北穂高岳からの南方眺望:涸沢岳越しに、前穂高から延びる北尾根と吊尾根、奥穂高からジャンダルムや西穂高まで見える。
月刊山岳雑誌「岳人」に、連載された「百霊峰巡礼」を巡ります。 北は北海道の利尻山から南は沖縄の於茂登岳までの百座です。 巡礼中に出会った自然現象、高山植物や動物たちを紹介しながら 古の人々が畏敬の念を抱いた霊峰を訪ねる旅を紹介します。
旅詳細
参考情報
百霊峰巡礼について |
「百霊峰巡礼」は、栃木県宇都宮市の出身である立松和平氏が執筆し、2004年1月号より月刊山岳雑誌「岳人」に、毎号一座ずつ連載されていた。
私たち夫婦は、多少時間的余裕もできた2006年11月に、東京都の高尾山への巡礼を開始し、既に80座を超えた。巡礼を終えた霊峰を少しずつ報告します。
ただ残念なことに立松和平氏は、73座登頂後、2010年2月に他界された。25座毎に東京新聞から出版されていた「百霊峰巡礼」は、第三集で終了となった。残る27座については、立松氏を偲びながら、昔から信仰の対象とされた山岳の自然と歴史を独自に辿ってみたい。
尚、立松氏未踏の27座は、上記第三集に記載されている百霊峰候補山岳とした。
布団菱遠望:荒菅沢に下る斜面から望むと、登山ルートと雨飾山南東面に聳える布団菱が姿を現す。
『山頂は360度の展望があり、二等三角点が設置されている。深田久彌によって日本百名山に選定された。長野県側からは小谷温泉から、新潟県側からは雨飾温泉から、それぞれ主要な登山道がある。また、小谷村大網からも登山道が伸びるが、前者に比べ、登山者は少ない。なお、小谷温泉からの登路は荒菅沢奥壁となる「布団菱」を眺めながら比較的楽に登頂できるが、雨飾温泉側からは急登が続く薬師尾根を登らねばならない。山頂は「猫の耳」と呼ばれる双耳峰となっており、南峰には標柱と三角点が、北峰には石仏が並ぶ。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
6:04 | キャンプ場発。昨夜は蚊と格闘した。10匹以上もやっつけた。 |
6:07 | 登山口発。 |
6:18 | ベンチ。2/11 800m。400m毎に案内板があることに気が付いた。 |
6:53 | 4/11 1,600m |
6:56 | ブナ平。写真撮影中の人がいる。 |
7:25 | 6/11 2,400m。布団菱が見える。 |
7:36 | 荒菅沢出合。雪渓を渡り対岸についた後少し登り、谷合に降りる。水は冷たい。休憩後、数bの崖をのぼり、登山道へ。 |
7:59 | 7/11 2,800m |
8:30 | 8/11 3,200m |
8:54 | ハシゴ場。辛い登りが続く。 |
9:07 | 9/11 3,600m |
9:31 | 笹平。山頂を見ながら休憩。時折ガスが湧きあがり山頂が隠れる。 |
9:44 | 雨飾温泉分岐。 |
9:49 | 10/11 登山口から4,000m地点。 |
10:09 | 雨飾山頂着。晴れているが、霧が流れていて展望は利かない。10:46発。山頂付近のお花畑はにぎやかだ。ヒメシャジン、タカネナデシコ、イブキジャコウソウ、ウスユキソウ、シモツケソウ、ミヤマウツボグサなど。北峰の石仏が時を感じさせる。 |
11:12 | 10/11地点。下り初めから笹平までも、山頂付近とは違った花が咲き誇っている。ミヤマウツボグサ、ハクサンフウロ、ヤマトリカブト、ハクサンフウロ、トモエシオガマなど。 |
11:22 | 笹平。 |
11:30 | ハシゴ場上。 |
11:34 | ハシゴ場下。 |
11:43 | 8/11 3,200m。アサギマダラがヨツバヒヨドリにとまっている。 |
12:22 | 荒菅沢出合。崖を降り水場で休憩。 |
12:32 | 6/11 2,400m。 |
12:53 | ブナ平。 |
13:25 | 1/11 400m。 |
13:30 | 登山口。 |
関山神社は、奈良時代より妙高山を霊山と仰ぐ修験道の道場として繁栄。その奥の院である妙高堂は、8世紀初めから妙高山山頂に鎮座していたとされている。木曽義仲は自らの守り本尊である阿弥陀如来像1体をこの奥の院に奉納し戦勝祈願して見事勝利したため、その後も家臣と末裔が4年毎に建替造営を引き継ぎ、明治初頭の神仏分離令が発令されて、現在の関山神社境内に移されるまで続けられたとされている。by「新潟県WEB観光案内」。尚、立松和平氏は未踏。
昨日は、燕温泉の旅館「花文」に宿泊。
6:14 | 燕温泉登山口発。 |
6:19 | 黄金の湯。無料の露天風呂の脇を通過。道中、ウメバチソウ、ミョウコウトリカブトなどが咲いている。北地獄谷には作業事務所風の建物の下奥に露天風呂があった。さらに高度を上げて滝の横の高度感のある狭い登山道を登ると、分岐に着いた。 |
7:51 | 4合目。1590m。麻平への分岐。 |
9:15 | 天狗堂。広場になっていて天狗堂と書かれた小さな祠がある。休憩。 |
9:55 | 8合目・風穴。軽く休憩。 |
10:36 | 鎖場。前のパーティが登るところだ。続いて登っていると、後ろからもパーティが登ってきた。 |
12:16 | 妙高山山頂(南峰)。2,454m。石祠があり、「妙高山大神」と書かれた標識が左側にあり、真ん中には将軍地蔵のレリーフがある。関山神社の奥の院である妙高堂はかつてはここにあったのだろうか。北峰へ移動すると、道筋に阿弥陀如来ではないかと思われるレリーフが埋め込まれ「南無阿弥陀仏」の石碑がある岩屋や日本岩と標識のついた大岩があった。高妻山がガスの合間に姿を現す。 |
12:35 | 妙高山山頂(北峰)。標高2,445.9mで三角点がある。山頂標識一帯は広場になっていて、沢山の登山者が休んでいる。ただ残念なことにガスが湧いていて景色はとぎれとぎれにしか見えない。12:44発。 |
14:02 | 黒沢・大倉分岐。ベンチがある。30分も登ると、下方に緑の草原と池塘が見える。長助池のようだ。 |
14:51 | 大倉乗越。妙高山の全景が見える。 |
15:20 | 黒沢池ヒュッテ着・泊。ヒュッテはユニークなドーム型の建物。寝室は2階と3階で、我々は3階に宿泊。 |
6:10 | 黒沢池ヒュッテ発。道すがらオヤマリンドウ、シラタマノキ、ウメバチソウなどが咲いている。 |
7:00 | 三ツ峰分岐。三ツ峰を超えると神奈山方面に向かう道とと燕温泉に下る道の分岐に出た。休憩。 |
7:19 | 大倉池分岐。さらに分岐があり、左手の燕温泉方面へ向かう。 |
7:48 | 黄金清水。清水が湧いている。ベンチで休憩。 |
9:18 | 2合目・麻平分岐。下ると川沿いの林道に出た。やがて見慣れた燕温泉の広い通りについた。 |
9:50 | 燕温泉登山口着。一昨日宿泊した「花文」に車を置いてあるので、ついでに温泉を入り疲れを癒す。 |
『群馬、長野県県境に聳える四阿山は、円錐状の山容で、広大な裾野を描く。山頂の西側には四阿山神社の祠、東側には上州祠。古くから信州、上州の双方から信仰され続けてきた。上田城主・真田昌幸が日本武尊を祀ったとも伝えられる。鳥居峠から、「花童子の宮跡」を巡る信仰の道をたどった。』by「百霊峰巡礼」。
霧に覆われていて、展望には恵まれなかったが、アップダウンの少ない尾根道を、夏から秋に咲く植物が沢山鑑賞できた。
9:15 | 頂上駅発。平坦な登山道を進む。 |
10:25 | 茨木山分岐。。オヤマリンドウ、シラタマノキ発見。 |
10:45 | 四阿山山頂着。大休憩。登山者多。 |
11:47 | 茨木山分岐。霧で視界無。 |
12:50 | 頂上駅通過。大きな花株のサワヒヨドリ、ノアザミ、群生するヤマハハコとシラヤマギク、ヤナギラン。 |
13:15 | 浦倉山山頂。花を求めて野地平へ。 |
14:10 | 野地平周回。待望のマツムシソウ発見。丁度見頃だ。 |
14:50 | パルコール嬬恋スキーリゾートホテル駐車場着。ホテルにて入浴。 |
湯ノ平高原から外輪山展望:湯ノ平高原の北と西は見上げるような浅間山の外輪山に囲まれている。
前掛山山頂からの眺望:2,300m級の外輪山が眼下に弧を描いて広がる。左奥に小諸市も確認できる。
『激しい火山活動の歴史を刻んできた浅間山。その記録は「日本書紀」にも記される。山頂から立ち上る噴煙は、雄大な浅間山を、より印象付ける。2,000bを超える山々が連なり、高山植物が四季を通じ、訪れる登山客の心を和ませてくれる。登山道にはシェルター、サイレンが設置され、緊急時に備える。』by「百霊峰巡礼」。
火山活動度レベルが2から1に緩和され、前掛山には登れるようになった。
レベル1でも、500m以内は依然登山規制中だ。
7:02 | 浅間山荘発。浅間山は活火山であり、突然の噴火と有毒ガスに注意が必要との掲示板有。コースの要所々に同類の説明板が設置されていた。 |
8:31 | 牙山前。火山館に立ち寄る。レンジャーが常駐している。火山館がシェルターになっている。浅間山噴火や自然について教わった。 |
9:13 | 湯ノ平口。外輪山に囲まれている。 |
9:34 | 前掛山登山口。登りが強くなり、ジグザグに変る。登山道には残雪。単独男性登山者が何人か登って行く。 |
11:27 | 浅間山分岐。最高点のある火口には近づけない旨の立ち入り告示板有。火口からは青白い陽炎が上がり空気が揺れている。火口に向かって歩いている人影が…。シェルターの分厚い鉄板が曲がっている。 |
11:47 | 前掛山山頂。雪を頂いた四阿山や草津白根山が山脈を連ねている。最高の眺望だ。2,300m級の外輪山が眼下に広がる。10分ほど滞在し堪能。 |
12:45 | 前掛山登山口。 |
13:00 | 湯ノ平口。カモシカが至近距離に。ここのカモシカは警戒心が弱い。 |
14:00 | 浅間山荘着。 |
『「戸隠(とがくし)」の名は、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、高天ヶ原の天の岩戸に隠れたとき、天手力雄命(たじからをのみこと)が、その岩戸をここまで投げ飛ばし、世に光を取り戻した。」との伝説による。 古くから修験道場や戸隠流忍者の里としても知られている。中腹には戸隠神社(奥社)があり、廃仏毀釈までは聖観音菩薩を祀っていたほか、摂社に地主神の九頭龍社が祀られている。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
7:48 | 駐車場発。ほぼ満杯。 |
8:08 | 登山口。牧場を抜けていく。 |
8:14 | 牧柵。ミヤマオダマキ。 |
9:30 | 滑滝鎖場。滝の端に鎖がついている。鎖が水にぬれているため、鎖を握る手がすべる。女性2人を含む3人パーティーが追い付いてきた。 |
9:50 | 帯岩鎖場。男子6人パーティーがきたので先に行ってもらう。高妻山に行くようだ。出発時間が遅かったことを気にしている。 |
10:00 | 氷清水。一人で休んでいる人がいた。仲間と弥勒コースを登ったが疲れたので、五地蔵山で仲間と別れて一人先に降りてきたそうだ。 |
10:31 | 第一不動避難小屋。ここから高妻山を目指すパーティーは右手の尾根へ。私のみ左手に折れ、戸隠山へ。 |
11:43 | 九頭龍山。断崖の始まりで、高齢者を含む3人パーティとすれ違う。 |
12:48 | 戸隠山山頂。高妻山が形良く見えている。帰路蟻の戸渡風リッジで一人休憩中。ベリータイアドとの声。 |
14:05 | 九頭龍山。小休止。 |
15:22 | 第一不動避難小屋。一人先客有。 |
15:50 | 氷清水。追い越した先客と談義。 |
16:54 | 牧柵。戸隠キャンプ場は賑やか。 |
17:30 | 駐車場着。イースタンキャンプ場泊。コインンシャワーを浴びる。 |
北穂高小屋テラスでの展望:真北に槍、西鎌尾根に続く双六や黒部五郎、東鎌尾根に繋がる大天井が見える。
『北アルプスに聳える日本で五番目に高い山、槍ヶ岳。名前の通り、天に槍を突くようなその雄姿に人々は憧れと畏敬を込めて『槍』と呼ぶ。難所に鉄鎖を架け、多くの登山者を山頂に導き、開山者として称えられる播隆上人の功徳を偲びながら、シナノキンバイなど高山植物が咲き誇る盛夏、登山道を踏んだ。』by「百霊峰巡礼」。
中房登山口−合戦小屋−燕山荘(燕岳)
9:43 | 中房登山口。いきなり登り始める。 |
11:02 | 第二ベンチ。ベンチ毎に休憩。 |
13:21 | 合戦小屋。名物のスイカをいただく。乾いた喉には最高の果物だ。 |
15:56 | 燕山荘。チェックイン後周辺散策し、今にも雨が降り出しそうな空模様の中、急いで燕岳まで往復。コマクサの群生、タカネツメクサ、イワギキョウ、ハクサンフウロなど多数。白花コマクサが小屋の近くに咲いていると小屋の方に教えられた。白花のコマクサは初めてて見た。 |
16:33 | 燕岳山頂。霧中の山頂。疲れた。 |
17:00 | 燕山荘。中学生の団体含め、宿泊客多数。食事後、オーナー赤沼さんのプロジェクターを使った山関連説明とアルペンホルンの演奏を楽しむ。 |
槍の穂先:西岳から水俣乗越への下りで霧が上がり、槍の穂先から北鎌尾根までの稜線が見えだした。
燕山荘−大天井ヒュッテ−ヒュッテ西岳(西岳)−水俣乗越−ヒュッテ大槍
5:00 | 燕山荘発。 |
5:20 | 蛙岩(げえろいわ)。中学生の団体と前後しながら歩く。ハクサンチドリ、オオヒョウタンボク、ウラジロヨウラクなどが咲いている。 |
5:50 | 大下りの頭。100mほど下るとお花畑が続く。グンナイフウロ、トモエソウ、さらにロープで保護されたコマクサ大群生地。中高年3人の女性パーティとすれ違う。のんびりと歩いている。大天井あたりから来たのだろうか?広い稜線歩きが続く。 |
7:22 | 喜作レリーフ。鎖を伝って、さらに梯子を降りると、この喜作新道切り拓いた小林喜作のレリーフが岩盤にはめ込まれている。岩の合間にイワギキョウが群生している。。 |
8:00 | 大天井ヒュッテ。小屋内で休憩。団体が来ると急に賑やかになる。 |
9:36 | ビックリ平。槍先は雲の中。ハクサンチドリ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ?、ハクサンシャクナゲ、アカモノなど。登山道を老猿が悠然と歩いていく。しばらく歩いて山手側に上がって休んでいた。コバイケイソウ、ヨツバシオガマ、ハクサンフウロ、トリカブトなどが延々と咲いている。 |
11:36 | 西岳山頂。寄り道して西岳山頂へ。生憎槍ヶ岳は、霧の中だ。大天井岳は良く見えている。 |
12:22 | ヒュッテ西岳。槍の穂先が見えだした。外国人(白人)パーティを含め、何組かのグループがヒュッテ周りでのんびり過ごしている。昼時だからか、槍沢に近いせいか? |
13:23 | 水俣乗越。最近の北鎌尾根へのアプローチは、この峠を越えて北鎌沢の出合に向かうようだ。30年前には天上沢を辿り、北鎌沢の出合で一泊してから登攀したものだ。懐かしい。 |
13:56 | 東鎌尾根・木製梯子。木製の梯子が現れる。上りが延々と続くように感じる。東鎌尾根の核心部だ。 |
14:11 | 東鎌尾根・鉄製梯子。梯子で一気に下りる。窓と呼ばれる場所らしい。ジグザグに高度を稼ぐと目指すヒュッテが目前だ。中学生の団体は、この先の槍ヶ岳山荘まで行くようだ。 |
15:40 | ヒュッテ大槍。こじんまりとした食堂でサラダ付料理。槍が全容を見せている。ここから見る槍は大きい。 |
雷鳥の親子:南岳からの下り、雷鳥の親子が出現。雪渓の上を足早に霧の中に姿を消した。
5:44 | ヒュッテ大槍発。槍に向かって登る。槍ヶ岳山荘脇に荷物を置いて、いよいよ槍穂先への登山。朝の登山ピークは過ぎてルートは空いている。最後の31段の鉄梯子をのぼると広い山頂に出た。 |
7:10 | 槍ヶ岳山頂。播隆上人を偲びながら祠の脇で記念撮影後、穂高方面を眺めると奥穂から西穂まで眺望が広がっている。と思っていると涸沢側(東側)から霧が上がって飛騨側(西側)に幾筋もの帯状の布の幕を作り始めた。すぐに布は繋がって薄いレースのカーテンのような霧の幕が広がった。ブロッケン現象の出現だ。他の2人の女性パーティーと共にこの自然現象の演出を楽しんだ。 |
8:08 | 槍ヶ岳山キャンプ場入口発。ミヤマオダマキが朝日を浴びて輝いている。雷鳥一羽逃げていく。飛騨乗越を過ぎ、雪渓が残る大喰岳の広い登山道を進む。霧が巻いてくる。 |
9:27 | 中岳山頂。大きな雪渓の西側を巻くように下る。 |
10:29 | 天狗原分岐。一面霧で展望効かず。 |
10:51 | 南岳山頂。東側に雪渓を見ながら下る。雪渓の上を何かが動いている。雷鳥の親子だ。まだ小さいヒナが6羽いる。足早に霧の中に姿を消した。 |
11:30 | 南岳小屋発。ドーナツを頂いた。おいしくて、疲れが取れた気がした。大キレット(切戸)通過に備えて、ビレー用の簡易セットを装着。南岳の下りはザレている。鎖場、鉄梯子を頼りに延々と慎重に下る。幸か不幸か霧で下方は見通せない。下りきると、平坦な尾根道を快適に進む。 |
12:46 | 大切戸(最低コル)。最後の難関だ。長谷川ピークは見えるが北穂は見えない。空模様が気になる。 |
13:18 | 長谷川ピーク。「Hピーク」のペンキ印まで岩稜を登り、鎖とステップなど頼りに白ペンキの丸印に沿って飛騨側と信州側を行き来しながら稜線を下る。ルート脇には緊張を解くようにイワオウギが咲いている。やがてA沢のコルに降り立った。 |
14:15 | 飛騨泣き。鎖とステップ、それにペンキ印を頼りに登る。飛騨泣きは、かつて馬の背のような岩稜を跨いだまま進んで、超えた記憶がある。帰宅後調べると、お立ち台と呼ばれる岩は、2005年に崩れてしまい、ルートが変更になっているとのことだった。いずれにしろ誰ともすれ違っていないのは幸いだ。小雨がぱらついてきた。鎖場のあるルンゼは水が流れている。一人の男性が登っているのが見えたので、登り切ってから取付いた。やがてジグザグの登りに変わった頃、黒い雲と共に雨は本降りになり、雷もなりだした。北穂まで200bの表記を過ぎて、さらに登るとやがて小屋の明かりが見えた。 |
15:45 | 北穂高小屋着。混雑した乾燥室で着替えを済ませ、部屋でゆっくりした。韓国人らしきグループがザイルの手入れをしていた。5時を過ぎると雨があがった。小屋のテラスからキレット越しに槍ヶ岳の絶景が現れた。今日のルートが全て見えて感慨深い。食事を済ませた後、7時頃には、山はオレンジ色に染まり、さらにピンク色に皆美しく黄昏た。 |
7:30 | 北穂高小屋発。岳沢のコースを涸沢コースに変更。朝食後空いてから、コーヒーを楽しんだ。小雨の中を出発。分厚い雪渓をトラバースした後、南峰から南稜を下る。 |
8:15 | 鎖場。10人位のグループで渋滞。 |
9:44 | 涸沢小屋。軽食を取る。 |
10:56 | 本谷橋。休憩。雨は止んだ。 |
13:10 | 徳沢。徳沢園で昼食。 |
16:30 | 上高地。西糸屋山荘着・泊。 |
涸沢小屋テラスでの展望:奥穂から前穂まで延びる吊尾根、さらに前穂から延びる北尾根が朝日に輝く。
『穂高神社(ほたかじんじゃ)は、長野県安曇野市穂高にある神社。式内社(名神大社)、信濃国三宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称がある。また、毎年9月27日に行われる例大祭(御船祭)が有名である。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
7:16 | 上高地バスターミナル発。 |
7:26 | 河童橋。癒される場所だ。 |
7:42 | 穂高・岳沢登山路入口。登り開始。 |
8:39 | 風穴。冷たい風が心地よい。 |
8:50 | 岳沢・河原出合。 |
11:00 | 岳沢小屋着。午後は小屋で梓川を眺めながらのんびりした。NHKの日本百名山紹介の撮影隊が5〜6名下山してきた。10月に放映とのこと。 長野県警の救助隊も同宿。西穂の岩尾根が夕暮に浮かび上がる。救助隊はさらに暗くなって下山してきた高齢者を途中まで迎えに行っていた。 夜の戸張がすっかりおりて、テラスで一人でいると、天狗平方面の登山道で黒い大きな影を発見。なんだろうと思って10mほどに近づくと動き出した。大きな熊だった。 |
奥穂山荘での展望:ザイテングラード、涸沢の先に前穂から延びる北尾根、その先に蝶と常念が見える。
5:40 | 岳沢小屋発。我々のような中高年ペアが何組か続いて登っている。超急峻な登りにあえぐ。 |
7:10 | 岳沢パノラマ。振り返ると眼下に上高地、右手前方に焼岳、中央遠方に乗鞍岳、遥か遠方に木曽御嶽山らしい山容も見える。 |
8:17 | 紀美子平。25分休憩。前穂高岳まで往復するのはスキップ。釣り尾根を奥穂高岳に向かう。尾根の左を巻いていく。左手は切れ落ちている。 |
10:15 | 南陵の頭付近。斜度はそれほど感じないのに意外と歩は進まない。 |
11:10 | 奥穂高岳。ジャンダルムが霧で見え隠れしながら迫る。10分休憩。天候がくずれそうなので、岳沢小屋に戻らず、今日は涸沢まで下ることにした。12時までに岳沢に引き返せば安全と岳沢小屋の親父に言われていた。時間的には問題ないが天候のリスクあるため変更する旨電話。 |
12:20 | 穂高岳山荘。30分ほど休憩。昼食は山荘のカレーライスだ。涸沢を見ながら石垣の上で昼寝後出発。ザイテングラートのお花畑で、ヨツバシオガマ、イワオトギリが咲き誇る。 |
14:30 | 涸沢小屋着。涸沢小屋では、同世代のご夫婦と同室。消防署の方と看護師のご夫婦、農協のご夫婦だ。夜遅くまで山談義、人生談義に花が咲いた。長野県警の方とも再会した。 |
6:45 | 涸沢小屋発。涸沢を通過後、長野県警の方と雪渓の最後でお別れした。 |
7:57 | 本谷橋。沢山の登山者が休憩中。木陰で10分ほど休憩。 |
9:07 | 横尾大橋。ヤマホタルブクロ、クガイソウ、ベニバナイチヤクソウなどを楽しみながら歩く。 |
10:24 | 新村橋。 |
11:39 | 徳本峠分岐(明神)。ソバナ、クサボタン、キツリフネなどが見られた。 |
12:40 | 上高知バスターミナル着。夫婦組と相乗りしタクシーで沢渡へ。 |
蓼科山山頂からの東方面展望:霧が切れて頂上の岩石帯越しに、一瞬双子山の山影が見えた。
『八ヶ岳の最北部に位置する蓼科山。穏やかな山容を見せ、古来からその姿が神格化されてきた。高井山、飯盛山などいくつかの呼び名で崇拝されてきたが、今、諏訪富士として親しまれている。かつての噴火口の山頂は、岩塊が累々と積み重なる。七合目の登山口から将軍平を経て、蓼科平の奥社に向かった。』by「百霊峰巡礼」。
猛暑が続く。蓼科山はすぐに標高2,000bを超えるので涼を期待。
10:09 | 駐車場。 |
10:11 | 7合目登山口。一の鳥居。 |
11:04 | 天狗の露地。ボッカの人が天狗の露地に立ち寄ってはとアドバイスされたので寄った。1m大の岩塊が川のように積み重なっている。急こう配のザンゲ坂をジグザグに登る。 |
11:52 | 将軍平・蓼科山荘。バイケイソウ。 |
12:47 | 蓼科山山頂。靴を脱いで足を休めていたら、写真を撮ってくれると言うので慌てて靴下のまま写真に納まった。ガスが湧いて展望は望めないが、時折北八の一部が見え隠れする。40分ほどゆっくり休憩した。 |
13:36 | 蓼科山頂ヒュッテ。 |
13:58 | 将軍平。蓼科山荘。餌付けされたウソが3匹寄ってきた。内1匹は首がオレンジ色の雄だ。 |
14:21 | 天狗の露地。入口を再確認。 |
14:47 | 馬返し。樹林帯で鳴いている小鳥の音声を録音。メボソムシクイとルリビタキが鳴いていたようだ。 |
14:59 | 駐車場。戸隠へ向かう。 |
『今なお、噴煙をあげる。広大な山麓を形成する独立峰・御嶽山は、古来から霊峰として崇められた。尾張の行者・覚明(かくめい)によって三岳村の黒沢口、武蔵国の行者・普寛(ふかん)によって王滝口が開かれた。これをきっかけに、御嶽信仰が全国に広まった。』by「百霊峰巡礼」。
2007年(平成19年)3月に小規模な噴火発生、翌年噴火警戒レベルは1(正常)へ。登頂当時は、噴火に対して何ら警戒感を抱かなかったが、2014年の噴火で、浅間山や阿蘇山並みのシェルター設置を切望する。
11:58 | 田の原登山口(王滝口)発。登山道は、1kmほど広い参道が続いている。 |
12:21 | 大江大権現。参道終了、上り開始。 |
14:00 | 9合目・一口水。微量だが流出中。 |
14:45 | 王滝頂上。う回路で二の池新館へ。 |
15:30 | 二の池新館着・泊。 |
5:34 | 御来光。 |
7:02 | 二の池新館発。お鉢巡りと言われている一の池の外輪山を左回り(石碑の配置順とは逆)で頂上に向かう。三十六童子の石碑が、火口を取り囲むように点々と設置されている。まるで童子に火山の噴火を封じさせているようだ。 三十六童子は不動明王の眷属(けんぞく)とされ、御嶽山の三十六童子は儀覚行者が、成田山より歓請したものという。2007年に修復されたとのことなので、まだ新しい。 |
7:58 | 御嶽山頂。眼下にはエメラルドグリーン色の水を湛えた二の池、すぐ奥に摩利支天山と継子岳、遥かかなたには乗鞍岳が見渡せる。 |
8:15 | 剣ヶ峰山荘。八丁ダルミを下って行くと中間付近に、まごころの塔と呼ばれるモニュメントと御神火斎場(ごじんかさいじょう)がある。 |
8:29 | 御神火斎場。御嶽教の大御神火祭のための祭場だそうだ。 |
8:34 | 王滝頂上。2,936m。 |
9:13 | 8合目・石室避難小屋。 |
9:49 | 遥拝所。十段の階段を昇った広場で、白装束をまとった二十人ほどが御嶽山に向かってお祈りしている。 |
10:00 | 田の原登山口着。 |
空木岳山頂からの展望:昨日通過した木曽駒方面も良く見通せた。南アルプス、八ヶ岳、御嶽が綺麗に見える。
『中央アルプス最高峰の木曽駒ヶ岳は文化元(1804)年、寂本行者により開山された。昭和40年代に、麓のしらび平から千畳敷までロープウエイがつながり、多くの観光客が訪れるようになり、昔ながらの白衣姿の信仰登山者は姿を消した。寂本の功績を偲びながら山頂を目指した。』by「百霊峰巡礼」。
前日、頂上木曽小屋泊予定が、混雑でロープウエイに乗れず、当日早朝から並んでやっと千畳敷に到達した。雨が降っていた。
6:20 | 千畳敷駅発。混雑の中雨具装着。 |
7:20 | 乗越浄土。視界ない中黙々と登山。 |
7:55 | 中岳。通過。 |
8:21 | 木曽駒ヶ岳山頂。 |
8:53 | 中岳・駒ヶ岳神社。 |
9:08 | 乗越浄土。 |
9:55 | 千畳敷駅着。 |
翌年2010年9月25日に宝剣岳から空木岳を目指した。25日は強風で宝剣岳を越せず、千畳敷に戻り、極楽平に登りなおして木曽殿山荘へ。その翌日空木岳登頂。快晴で、宝剣・木曽駒方面。も良く見通せた。
駒津峰付近からの展望:帰路駒津峰に登り返す途中で、左手に鳳凰三山が、後方に富士山も姿を見せた。
『「駒ヶ岳」の名を冠する独立した山は全国に18山あるが、その中ではこの甲斐駒ヶ岳が最高峰であり、木曽駒ヶ岳が2,956 mでこれに続く。ただし、富士山の火口を取り巻く火口縁(いわゆるお鉢めぐり)の南側には、駒ヶ岳もしくは浅間岳と呼ばれる小突起があり、その標高は3,715 mである。
甲斐駒ヶ岳はまた、古くから信仰の対象ともなってきた。山梨県側の山麓の横手・竹宇両集落には駒ヶ岳神社が鎮座しており、そこから山頂にいたる黒戸尾根には現在も信仰にまつわる多くの石碑や石仏が残る。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
11:39 | 仙流荘。河原に駐車。バスに乗換。 |
14:22 | アサギマダラ。南アルプス林道で鋸岳の威容が見える。間もなく山肌のアキノキリンソウに群れるアサギマダラを観察。徐行バスから撮影。 |
14:36 | 北沢峠。沢山の登山者がいる。 |
14:41 | 北沢分岐。一端下り沢沿いに登る。 |
15:20 | 仙水小屋着・泊。 |
16:28 | 夕食。テラスで刺身付の早い夕食。 |
3:08 | 朝食。こんなに早い朝食は初めて。布団を片づけ食卓をセット。 |
4:00 | 仙水小屋発。ガイドと高齢女性のペアも出発。ヘッドライトの明かりを頼りに進む。露岩の這松帯ではコース確認困難。途中休憩。 |
5:00 | 仙水峠。徐々に夜が明けてきた。 |
6:28 | 駒津峰。這松帯の岩の上を進む。 |
6:55 | 六方石。右手に山を巻くコースと直登コースに分かれる。ガイド組はザイルでビレイして直登コース。相変わらず上部は霧で隠れている。 |
7:25 | 摩利支天分岐。 |
7:57 | 竹宇登山口分岐。 |
8:01 | 甲斐駒ヶ岳山頂。駒ヶ岳神社奥宮にお参りする。社の表戸に奉納された幾足かの草鞋が固定されている。 |
8:44 | 竹宇登山口分岐。 |
9:51 | 駒津峰前衛ピーク。鳳凰三山が展望でき、後方に富士山も姿を見せた。 |
10:09 | 駒津峰。霧が若干薄くなって、時折駒ヶ岳の全容が見え隠れする。 |
10:58 | 双児山。帰路は尾根伝い。 |
12:10 | 北沢峠。臨時バス。仙流荘で入浴。 |
『富士山は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高3,776 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えた。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。
古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季には富士登山が盛んである。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
計画中。最後に登りたい山だ。1合目からの登山が本来の登山と考え計画中。 過去に何度か5合目から登ったので、取り合えず最新の記録掲載を検討中。
敬慎院全景:元丁目から始まる登詣堂を辿り、49丁目にある随身門を下ると、敬慎院がどっかと構えている。
『日蓮宗総本山の身延山の鬼門にあたり、修験の山として知られる七面山。身延山から七面山への参詣者のために賑わいを見せた赤沢集落は、往時の面影を残す。山の上まで参詣者を担ぎ上げる駕籠が、現役で活躍する。女人禁制を解いたとされるお万の方の像から、見事な富士山が出迎えてくれた敬慎院に至った。』by「百霊峰巡礼」。
尚、本参詣道については、「七面山登詣(とけい)案内」としてWebサイトで公開されており、歴史やルート案内が大変参考になる。(Web
リンク許可申請中)
裏参道の登山口で駐車場を訪ねると、さらに奥に進むと駐車場があるとのこと。鳥居のある登山口の手前の針葉樹林帯の中に駐車場があった。ここが満配だと、もっと下の川沿いの広い駐車場が使えるようだ。
8:35 | 羽衣(元丁目)発 登山口(元丁目)脇の林の中の駐車場に駐車。ほぼ満車状態。登山口の鳥居の脇に有料で荷物を運搬してくれるとの案内表示があったので、指定のお店に下って行ったが開店しておらず残念。 |
9:47 | 肝心坊(13丁目) 大休止。 |
11:00 | 中適坊(23丁目) 中年の夫婦風の二人と抜きつ抜かれつの登山となる。 |
12:45 | 晴雲坊(36丁目) 晴れた日には、この坊から富士山が見えるそうだ。 |
13:46 | 和光門(46丁目) 白装束の女性一人が、門通路脇のベンチで休憩中。門全体の写真を撮ろうとしたら、急いで門外に出てくれ恐縮。休んでいると、団扇太鼓(うちわだいこ)の音と「南無妙法蓮華経」と唱和する女性の声が聞こえ、だんだん近くなってきた。 和光門から山頂にかけての地域は、七面大明神がまします神域といわれ、「精進潔斎(しょうじんけっさい)」の聖地。肉や魚などの食べ物を口にすることはできないそうだ。 |
14:05 | 吉祥門(48丁目)鐘楼・水屋 鐘を一個打ち賽銭を入れる。水で清める。門を抜けると、境内だ。右手が奥の院。左手が敬慎院、左手奥が参篭所で本日の宿泊地。正規の参道はここから左手をさらに登り富士山遥拝所から随身門を通って敬慎院に下る。 |
14:15 | 敬愼院(50丁目)5〜6人の人が迎えてくれる。雨具などを乾燥室へ。数人分の雨具などが干してあったが、大型の温風器が稼働していて、すぐに乾いてしまいそうだ。 一息着いたころ風呂に案内してくれた。一番風呂だ。石鹸は使えないが、頭から掛湯をして、木の上蓋を数枚寄せて、ゆったりと温かいお湯に浸かった。出がけに、札幌からの夫婦連れの旦那が入ってきた。奥さんが信者のようで、お礼参りの模様。 後回しにしていた受付を済まし、遥拝所に向かった。敬慎院から遥拝所へは、太い丸太を縦に埋め込んだ階段状の坂道を、随身門に向かって登る。 |
15:50 | 随身門(49丁目) 門の東は広場になっていて、富士山を眼前に見ることができる遥拝所になっている。富士山は頭の部分が雲に隠れていたが、真中付近は姿を見せていた。門には、ライブカメラが設置されていて、敬慎院横の参篭所にあるモニターで富士山や遥拝の状況が確認でき、Webでも視聴可。両彼岸にはダイヤモンド富士も。 |
17:00 | 夕食 7人が一室で同時に食事。水桶で提供されるワカメの味噌汁。般若湯(日本酒)、ご飯、煮しめ(昆布、人参、大根、ジャガイモ、ゴボウ)、ひじき、たくあんの精進料理。 |
18:30 | お勤め(開扉・夕勤)。蘊蓄のある説教もあり、なかなか有意義。 |
21:30 | 消灯。10人が同時に利用できる長い「巻き布団」を4人で利用。 |
サルオガセの群生:敬慎院から七面山に続く傾斜の少ない林にサルオガセが、沢山垂れ下がっていて幻想的だ。
6:25 | 敬愼院発。皆より早い朝食を済ませた後、お坊さんらに見送られ、雨具着用し小雨の中を出発。 前半は散策道のような緩やかあ登山道。平坦な樹林帯にサルオガセが群生していた。米ワシントン州のオリンピック半島の国立公園で見かけたのと同じ種類だろう。確かレインフォレストと呼ばれ湿気が多い森だった。自然環境が似ているのだろうか。 |
7:35 | 七面山着。山頂は小さな広場になっている。周りは林に囲まれていて展望はない。青銅製らしき山定盤が設置されていた。かつては360度の展望を楽しめたのだろう。 |
7:45 | 七面山発。雨のせいか、大きなガマガエルがお出迎え。 |
8:18 | 遥拝所。相変わらず富士山は雲の中。帰路は裏参道を計画していたが、晴雲坊にメガネを忘れた可能性があり、表参道を帰ることにした。 |
8:49 | 晴雲坊(36丁目)着。10分ほど休憩。失くしたメガネについて問い合わせたが、見つからず。すでに、敬慎院から電話連絡があり、その時捜したが見つからなかった由。 |
9:51 | 中適坊(23丁目)着。牧之原在住で常連の女性親子と意見交換。奥の院の食事はサラダ付きで布団も普通の大きさだとか…。10:06 中適坊発。 |
中適坊休憩所:休憩所の内壁には所狭しと、お札が表示されている。訪問者にしては相撲の番付的なのもある。
10:42 | 肝心坊(13丁目)。4時間ほど下りかなり疲れてきたので、20分ほど大休憩。 |
11:36 | 神力坊(2丁目)。登る時は、登山口から近いこともあって素通りした。 神力坊の本堂には日蓮聖人の木造とともにお萬の方の木像が安置されているとのことだ。 |
11:41 | 羽衣着(元丁目)。牧之原の方から、身延山に登るロープウエイの割引券を頂いた。色々親切にして頂き感謝。 |
『秋葉山は遠州地方を代表する信仰の山だ。奈良時代、僧行基によって開かれたと伝えられる。江戸時代には、各地から信者が訪れ、秋葉の山を目指す秋葉道(あきばみち)には今も常夜灯が残る。神仏混交の霊場だったが、明治政府の神仏分離令の嵐に巻き込まれた歴史を持つ。スーパー林道の開通も様相を一変させた。』by「百霊峰巡礼」。
昨日、伊吹山に登り、彦根に宿泊後、帰り道に秋葉山に立ち寄った。
11:10 | 九里橋登山口発。石畳の参道。 |
12:08 | 小豆坂(あずきさか)。 |
12:17 | 十八丁茶屋跡。 |
12:35 | 四の鳥居跡(銅鳥居)。 |
12:38 | 子安地蔵尊(安産の神)。穴の開いた杓子が沢山奉納されている。 |
12:48 | 富士見茶屋出店跡。 |
12:54 | 三尺坊(さんしゃくぼう)入口。秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ)が正式名。僧行基によって8世紀に開基された後、修験者である三尺坊により秋葉寺改められたそうだ。 |
13:06 | 五の鳥居跡(鋼鳥居)。18世紀末に寄進とされ、土台から大きさを想像。 |
13:14 | 秋葉神社神門。19世紀建造が現存。軒下周囲の彫刻は古を感じさせる。 |
13:17 | 天狗の皿投げ。天狗が、皿を投げては願力を競っていたとのこと。 |
13:25 | 秋葉山頂(秋葉神社)。拝殿。祭神は火之迦具土、大神(ひのかぐつちのおおかみ)。秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも。反対側から多くの参拝者が整備された広い参道を上がってくる。近くまでスーパー林道が開通し、参拝の様相も変化したとのことだ。展望が開けて遠くまで見通せる。 |
14:00 | 三尺坊。シャガが群生している。また、マルバウツギが咲いている。 |
15:00 | 九里橋登山口着 |
『今から約1300年前、利修仙人が開いたとされる奥三河の古刹・鳳来寺。境内から本堂まで続く1,425段の石段は、鎌倉時代、源頼朝が寄進したと伝えられる。利修仙人作の本尊薬師如来を祀り、薬師信仰と山岳修験道の霊山。鳳来寺山は、「ブッポウソウと鳴く、コノハズクの飛来地としても知られる。』by「百霊峰巡礼」。
8:15 | 仁王門駐車場発。 |
8:17 | 鳳来寺山登山口。本堂まで続く1,425段の石段が延びている。 |
8:25 | 鳳来寺仁王門。仁王門は国の重要文化財、仁王像は町の文化財に指定されている。仁王像の高さは阿形、吽形共に3mを超える高さで、立派だ。 |
8:30 | 傘すぎ。大きな杉だが…。 |
8:58 | 弘法大師立像。 |
9:02 | 本堂。お参りをした。本堂から奥の院へは、岩壁を縫うように付けられた手すりの付いた狭い石段を延々と登る。白山大乗坊大神の石碑がある。岸壁に2mを超える長さに延びたツララが下がっていた。6本杉の手前に新しいお堂が建造されていた。 |
9:44 | 奥の院。老朽化していまにも倒れそうだ。海抜621mの位置で、修験者の修業の場であったとの説明がある。山頂に近づくと薄らと積雪がある。 |
9:57 | 鳳来寺山山頂着。2,000万年前の海底が火山活動で出現したとある。 |
10:26 | 天狗岩展望台。庵のようなりっぱな屋根付き展望台だが、ロープが張り巡らされ立入禁止だ。 |
10:55 | 鷹打場展望台。絶壁の上の遠くの景色が見通せる場所にある。 |
11:32 | 東照宮。日光東照宮のミニュチア風でりっぱな造りだ。 |
11:40 | 本堂。1,425段の石段を今度は下る。 |
11:56 | 仁王門。 |
12:05 | 登山口着。 |
『三河平野に位置する本宮山。麓の砥鹿神社は、三河国一宮として地域の信仰を集めた。鳥居がある登山口から神社の奥宮まで続く参道は、五十丁で刻まれる。伝説が残る「山姥の足跡」、手水舎がある「お清水」など、奥宮までは道しるべが誘ってくれる。参道からは、三河湾、山頂からは富士山が望める。』by「百霊峰巡礼」。
11:05 | 本宮山ウォーキングセンター。 |
11:11 | 砥鹿(とが)神社奥宮登山口(鳥居)。登山口に石造りの鳥居があり、幅広い年齢層の登山者(参拝者)が登って行く。丁目石がマメに設置されている。頂上が50丁目とのことだ。豊坂、鹿跳坂などの坂通過。 |
11:34 | 鶯峠。三河湾を眺めながら休憩。14丁目の小栗鼠坂通過。 |
12:00 | 馬背岩。巨岩が露出している。 |
12:06 | 蛙岩(かえるいわ)。 |
12:08 | 日月岩。表面に日月の文字。 |
12:22 | 風越峠。34丁目、えびす岩、37丁目、水場など通過。天狗岩が見える。標高500m標識。薄らと積雪。 |
12:36 | 山姥(やまんば)の足跡。39丁目。「三河に住む山姥が、本宮山と石巻山を跨いで豊川で顔を洗ったと云われている。」とのことでその足跡が岩に残されている。 |
13:02 | 青銅の鳥居。『是より 霊峯本宮山 砥鹿神社第一神域』との案内板。 |
13:03 | 荒羽々気(あらはばき)神社、八柱(やばしら)神社に参拝。 |
13:06 | 天の磐座(いわくら)。巨岩がある。 |
13:10 | 砥鹿神社奥社。社殿に参拝。祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)。 |
13:39 | 本宮山山頂。50町。 |
15:10 | 本宮山ウォーキングセンター着。 |
立山室堂ターミナル:青空の下、室堂平の先に、山並が浄土山、立山そして剱御前へと広がっている。
『峻険な山容で、訪れる者を圧倒する立山連邦の剱岳。岩場の険しさから、長らく、山頂に三角点が設置されてこなかった歴史を持つ。明治末まで前人未踏とされてきたが、古来より修験者たちが登頂を果たしていた。立山修験の遺物も残される。室堂から雷鳥沢、平蔵谷のコルを経て、山頂を目指した。』by「百霊峰巡礼」。
9:30 | 扇沢駅発。急いでバスに乗る。 |
9:57 | 黒部ダム。黒部ダムを歩いて横断。丸山東壁がそそり立つ。さらにケーブル・ロープウエイで大観望へ。 |
11:04 | 立山室堂ターミナル。青空の中に、浄土山、立山そして剱御前まで広がっている。沢山の訪問者がいる。 |
11:18 | みくりが池。暫く待ったが湖面のさざ波は治まらず、立山は映らない。リンドウ池や血の池を通過。シラタマノキが咲いている。 |
11:39 | 雷鳥荘。帰路宿泊用の荷物を預ける。雷鳥平に下り、キャンプ場を横切る。川を渡るのに一苦労。 |
12:30 | 新室堂乗越。立山連邦を眺めながら広く緩やかな尾根を登る。ミヤマリンドウを初めて見つけた。歌で想像していた以上に凛々しく咲いている。イワギキョウが咲き、チングルマの風車が群生して微風に揺れている。長い急登が終わりトラバースに移る頃剱御前小舎が見えてきた。 |
14:40 | 別山乗越・剱御前小舎。剱岳が初めて見えた。大きくて荒々しい。確かに初登に苦労したと思える山容だ。休憩後、剱御前を巻くように下る。剱岳が大きくなるにつれ、剣山荘から剱岳に続くトレースが徐々に見えてきた。雪渓が作る水場を過ぎる頃剣山荘が見えてきた。 |
15:45 | 剣山荘。大きな雪渓が山荘のすぐ上にあり、太いホースから常時豊富な水があふれている。夕食まで皆思い思いに過ごしている。テラスでビールやコーヒーを楽しむ人。仲間と語り合う人。平和な時間だ。夕食時2組の夫婦グループと同席だった。過去2回来たがいずれも悪天で、一回で晴天はラッキーだなど。夕食後、ウクレレ弾き語りのリピート山中の山の歌を鑑賞し、楽しんだ。CD購入。 |
剣山荘での夜明け:五竜や鹿島槍が美しいシルエットになって浮かび上がる。
剱岳山頂からの展望:東から北東方面は八ツ峰越しに後立山が延びている。
5:16 | 夜明け前。夜が明け始めて、空が群青色からオレンジ色に変化してきた。静寂した空気の中に五竜や鹿島槍が美しいシルエットになって浮かび上がる。静かな夕暮れとともに山で一番好きなひと時だ。 |
6:00 | 剣山荘発。快晴に恵まれた。一服剱で家内がザックをデポ。身軽になり動きが急に軽快になる。 |
7:28 | 前剱。剱岳が近くなった。登山者が途切れ途切れに列をなしている。岩場を下り、鉄製の建築現場の足場のような橋を緊張しながら渡る。長い鎖が続く岩場のトラバース。 |
7:42 | 前剱ノ門。いつの間にか平蔵ノ頭(ずこ)を過ぎ、次々と現れる岩場を夢中で越えていく。 |
8:22 | 平蔵のコル。 |
8:31 | カニノタテバイ。回り込みながらステップと鎖を頼りに岩場を約50m登攀。岩場を過ぎるとガレ場が続く。 |
9:20 | 剱岳山頂。西にはは富山湾、南は立山から薬師や、遥かかなたに笠と槍も尖った山頂を微かに見せている。東から北東方面は八ツ峰越しに後立山が延びている。頂の祠は修復中。 |
10:11 | カニノヨコバイ。ガラ場を下降後、鎖を頼りにトラバース気味に岩場を降りる。西側の谷が遥か下に見え、高度感はある。長いハシゴを下ると、岩陰にトイレがあった。幾本もの鎖を辿って、間もなく前剱。 |
11:20 | 前剱。 |
12:20 | 一服剱。デポしてあった家内のザックを回収し、稜線をそのまま進む。這松が登山道を塞ぐように成長して歩きづらい。山小屋から外れた登山道は、行き交う人も稀だ。 |
13:05 | 黒百合のコル。休憩。日影がないので、小灌木の下に潜り込むように涼をとる。ナナカマドの木の合間から剱岳が見えている。どんどん遠ざかっていく。御前小舎が見えてきた。 |
15:00 | 剱御前小舎。宿泊手続後のんびり。 |
17:57 | 日没。太陽が沈む時の水平線付近のオレンジ色は見ごたえがある。さらに、日が沈むにつれて、表現できないピンクの空に移り変わった。空を見回してため息が漏れる。大空に広がる自然の演出が終わって、夜の帳に包まれた。小舎のスタッフが新室堂乗越から登ってくる登山者の到着を気にしている。登山道にライトの列が見える。まず数名が先行して登ってきた。「点の記」のロケ隊で今晩は、剱御前小舎に泊まるそうだ。さらに役者や監督を含む本隊が登ってきた。数十名の大部隊で発電機や長いマイクなどの撮影機材も沢山担ぎあげている。主役の浅野忠信や、香川照之、大村監督などが次々に小舎に入ってきた。ロビーに座っていると、スタッフも座ってきて話ができた。エクストラで出演する山小屋のご主人など。広報担当の方からはパンフレットを何枚か頂いた。 |
別山山頂からの南方面展望:立山と浄土山が広がり、その右手に室堂平も見える。
『立山は富士山、白山と並んで日本三大霊峰の一つに数えられる。庶民に広まった立山信仰は、古来から多く登拝者を集めた。その中核となったのが、山麓にあった岩峅寺と芦峅寺。今もその名を地名に残し、信仰の面影が色濃い。室堂平から一ノ越を経由して、雄山神社峰本社のある雄山を目指した。』by「百霊峰巡礼第一集」。
5:45 | 日の出。別山北峰脇が輝いている。霧が湧いていて日の出は確認できず。剱岳はピンクに染まっている。 |
7:10 | 剱御前小舎発。「点の記」ロケ隊が出発準備中だ。丁度測量士柴崎役の浅野忠信氏が、玄関でゲートルを巻いていたので家内と一緒に撮影。庭先には撮影用の小道具(背負子と荷物)が無造作に置いてあった。 |
7:25 | 別山剣沢分岐。別山に向かい東側のなだらかな尾根を登る。剱沢からのルートと交わる頃、霧を纏った剱岳が見えた。そろそろ見納めだ。 |
7:58 | 別山(べっさん)山頂。2,874m。山頂には大きな祠が石の壁に囲まれて鎮座している。立山(雄山、大汝山、富士ノ折立)、浄土山と合わせて「立山三山」と呼ばれる。その一角だ。立山と浄土山が南に広がっている。 |
8:28 | 真砂乗越。別山からなだらかな尾根を100mほど下る。この先100mほど登り返すと真砂岳だ。山頂に近づくと、大日岳への稜線が馬の背のように伸び、眼下には雷鳥平が広がる。 |
9:05 | 真砂岳(まさごだけ)山頂。2,861m。唯一立山三山に属さず、祠もない。 |
9:40 | 真砂岳と富士の折立鞍部。3,000mの稜線に続く今日一番の登りの開始。石が並ぶ登山道に変わってきた。 |
10:21 | 富士の折立(ふじのおりたて)山頂。2,999m。ルートから少し離れた岩峰が山頂だ。岩場を交互に山頂へ。 |
11:37 | 大汝山(おおなんじやま)山頂。3,015m。立山(雄山、大汝山、富士ノ折立)最高峰。山頂から数十bほど下ると休憩所があり、売店が開いていた。売店前のベンチで休んだ。 |
12:02 | 雄山(おやま)山頂。2,991.6mの一等三角点があり、山定盤と一等三角点「立山」の説明板がある。最高点は鳥居の先の雄山神社峰本社で3003mだが、参拝料が必要なので残念した。立山雄山神社本宮の石碑がある。広い社務所(五ノ越)の前は、沢山の参拝者や登山者が思い思いに休憩中。 |
13:00 | 一ノ越。急なガレ場を行き交う参拝者に混じって一ノ越まで下る。山荘前の広場で休憩していると、黒部平に下る人も幾人か見かけられた。一ノ越からは、広い参道のような石畳の登山道を延々と下る。 |
13:53 | 立山・室堂平。ヨツバシオガマが咲いている。玉殿(たまどの)岩屋を往復した。「天神人祖一神宮」の説明書に由来記が記されている。ここが室堂の始まりの地のようだ。 |
14:30 | 雷鳥荘着・泊。 |
『笠ヶ岳は槍ヶ岳、穂高などが連座する北アルプスの高峰で、麓の本覚寺には播隆上人直筆の登山記「迦多賀嶽再興記」が伝わる。参詣者のために道を開いた播隆は、道標として石仏八体を置いたが、当時の道は荒れ果て全容はいまだ明らかでない。石仏も五体が確認されているだけだ。七月下旬の盛夏、私たちは播隆の足跡を追うように長く急峻な道を踏みしめた。』by「百霊峰巡礼第三集」。
新穂高温泉−お助け風−わさび平小屋
12:21 | 新穂高温泉駐車場発。バス停から500mほど手前の無料駐車場利用。 |
12:34 | 新穂高温泉(登山指導センター)。蒲田川を渡り、林道を歩く。 |
13:28 | お助け風(風穴)。冷風を受け休憩。 |
14:09 | 笠新道登山口。道沿いにタマガワホトトギスが咲いている。 |
14:30 | わさび平小屋着泊。順番に入浴。 |
笠新道から見る槍ヶ岳から北穂高岳への稜線シルエット、朝8時過ぎ。
笠新道から見る穂高連峰から焼岳・乗鞍岳への稜線シルエット、朝8時過ぎ。
わさび平小屋−笠新道登山口−杓子平−笠新道分岐−笠ヶ岳山荘
5:27 | わさび平小屋発。準備運動後出発。ほとんどの登山者は双六方面だ。 |
5:45 | 笠新道登山口。水場がある。石の階段を登る。灌木帯の急斜面をジグザグに登りながら高度を稼ぐ。 |
7:26 | 学生グループ。大学のグループが前を行く。30kg前後のザックだろう。しばらく後を歩き、会話を聞きながら元気を頂く。休憩したので、お先に失礼。樹林が切れると槍穂高から焼岳・乗鞍まで展望できる。 |
9:00 | 2000m草付。ハクサンフウロが咲いている。木陰が少なくなってきた。 |
9:55 | 休憩。槍が小槍まではっきり見える。ハクサンイチゲ、チングルマと群生する花々が多くなった。 |
11:06 | 杓子平。視界が開け、カール地形が広がる。遥かその上に稜線も見える。人影が動いている。コバイケイソウやクロユリが咲いている。 |
11:21 | 水場。冷たい水場を求めて、雪渓のある左手方面も散策。左手方向に稜線に繋がっていそうなトレースがある。旧道のようだ。お花畑を傷つけないように注意して散策後戻る。 |
12:14 | 雪渓の水場。シナノキンバイ、ミヤマキンバイ、タカネヤハズハハコが生き生きと咲いている。 |
13:11 | 笠新道分岐。杓子平からは遮る物が無い南向き急斜面で近くに見える稜線は長く大変疲れた。大休憩だ。杓子平のカール地形全体が見渡せる。学生Gが杓子平に上がってきたのが見える。登山者の動きや景色を十分楽しんだ後出発だ。ここから先しばらくはなだらかな稜線だ。お花と景色を堪能しながらゆっくり山荘を目指す。ミヤマリンドウ、チシマギキョウ、イワカガミ、ミネズオウ、トウヤクリンドウが凛として咲いている。 |
14:11 | 抜戸岩。岩の割れ目を通過するといよいよ最後の登りだ。湧きあがる霧に半分包まれた笠ヶ岳が目の前にどんと構えている。 |
14:52 | 笠ヶ岳山荘。先着の方々が小屋の前で休んでいる。撮影を手伝って頂いた。笠ヶ岳山荘の標高は2,860m、出発地のわさび平小屋の標高は、1,400mなので、本日は、1,460m登った。三大ばか尾根に入るケースもあるこの尾根はやはり長かった。 |
笠ヶ岳山頂:御来光時に、小槍を従えた槍ヶ岳が浮かび上がる。
笠ヶ岳山荘−笠ヶ岳−笠ヶ岳山荘−秩父平−弓折岳−鏡平山荘−秩父沢出合−わさび平小屋−新穂高温泉・深山荘
4:40 | 笠ヶ岳山荘。山頂に向けて出発。 |
5:08 | 御来光。槍ヶ岳付近から太陽が昇り、槍ヶ岳が浮かび上がる。 |
5:24 | 祠(お堂)。播隆上人に由来する笠ヶ岳播隆堂にお参りした。 |
5:27 | 笠ヶ岳山頂。飛騨側に影笠ヶ岳ができている。均整の取れた形だ。 |
6:30 | 笠ヶ岳山荘発。抜戸岳までは槍・穂高を右手に眺めながら、昨日のルートをゆっくりと下って行く。 |
7:37 | 抜戸岳。トウヤクリンドウが岩陰で4輪仲良く咲いている。。 |
秩父平:秩父岩付近から見ると雪渓とお花畑が広がっている。。
大ノマ岳:槍ヶ岳北鎌尾根から西穂高岳までの稜線が展望できる。
8:24 | 秩父岩。秩父平への下り斜面には大きな雪渓が広がり、雪渓を取り囲むようにハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、シナノキンバイが群生するお花畑が点在している。上へ下へと散策しながらお花畑の彩を楽しんだ。 |
8:42 | 秩父平。ミヤマコゴメグサ、ミヤマリンドウが密やかに咲いている。 |
9:27 | 大ノマ岳。間近に迫る槍を背景にコバイケイソウやハクサンイチゲが微風に揺れながら輝いて咲いている。 |
大ノマ乗越。古い標識が案内している。現在地を確認して最後の登りだ。ハクサンチドリやエゾシオガマが心を和ませてくれる。 | |
10:35 | 弓折岳。休憩。雪渓の氷を使ってかき氷を作る。往来が増え、急に賑やかになる。槍ヶ岳が間近に見える。 |
11:25 | 弓折岳分岐。沢山の登山者が行き交い、休憩中だ。標高差1,000mの長い下りが始まる。槍はガスが湧いて見えなくなった。グンナイフウロが咲いている。 |
11:52 | 鏡平山荘。かき氷販売中の目印で迷わず注文。テラスのベンチでのんびりした。ここから先は樹林帯を下る。オオレイジンソウ、ニッコウキスゲが咲いている。登って来た二人組の高年女性の内の一人が、確かこの辺りにあった筈と独り言を言いながら登山道脇の茂みを捜す。そこにはキヌガサソウが数輪咲いていた。 |
12:39 | シシウドヶ原。小休憩。脇の沢沿いには雪渓が残っている。山は中腹より上はガスで隠れた。 |
12:58 | イタドリヶ原。鏡平とわさび平のほぼ中間点。下りも残り約半分だ。 |
13:50 | 秩父沢出合。ここにもまだ雪渓は残っており、雪解け水で水量は豊富だ。ゆっくりと休憩後出発。 |
14:18 | 小池新道入口。広い林道に出た。奥丸山への分岐表示もあるが…。 |
14:40 | わさび平小屋。多くの登山者が休んでいるが、素通り。ツリガネニンジンが伸びやかに咲いている。 |
15:50 | 深山荘着・泊。駐車場先の吊り橋を渡った場所に深山荘はある。 |
『石川・岐阜・福井の三県にまたがる白山。1300年前、高僧・泰澄(たいちょう)によって開山された。修験者のためにつくられた禅定道は、加賀、越前、美濃の三方向から山頂に続き、白山信仰の拠点となった。日本最西端の高山で、「ハクサン」の名を冠した植物も数多い。越前側から「砂防新道」を巡った。』by「百霊峰巡礼第一集」。
整理中。
資料・写真紛失に付、2007年7月21日&22日に登山分の写真を掲載中。
『位山は、飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の標高1,529mの山。 飛騨北部と南部の境界であり宮川と飛騨川の分水界である位山分水嶺の山。 飛騨一宮水無神社の神体である。位山の名前の由来について、朝廷に位山のイチイを笏の材料として献上した際、この木が一位の官位を賜ったことから木はイチイ、山は位山と呼ばれるようになったという説があり、現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されている。古来より霊山とし崇められている。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
『能郷白山は、岐阜県本巣市、揖斐郡揖斐川町と福井県大野市にまたがり、両白山地に属する標高の1,617 mの山。越美山地の最高峰。加賀白山を開いた泰澄上人が、加賀白山の山頂から見渡した時にこの山が目に留まり白山権現の分祀を思いつき、開山し祠を祀ったと伝えられている。山頂に能郷白山神社奥宮の祠があり、白山信仰の山である。能郷谷の麓(能郷)には、能楽堂のある白山神社(白山権現里宮)がある。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
8:45 | 温見峠発。道路肩に5〜6台が駐車している。昭和63年に開設された登山道とのこと。登山口のすぐ上で、花を観察・撮影している若いペアがいた。ユキザサを教わった。 |
12:31 | 温見峠から500m地点。花を撮影しながらのんびり下る。 |
13:00 | 温見峠着。車の半分以上が帰宅。 |
『奥美濃地方の高賀山は、江戸時代に円空仏彫刻で知られる僧円空のゆかりの地にある。高賀信仰には、六つの神社が創建され、六社巡りも大いににぎわった。その一つ、高賀神社奥に位置する登山口から、奥宮ともいえる峰稚児神社を目指した。山頂からは御嶽山、乗鞍岳の展望が広がるが、雲に閉ざされた。』by「百霊峰巡礼第三集」。
『泰澄(たいちょう)大師が最初に修行したという歴史を持つ越知山。泰澄は、二人の弟子と共に、白山を開いたともされる。今も、奥の院、石仏、修行場の遺跡など、信仰にまつわる面影を色濃く残す。清浄の空気に包まれ、展望台からは白山の雄姿も眺望できる。杉木立の中から出発する行者道「泰澄の道」を巡った。』by「百霊峰巡礼第二集」。