峰巡礼第一集」。
立松氏は、蔵王エコーラインの終点から登り始め、刈田嶺神社奥の院、馬の背を経由して、熊野岳を巡礼している。私達は、冬のスキーで利用する蔵王温泉のヴォルトベルクに宿泊した関係で、蔵王ロープウエイ山麓線から山頂線に乗り継いで、ざおうさんちょう駅に向かった。紅葉が見頃だ。
9:05 | ざおうさんちょう駅。冬には雪に埋もれて頭しか出ていない地蔵尊は、全身を見せている。安永4年8月(1775年)に建てられたお地蔵尊にお参りした後、熊野岳に向かった。 |
9:19 | 地蔵山。熊野岳に近づくにつれて風が強くなって濃い霧雨となった。 |
10:24 | 熊野岳。蔵王のシンボル、エメラルド色の水を湛えた御釜を見たかったがかなわず。避難小屋で少し休んで、同じ道を引き返した。 |
11:20 | ざんげ坂。ザンゲ坂の先で、男女3人グループの若者に道を尋ねられた。香港からの旅行者だという。心配だったが、霧はなく見通しもよい場所なので辿りつけると思った。 |
11:48 | 紅葉峠。 |
12:11 | 鳥兜山。中央ロープウエイで下山。 |
飯豊山(山頂)からの展望:東南(左手)下方に大ー尾根、奥に横川ダム湖、中央左手に飯豊神社と続く稜線、稜線の奥が三国岳、中央右手に御西岳とその奥に大日岳、その左に櫛ヶ峰、右手に烏帽子岳、重なるように北股岳。
大日杉小屋:小屋(1Fにトイレと水場)の前がキャンプ場、右手に自家発電所。小さな橋を渡ると登山届小屋。
『 磐梯朝日国立公園内に位置し、可憐に咲く高山植物が有名である。飯豊連峰の最高峰は、標高2,128 mの大日岳である。
652年(白雉3年)、知同和尚と役小角が開山したとされる古い山岳信仰の場である。飯豊山大権現を祀る修験の場として栄え、江戸時代初期までには修験道の修験者が多く訪れた。元禄期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。また、明治初年の神仏分離によって飯豊山神社となり、地域住民から崇敬された。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
大日杉小屋−地蔵岳−御坪−切合小屋
5:10 | 大日杉小屋発。大日杉コースは飯豊山神社の米沢藩側の参道で、裏参道とされている。出発後間もなく、単独行男性に続いて夫婦らしき二人組が追い越していく。 |
5:43 | ざんげ坂の鎖場。長いルンゼのような緩い岩面を鎖が伸びている。上部の終点は確認できない。登り始めからの鎖場は疲れる。 |
6:25 | 長之助清水。「長之助清水」の目立つ標識の脇を不安定な斜面に沿って20mほど下ると岩肌の斜面が現れ、上部に細い塩ビ製のパイプが取り付けてある。水が勢いよく流れ出て、コップはすぐにいっぱいになった。 |
6:55 | 御田(おた)。小さな湿原の前に大きな木がそびえ立っている。杉のようだ。屋久杉に似ている。 |
8:35 | 滝切合(だまし地蔵:1,409m)。南北に延びる稜線越に飯豊山と大日岳が頭をのぞかせている。これから歩くだろう稜線の長さを感じる。地蔵岳への登りが終われば少しなだらかになるのを期待して黙々登る。 |
9:12 | 地蔵岳(1,539m)。地蔵岳の三角点は、山頂標識から10mほど離れた高台にある。飯豊山山頂は雲に覆われていて確認できないが、その左手に大日岳が見える。徐々に雲が湧いてきているようだ。ここまで4時間。アルペンガイドでは正味3時間、山と高原地図では正味3時間40分なので、休憩時間を引くとまあまあの時間で登れた。調子良ければ本山小屋までを目標にしているが、気温が高く喉が渇いて水分補給も多く予想以上に疲れた。9:30地蔵岳発。地蔵清水と目先清水を次の目標に歩き始める。 |
滝切合(だまし地蔵)からの展望:南北に延びる稜線越に飯豊山と大日岳が頭をのぞかせている。遥かかなただ。
地蔵岳(1,539m)山頂からの展望:飯豊山山頂は雲に覆われているが、その左手に大日岳が見える。
10:34 | 目洗(めあらい)清水付近。地点名は未記載の地蔵岳・御坪の方向標識はあったが…。そろそろ目洗(めあらい)清水があってもよさそうだが…。この付近はヒメサユリの群生地だが、今は全く咲いていない。ピンク色のミヤマママコマや白色のツマトリソウが多く見られる。地蔵清水か目洗清水の冷たい水で喉を潤したかったがとうとう見つからず。 |
12:01 | 御坪(おつぼ)。ここの地名も御田同様、神聖な場所を示しているようなのだが、意味は分からない。石の祠と鉄剣が祭られており、祠のまわりにはさい銭が積みあがっている。この付近までくると疲れがたまってきて30分ほどで休みたくなる。バテバテだ。水の補給をまめにした。 |
12:09 | 御沢分れ 右手に下ると御沢沿いに切合小屋に向かえるようだが、雪渓上のコースで雪が無いときは、ルート不明瞭とはガイド本の案内だ。 |
13:13 | 水場。種蒔山の山頂方面から伸びる沢沿いの水場だ。雪渓は見当たらないが水量は豊富で冷たくおいしい水だった。雪解けの時期にはお花で埋め尽くされていることだろう。切合小屋から数分の場所にも少し小ぶりの水場があった。キャンプ場宿泊者らしい登山者が、ポリタンクに水を汲んで運んでいた |
水場:種蒔山から伸びる沢沿いの水場だ。雪渓は見当たらないが水量は豊富で冷たくおいしい水だった。。
切合小屋全景(撮影は翌日AM帰路):1F中央に入口があり、右側が宿泊室になっている。20名ほど宿泊可能。
切合小屋2F:2Fにも土足で上がる。壁周りにござが敷いてあり、20名ほどが宿泊可能。
13:30 | 切合小屋着泊。まだ滞在していると期待した管理人は不在で切合小屋は無人小屋。宿泊者は、管理費2,500円を封筒に入れてポストに投函するシステムになっている。ここから本山小屋まで2時間20分。本日中に何とか到達できそうな距離だが、ここまで長い稜線登りで疲れ果てたのと、飯豊山付近はすっかり霧に覆われてしまっており、展望もなさそうなので、本日はこの切合小屋泊に決めた。ゆっくり休み、明日は軽量ザックで山頂を目指し、そのまま大日杉まで下る計画にした。 外では5名ほどの男性パーティーが談笑中。水場に出かけてありったけの容器に冷たい水を入れてきた。夕食まで時間があるので、外のテーブルに食事道具を置いて、小屋の2階で寝転んで体を休ませた。2階は20名位が寝られそうだ。6西会津からの単独男性が隣に陣取った。西会津在住で、弥平四朗登山口から入山したそうだ。この弥平四朗ルートが一番登り易いとのこと。西会津の町から飯豊山頂付近の残雪状態が見えるが、今年は極端に少ないそうだ。高山植物も早い咲き方だそうだ。尚、小屋周辺ではマツムシソウやママハハコが見られた。 5時前に食事のため外のテーブルへ。福島の飯豊山が百名山最後だと言う同世代のご夫婦と、同じく百名山を半分くらい踏破中の中年単独男性が会話しながら食事中だ。会話に混ぜてもらい意見交換。川入の登山口から登ったそうだ。宮之浦はそれぞれのルートで3回、幌尻岳は渡渉時の水量が問題でツアーでは5回目にやっと通過できた人や、増水で下山できずヘリで食料の補給を受けた人達もいるとか、紅葉は涸沢が最高など山の楽しい話に花が咲いた。 食事後夕暮れの景色を眺め、7時過ぎには就寝した。 |
切合小屋上部から飯豊山・大日岳方面:飯豊山は北西、大日岳は西の方角で、夕陽が沈んでいく。
切合小屋上部から飯豊山方面:飯豊山へと続く稜線が朝日を浴びて浮かび上がって見える。
草履塚から大日岳方面:大日岳へと続く稜線が朝日を浴びて輝いている。雪渓は例年より小さいそうだ。
切合小屋−本山小屋−飯豊山−本山小屋−切合小屋−地蔵岳−大日杉小屋
4:45 | 切合小屋発。薄明りの中を歩き出す。私が一番最初のようだ。 |
5:24 | 草履塚。信仰登山の信者が履き替えた草履がうず高く積まれたと伝えられる。飯豊山から大日岳へと続く稜線が朝日を浴びて浮かび上がって見える。 |
5:41 | 姥権現 小さな姥風の石像が祀られている。その昔、女人禁制だった飯豊山に米沢から登拝した「小松のマエ」という女性が神の怒りに触れて石になったとの伝説だ。 |
5:48 | 御秘所(おひそ) 御秘所の標識があり、前方に鎖のついた岩稜が見える。鎖場(5:51)を抜けるルートで、ご利益が違うとされる。真っ直ぐに通過したのでご利益大か? 岩場を通過するとマツムシソウが咲いていた。 |
御秘所(おひそ):女人禁制の時代、この岩稜を抜けると一人前の男と認められたそうだ。鎖が掛けられている。
6:04 | 御前坂(おんまえざか) 飯豊山への登りの最後のコルだ。上部に降りてくる人の影が見える。 |
6:34 | 水場分岐 水場への標識がある。本山小屋に宿泊する時には、この水場から水の調達が必要だと大日杉の管理人から助言を頂いていた場所だ。この付近が一ノ王子と呼ばれているようだ。ちなみに飯豊山神社がある場所が四王子、飯豊山頂が五王子だそうだ。 |
水場分岐:この付近が一ノ王子と呼ばれている。飯豊山神社がが四王子でそれぞれ社があったとのこと。
6:43 | 本山小屋・飯豊山神社 売店は営業中だったが、本山小屋の管理人が小屋仕舞いの準備をしていた。一度閉めて土日には開くとのこと。福島県管轄の参道は三国岳から始まり、一般に3尺(90cm)ほどだが、御前坂から御西小屋までは広くなっていて、この付近から山頂を抜け駒形山付近までが一番広く300b位あるようだ。飯豊神社に参拝し、頂上に向かう。 |
飯豊神社から飯豊山・大日岳眺望:飯豊山から奥に伸びる稜線の先に大日岳、右手に急峻な大ー尾根。
6:58 | 飯豊山飯豊山頂着。 山頂が見えた。人がいる。携帯用の小型折り畳みイスに座り込んでこちらに背中を向けた位置で景色を眺めている。ハット帽をかぶり不動の姿勢で眺め入る様子に、ムーミンに登場する旅人スナフキンを連想した。 |
飯豊山山頂:石の祠(奥宮)と山頂標識の間に、旅人スナフキンが雄大な峰々を静かに眺めている。
山頂での写真撮影をお願いしたら、快く応じてくれ、わざわざ方向を変えて2枚撮影してくれた。丁寧な話し方で恐縮しながら、会話が始まった。飯豊山には10回位登っていること、村上葉山山麓の村上市出身で大日杉から登ったこと、高校生の長女と登山したこと、御西小屋との間でオコジョに会えたこと、仕事を終えて登り暗くなって小屋に着いたことなどなど。 |
飯豊山(山頂)からの展望:東南(左手)下方に大ー尾根、奥に横川ダム湖、中央左手に飯豊神社と続く稜線、稜線の奥が三国岳、中央右手に御西岳とその奥に大日岳、その左に櫛ヶ峰、右手に烏帽子岳、重なるように北股岳。
山名・地名をクリックするとクリックした山名・地名が地図中央に配置されます。
話をしたり、景色を眺めたり、写真を撮ったりして、1時間近くゆっくりした。出発間際に御西小屋に泊まっていたと言う若い単独行の女性が山頂に到着。スナフキンと同宿だったようだ。途中でオコジョを見、昨日は、ブロッケンを見たと大変楽しそうに話してくれた。 | |
7:45 | 飯豊山山頂発。稜線で、昨日切合小屋で夕食時に歓談したご夫妻と単独男性とすれ違う。日本百名山達成の一足早いお祝いをして別れた。 |
8:04 | 本山小屋 誰も見かけず、静かだ。8:08水場分岐通過。ここから下りなので高山植物を愛でながらゆっくり歩く。 |
8:09 | 一ノ王子通過。御前坂付近で昨日遅めに切合小屋キャンプ場に到着した学生風単独女性とすれ違う。マツムシソウが咲いている。 |
8:39 | 御秘所 エゾノハクサンイチゲとハクサンフウロが並んで咲いている。まるで白山に居るようだ。 |
8:44 | 姥権現 切合小屋で隣だった西会津の同世代の単独男性とすれ違う。かなり疲れている様子。昨夜眠れず疲れたとのこと。自然保護指導員の腕章をつけている。マルバコゴメグサ。ツマトリソウ。9:09草履塚通過。 |
9:39 | 切合小屋着 デポしておいた荷物をパッキングし直し下山準備。 |
10:11 | 切合小屋発。小屋には誰も居ない。 |
10:35 | 水場 沢沿いは稜線に向けて植物も元気だ。エゾシオガマ、ミヤマアキノキリンソウ、オオカメノキの赤い実、ツマトリソウなどが次々と現れる。ダケカンバが点々と茂っている。昨夕、列をなすダケカンバが夕陽を受けて浮かび上がっていたのを思い出した。 |
11:13 | 御沢分れ ミヤマママコナだ。花は小ぶりだが群生すると存在感ある。 |
11:22 | 御坪 5人の学生と少し離れて夫婦連れにすれ違う。夫婦連れは、疲れて力が出ないとのこと。この付近もオオカメノキの赤い実が多い。 |
12:16 | 地蔵岳・御坪の方向標識 地点名の記載はない。目洗清水かと思い付近を捜すが、湿原の痕跡のみ。 |
12:18 | 目洗清水 標識が道端にあった。そこから20mほど急な斜面を下ると、湿地帯があり、湿地の中を水が流れている。水源を求めてその先を上り返すと、パイプの刺さった水場があった。付近にはオヤマリンドウ、オオハナウドが咲いている。 語りの丘付近で休憩していると、飯豊山頂で一緒だった単独が追い付いてきた。北茨城市(多分)の女性、放射線で一時安曇野や美濃に退避。笠ヶ岳小屋に努めた。穂高の景色と杓子平などのお花畑は人が少なくすばらしく、山にはまってしまったそうだ。地蔵岳の登りで、当方疲れ果てたので立ち休み、先に行ってもらう。若い人は元気だ。 |
13:47 | 地蔵岳。先行した女性が休憩中。休憩するので先に出発してもらう。 |
15:06 | 御田。杉の大きさにまたまた驚き。 |
15:20 | 長之助清水 いわき市の女性と御西小屋の主人が休んでいた。小屋の親父は個人用撤退荷物を入れた大きく重い荷物を担いでいるそうだ。 |
15:48 | ざんげ坂・鎖場 落石の危険があるとの御西小屋主人の助言で、それぞれが一番下に降り立つのを待って次の人が鎖を辿った。単独よりも3倍の時間を要しが、ゆっくり休めた。 |
16:06 | 大日杉跡。地名になった杉の株。 |
16:08 | 大日杉小屋着。小屋の親父に挨拶。御西小屋の管理人に小屋の状況などを確認していた。御西小屋は閉鎖ではなく、管理人交代だとのこと。 |
 『西吾妻山は、古くから信仰の対象の山であり、山頂北側の天狗岩には吾妻明神の吾妻神社が祀られ、修験道の山とされた。また、東西に主軸をもつ吾妻連峰を構成する山の一つで、標高は、連峰最高の2,035m。』by「ウィキペディア」。尚、立松氏は巡礼していない。
9:00 | さんちょう駅。グランデコスノーリゾートのゴンドラを降りて歩く。スキー場内の登山道をゆっくり登る。 |
11:37 | 西大巓(だいてん)。草紅葉が晩秋の季節を教えてくれる。登って来た方角に磐梯山が裾野を広げて、こちらを見ている。なだらかな草原地帯をアップダウンしながら進む。花の季節にはお花畑が見られる場所だ。 |
12:05 | 西吾妻小屋着。西に15分ほど進めば、吾妻神社がある。天狗岩に吾妻明神の吾妻神社が祀られているようだ。我々は東の斜面を吾妻連邦の最高峰である西吾妻山に向かった。 |
12:30 | 西吾妻山山頂。山頂は灌木に覆われていて景色は何も楽しめないので、記念撮影後すぐに下山開始。 |
15:00 | さんちょう駅に到着。 |
『会津地方のシンボルでもある磐梯山。猪苗代湖や裏磐梯の大小の湖沼群を従え、天高くそびえる。磐梯信仰を広めたのは、都から移った僧徳一。恵日寺を拠点に、仏教を庶民に説いて広めた。会津の人たちは、春の田植え、秋の収穫が終わると、聖なる山に向かい、手を合わせていた。磐梯は磐の梯(いわのかけはし)という文字があてられている。』by「百霊峰巡礼第一集」。
立松氏は、6箇所の登山口の内、修験道の西道とも部分的に重なる八方台登山口から磐梯山を巡礼した。私たちも最も人気のあるこの八方台登山口から登ることにした。
9:00 | 八方台登山口(駐車場)発。 |
9:28 | 中の湯跡。建物の前に池があり、付近は湿地だ。タニウツギと湿原などに咲くミツガシワが見られた。 |
10:36 | お花畑。磐梯山の固有種であるバンダイクワガタが咲いている。 |
11:00 | 弘法清水小屋。弘法清水の湧水で、本格的なドリップコーヒーを淹れている人がいた。おいしいから飲んでみてはと勧められた。 |
11:29 | 山頂着。「皇高天原命」(ここから高天原にいくの意味。)と刻まれた石の祠前で記念撮影(頭に石を当てる格好をし祠の前で撮影し、その写真を岳人誌に送ると、記念のバッジをもらえる。)後、ゆっくり休憩。団体が行動する前に出発。 |
12:45 | お花畑。お花畑も含め頂上付近で見かけた花々は、ハクサンチドリ、バンダイクワガタ、グンナイフウロ、ベニバナイチヤクソウ、ミヤマキンバイなど。さすがにこの時期は高山植物が豊富で豪華だ。 |
13:35 | 中の湯跡。 |
14:00 | 八方台登山口。 |
『 磐梯朝日国立公園の南端に位置する安達太良連邦。南から和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山、鬼面山などの峰々が連なる。高村光太郎の詩集「智恵子抄」でも「阿多多羅山」と詠まれ、智恵子のふるさとの山としても広く知られる。奥岳登山口から勢至平、くろがね小屋、鉄山を経由して安達太良山を目指した。』by「 百霊峰巡礼第二集」。
私達は、立松氏の逆コースを辿った。奥岳登山口から山頂を目指し、くろがね小屋に下ってくろがね温泉を堪能。一泊して奥岳登山口に戻るゆったり周回コースだ。
9:32 | 安達太良奥岳登山口発。「あだたらエクスプレス」のゴンドラに搭乗。 |
9:52 | 「薬師山頂」駅。なだらかな斜面を低灌木の中を縫うように進む。コースの両側にはこの時期特有の花々が次々と現れ、登山者を迎えてくれる。ベニサラサドウザン、タニウツギ、ウラジロヨウラク、サラサドウザンなどで、花のトンネルを抜けると、「この上の空がほんとうの空です」の柱が建ち、鐘と祠の前に出た。前方が開け、山頂に溶岩ドームのような出っ張り岩が確認できる。 さらになだらかな斜面をハクサンシャクナゲ、マイズルソウ、ツマトリソウなどを鑑賞しながら、のんびりと登って行く。 |
10:58 | 仙女平分岐着。ゴゼンタチバナ、イワカガミ、アカモノ、ゴシキシャクナゲ、ナナカマド、と植物園のように豊富な種類の高山植物が私たちの目を楽しませてくれる。 |
11:50 | 安達太良山頂着。岩峰前の広場に安達太良山頂と書かれた太い標柱があり、多くの登山者が休んでいる。岩峰上には三角点があり、岩の上に小さな石祠と標柱が建っていた。私たちも広場で昼食とコーヒータイムとし、景色を心置きなく楽しんだ。 |
13:35 | 山頂発。 |
14:02 | 牛の背分岐。沼の平が噴火口の荒々しさを見せている。下り始めた斜面でオノエランを発見。 |
14:20 | 峰ノ辻。少し歩くと谷合にくろがね小屋の屋根が確認できた。 |
14:45 | くろがね小屋着・泊。くろがね温泉で一汗流す。 |
5:50 | くろがね小屋発。 |
6:50 | 烏川橋(あだたら渓谷自然歩道入口)。滝や渓谷が爽やかだ。 |
6:59 | 平滑の床。昇竜の滝、魚止滝へ。 |
7:20 | 安達太良奥岳登山口着。 |
弥彦山山頂:日本海まで見渡せる広い山頂は整備され、御神廟(奥宮)が中心にある。
9:39 | 弥彦神社鳥居発。 |
9:40 | 登山口の標識。野鳥の森、清水茶屋通過。道端の斜面に、オウレン・ショウジョウバカマ・カタクリ蕾などが雪の合間に咲いている。 |
10:47 | 里見の松。展望の利く休憩所。 |
11:12 | 9合目の案内板通過。次第に積雪量が多くなり山頂部では10cm以上。 |
11:22 | 山頂着。社と展望の良い広場。 |
13:07 | 弥彦神社鳥居着。 |