女峰山頂展望:南西(左手)から西へ男体山、大真名子山、小真名子山、帝釈山が並ぶ。帝釈山の奥に太郎山。最奥に日光白根山と錫ヶ岳。
月刊山岳雑誌「岳人」に、連載された「百霊峰巡礼」を巡ります。 北は北海道の利尻山から南は沖縄の於茂登岳までの百座です。 巡礼中に出会った自然現象、高山植物や動物たちを紹介しながら 古の人々が畏敬の念を抱いた霊峰を訪ねる旅を紹介します。
旅詳細
参考情報
百霊峰巡礼について |
「百霊峰巡礼」は、栃木県宇都宮市の出身である立松和平氏が執筆し、2004年1月号より月刊山岳雑誌「岳人」に、毎号一座ずつ連載されていた。
私たち夫婦は、多少時間的余裕もできた2006年11月に、東京都の高尾山への巡礼を開始し、既に80座を超えた。巡礼を終えた霊峰を少しずつ報告します。
ただ残念なことに立松和平氏は、73座登頂後、2010年2月に他界された。25座毎に東京新聞から出版されていた「百霊峰巡礼」は、第三集で終了となった。残る27座については、立松氏を偲びながら、昔から信仰の対象とされた山岳の自然と歴史を独自に辿ってみたい。
尚、立松氏未踏の27座は、上記第三集に記載されている百霊峰候補山岳とした。
『山頂には日本三大薬師の一つ米山薬師堂(よねやまやくしどう)が建ち、豊作などを祈願する米山講中の人たちによって古くから登られてきました。』by柏崎市のウエブ。尚、立松和平氏は登っていない。
8:20 | 登山口(573m)発。 |
8:56 | 『泰澄禅師(大師)の豆知識』案内板・分岐。いわかがみ・たにうつぎが咲いている。 |
9:03 | しらかば避難小屋(810m) |
9:46 | 山頂(米山薬師堂・山頂避難小屋・『薬師如来の豆知識』案内板*)。1時間ほど休憩。 |
11:10 | しらかば避難小屋通過。 |
11:30 | 登山口着。 |
*『薬師如来の豆知識』案内板:米山薬師は、病気平癒だけでなく、五穀豊穣を祈る神として各地で米山薬師講が栄えた。又、海の沖合から位置を知る目的にと薬師様が明かりを灯すことで海に関係する人からも篤く信仰されていた。
『 新潟の六日町盆地に位置する八海山。中ノ岳、駒ヶ岳とともに越後三山として、地元の人たちに親しまれる。八海山の名、前の由来は、八つの池が山中にあるからとも伝えられる。木曽・御嶽山の御嶽教の霊地。山頂は連続した峰がつながる。八海山ロープウエイから、薬師尾根道を辿った。』by「百霊峰巡礼第二集」。
8:10 | 山頂駅。 |
8:13 | 八海山遥拝所。八海山頂上遥拝所と書かれ、八海山大神像を中心に、八海山大神と木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ:天照大神の孫・ニニギノミコトと結婚し、ホデリ・ホスセリ・ホオリの三柱の子を産んだ。ホオリの孫が初代天皇の神武天皇である。)と書かれた碑が建っている。 |
9:19 | 女人堂。昔の女人禁制の場所で、女人堂はりっぱなログハウスの休憩所だ。八海山大神と刻まれた石碑が立っている。この先の登山道脇にウラジロヨウラクが咲いていた。 |
10:09 | 薬師岳。前方に千本檜小屋が見え、その背後に岩尾根が見える。あれが八海山(八ッ峰)だろう。 |
10:20 | 千本檜小屋。休憩。 |
10:40 | 地蔵岳。家内と分かれ稜線を辿る。 |
10:42 | 不動岳。「これから先は鎖場の連続。非常に危険です。…」の案内。 |
11:08 | 七曜岳?(五大岳)。 |
11:16 | 白川岳(釈迦岳)。 |
11:26 | 摩利支岳。前を行く単独男性と5mほどの距離をあけながら着実に前進。 |
11:39 | 大日岳・八海山山頂。天照大神、開山霊神が祀られている。前から来た単独男性の情報だとこの先の迂回路は通行止めらしいので岩尾根を戻る。八峰分岐から迂回路へ下り、家内と合流。タニウツギが見事だ。新開道から中年女性が2人登ってきた。 |
12:20 | 千本檜小屋。休憩。 |
13:10 | 女人堂。 |
14:10 | さんちょう駅。ギンリョウソウ有。 |
『 茨城、栃木、福島の三県の県境に聳える八溝山は、茨城県では最高峰の山だ。久慈川の源流部に位置し、金性水、鉄水など名水百選に選定された豊かな湧水群がある。山林修行者によって古くから開かれ、山中には坂東二十一番札所の日輪寺が静かにたたずむ。八溝嶺神社が建つ山頂からは、関東平野が一望できる。』by「百霊峰巡礼第二集」。
7:03 | 日輪寺入口駐車場発。 |
7:30 | 妙見菩薩。菩薩の祠にお参り。 |
7:41 | 金性水(きんしょうすい)。五水と呼ばれる八溝川湧水群(日本名水百選)があり、八溝川の源流を形成している。八溝川にはムカシトンボの幼虫が生息しているとのこと。 |
7:45 | 鉄水(てっすい)。五水の一つ。 |
8:06 | ブナの大木。八溝山の樹木はブナ、ダケカンバ、カエデ、ミズナラ、スギなどで、保護林の八溝山天然林があるとのこと。湧水も納得だ。 |
8:08 | 銀性水(ぎんしょうすい)。五水は徳川光圀公が命名したそうだ。 |
8:15 | 八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)。鳥居の脇に農耕神への供養のコンクリート製の白馬が奉納されていた。 |
8:21 | 八溝山山頂。 |
9:11 | わさび畑。清水で育つと言われるわさびが栽培されていた。 |
9:42 | 白毛水(はくもうすい)。五水。 |
9:54 | 龍毛水(りゅうげすい)。五水。 |
10:30 | 日輪寺入口駐車場発。 |
『 「古事記」や「日本書記」にも登場する筑波山。男体山、女体山の二つの峰が連なり、男女二神が祀られる。登山道では、ガマ石、弁慶七戻り、出船入船の奇岩怪石が出迎える。ケーブルカーに乗れば、一気に山頂近くまで辿り着けるこの山は、大衆に愛された山でもあった。』by「百霊峰巡礼第一集」。
12:50 | 神社入口駐車場。 |
13:03 | 筑波山ケーブル。降りると稜線だ。 |
13:23 | 男体山御本殿。筑波男ノ神(つくばおのかみ)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が祀られている。 |
13:25 | 男体山山頂。 |
13:34 | 御幸が原。土産物店が多い。 |
13:44 | 横瀬夜・雨の碑。 |
13:49 | ガマ石。小石を投げて口に乗ると、運が向くそうだ。月刊岳人誌にバッチ応募用の写真撮影。 |
13:59 | 女体山御本殿。筑波女ノ神(つくばめのかみ)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られている。 |
14:01 | 筑波山山頂。大きな岩の山頂で、展望を楽しむ人が沢山休憩中だ。 |
14:20 | 大仏石。大仏のように見える。高さ15m。出現続く奇岩を見て楽しんだ。 |
14:25 | 北斗岩。北斗星のように、決して動かないことを意味しているそうだ。 |
14:29 | 裏面大黒岩。大黒様が大きな袋を背負っているように見える。 |
14:30 | 出船入船。出てゆく船と入ってくる船が並んでいるように見える。 |
14:32 | 母の胎内潜り。岩を抜けることで、生まれた姿に立ち返るとのこと。 |
14:43 | 高天原。高天原とは「神様の世界」のこと。天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る稲村神社がある。 |
14:37 | 弁慶七戻り。頭上の岩が今にも落ちそうで、弁慶も七戻りしたとか…。 |
14:40 | 弁慶茶屋分岐。帰路は樹林帯の中を白雲橋コースを延々と下る。 |
15:11 | 分岐。筑波山ロープウエイの麓側の駅から山腹を巻いてくる迎場コースと合流する分岐だ。 |
15:30 | 神社入口駐車場。 |
中の大倉山からの展望:左に朝日岳、真中付近が清水平、右に赤面山が広がっている。
『 那須五峰に代表される那須岳。雄大な風景が広がり、主峰の茶臼岳は白い噴煙を上げる。周辺は温泉地として賑わいをみせるが、その温泉が古くから信仰の対象となってきた。ロープウエイの開通により、信仰の道も姿を変えた。峰の茶屋から朝日岳を経由して茶臼岳を巡った。』by「百霊峰巡礼第二集」。
6:30 | 北温泉入口駐車場。一端、北温泉のある沢底に下る。 |
6:40 | 北温泉。沢を渡って登り返す。樹林帯の中でツクバネウツギが咲いている。一登り後尾根に出ると、満開のシロヤシオツツジが迎えてくれた。 |
7:48 | 中の大倉山。中の大倉尾根から見る朝日岳はアズマ石楠花のピンクとマッチする。足元にツマトリソウ。 |
9:25 | 赤面山分岐。 |
9:45 | 三本槍分岐。 |
10:12 | 清水平。 |
10:56 | 朝日岳山頂。寄り道だし、すでに何度も登っている人はスキップし、希望者のみ往復。 |
11:30 | 峰の茶屋跡。茶臼岳の裏面はいたる所で水蒸気が噴出している。上がる蒸気で温泉玉子を調理中の鍋が…。無限地獄の蒸気がいつになく大きく上がっているように見える。 |
11:55 | 牛首。牛首を過ぎ稜線に入ると灌木対となる。ムシカリが咲いている。 |
12:17 | 日の出平。ミネ桜が咲いている。携帯用の茶道具で、お茶をたて頂く。脇にはハルリンドウが咲く。 |
13:35 | 牛首。 |
14:00 | 峰の茶屋跡。 |
14:40 | 峠の茶屋。 |
15:10 | 大丸温泉。いつもは歩くことのない車道を歩き下って、出発地点へ。 |
15:35 | 北温泉入口駐車場。 |
『 庚申山の一帯は、日光修験道の修験地だった。今も、開祖とされる勝道上人の行場跡が残る。江戸後期、滝沢馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の中に登場し、一躍有名になった。庚申信仰が盛んになり、関東一円から登拝者が集まった。奥の院は、親しらず子しらず、鬼の耳こすりなど奇岩怪岩が林立する。』by「百霊峰巡礼第一集」。
8:25 | 駐車場。ゲートを通ると林道歩き。 |
8:50 | 抗夫滝。付近の断崖を沢に下る釣り人を見かけた。人がいかないので良く釣れるのだそうだ。 |
9:22 | 一の鳥居。林道終了。休憩に最適。 |
9:56 | 百丁目。奥の院は百十四丁。 |
10:03 | 鏡岩(孝子分れの処)。遭難した猟師が、娘を嫁に出すことを条件に猿に助けてもらった。末娘を猿の嫁に出し後、この地でやっと会えが、娘はもう人間の姿ではなかったため親子涙で別れたとのこと。 |
10:14 | 夫婦蛙岩(めおとかえるいわ)。家庭円満を尊ぶ。 |
10:25 | 仁王門。庚申山の守護神。 |
10:39 | 勝道上人・大忍坊碑。 |
10:41 | 猿田彦神社跡。案内板のお山巡りと庚申山荘との分岐。お山巡りへ。 |
10:51 | 嶺峯山荘。宇都宮大学ワンダーフォーゲル部と書かれた山荘だ。 |
11:21 | 長い梯子。 |
11:33 | 吊り橋。 |
11:41 | 屏風岩。そそり立つ岩の脇を歩む。 |
11:51 | 馬の背。狭い岩稜だが、鎖の手すりがついているのでやや安心。 |
11:53 | 鬼の耳すり。鬼のひげすり、とも。 |
11:57 | 相生の滝。鎖と鉄梯子がある。 |
11:58 | めがね岩。自然の奇岩だ。 |
12:15 | 親知らず、子知らず。 |
13:06 | 庚申山頂。岳人誌指定のポーズで撮影。この山頂は樹林の中で展望は無い。鋸岳方面に移動すれば、皇海山も見えるがスキップ。 |
13:54 | 胎内くぐり?。お山巡り分岐。 |
14:20 | 庚申山荘。かつて鋸から皇海を往復した時に、絶滅危惧種のコウシンソウ調査の人たちとこの山荘に同宿した。その夜、沢山の鹿が出没したのを思い出した。人間の排泄物に含まれるミネラルを求めているそうだ。ところで、特別天然記念物で絶滅危惧種に指定されているコウシンソウは何度か見にきた。極小さな食虫植物だが、成長すると茎が伸び反り返って種子が岩に届き、子孫を残す。 |
2007年6月23日14:00撮影。お山巡りのカマ石付近。
2007年6月23日12:21撮影。お山巡りの祠前にて。
14:28 | 猿田彦神社跡。14:39仁王門。 |
14:52 | 鏡岩。 14:56百丁目。 |
15:31 | 天狗の投石(てんぐのなげいし)。男体山の神と赤城山の神が戦った時、赤城の神が投げた石が力不足で、ここに落ちたとの話だが…。 |
16:12 | 駐車場。 |
男体山山頂からの眺望:眼下に中禅寺湖、その後方に半月山・社山・黒檜山、庚申山、袈裟丸山が並ぶ。
『 私にとって故郷の山とは、日光の男体山である。男体山は、観世音菩薩が応現する浄土。自然の摂理が人格化された神となったとすれば、山それ自体が神なのであった。自然の摂理に抱かれ山霊と感応する登山は、厳しいものであった。一歩一歩山頂を目指すと、いつしか修験者と一体になっていく。』by「百霊峰巡礼第一集」。
中禅寺湖畔にある二荒山神社中宮寺の登拝門から登山道が始まっているが、今回は修験者が利用したと言われる志津乗越にある志津小屋から巡礼した。
8:15 | 志津乗越駐車場。 |
8:20 | 志津小屋。 |
8:48 | 3合目。休憩。一部化沢沿いの道。 |
9:23 | 5合目。休憩。急こう配が始まる。 |
10:32 | 9合目。急登は終わり、ここからはなだらかな稜線が続く。太郎山が丁度登ってきた方角に見えている。 |
10:46 | 男体山山頂。コンクリート製の鳥居の後ろに日光二荒山神社奥宮の石碑があり社務所も建っている。青銅製の二荒山大神が南の方角を向いてしっかと立っている。山頂の大岩からは3mを超える神剣が突き出ている。この神剣は、2012年3月に折れているのが発見され、同10月に新たに奉納されたので、写真の神剣は折れる前の物。中禅寺湖が眼下に静かに広がっている。男体山も中禅寺湖も日光二荒山神社の御神体だ。山頂で昼食などゆっくりしてから下山。 |
2010年8月末に訪れた時には、9合目-7合目付近にオヤマリンドウ、ノアザミ、コケモモの赤い実、ウメバチソウ、キオンなどが見られた。 |
13:15 | 志津小屋。ログハウス風の小屋を見学。内部は2階建てでテーブルや床などを含め全体にしっかりした建てつけだ。脇には水場もある。 |
13:25 | 志津乗越駐車場。 |
女峰山頂の展望:南西から西へ男体山、大真名子山、小真名子山、帝釈山が並ぶ。右奥に日光白根山と錫ヶ岳。
一里曽根からの展望:女峰山に続く尾根が西から南に折れて連なっている。
『 男体山を父、太郎山と大真名子、小真名子を子供に見立てたところから、母となってその名がついた女峰山。日光修験の行者は、季節ごとに厳しい峰修行が課された。入峰行事はかつて、「三峰五禅頂(さんぶごぜんちょう)」と呼ばれた。男体山のちょうど北側に位置する志津乗越から、馬立を経由して山頂を目指した。』by「百霊峰巡礼第二集」。
2008年7月の登山記録(志津乗越-馬立経由)を紛失したため、2006年の記録(霧降高原-赤薙山経由往復)を掲載。
6:40 | 駐車場。リスト横を歩く。ウツボグサが咲いている。 |
7:24 | 小丸山。1ピッチ後の休憩で、衣類・ザックなど整える。尾根を登る。ギボウシ、オヤマリンドウ、マルバタケブキなどが咲いている。 |
9:15 | 赤薙山山頂。鳥居の神額に赤薙神社と記載。少彦名命を祭祀する。 |
10:40 | 赤薙奥社跡。 |
12:04 | 一里ヶ曽根(独標)。女峰山に続く尾根が西から南に折れて連なっいる。 |
14:20 | 女峰山頂。山頂の社殿には、田心姫命(たごころひめのみこと)が祀られている。山頂の岩陰にトウヤクリンドウが咲いていた。急峻なガレ場を下って、避難小屋に向かう。 |
14:55 | 唐沢避難小屋着泊。ツェルトでの簡易トイレや往復20分ほどかかる水汲みなど手分けして作業後食事。この場所は、日光修験の禅頂道の「唐沢宿」であったそうだ。 |
5:30 | 唐沢避難小屋発。 |
6:50 | 女峰山頂。空気が澄んで展望が利く。南西から西へ男体山、大真名子山(おおまなごさん)、小真名子山(こまなご)が並ぶ。右奥のひと際高い山がに日光白根山で錫ヶ岳(すずがたけ)への稜線が延びているのが確認できる。有志2名が帝釈山往復。 |
8:08 | 一里ヶ曽根水場。適度に水量があり日影。先行組と合流し休憩。赤薙山を通過し、日当たりのよい尾根の下りは、ツリガネニンジン、シモツケソウなどが花盛り。 |
11:20 | 小丸山。リスト営業中なので利用し、お花畑を見学。 |
11:40 | 駐車場。 |
掃部ケ岳への稜線からの展望:榛名富士の前に榛名湖が広がる。両者を取囲むように外輪山が連なっている。
『 榛名山は、関東地方の北部の群馬県にある上毛三山の一つであり、古来山岳信仰を受けてきた山である。山の南西麓に榛名神社が祀られている。信仰としては、有名なところだけでも榛名神社、水沢観音といった寺社が山中にある。
山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士(標高1,390.3m)がある。495年頃(早川2009)と約30年後に大きな噴火をしたと見られている。』by「ウィキペディア」。尚、立松和平氏は未踏。
6:00 | 榛名湖温泉「ゆうすげ元湯」発。朝食は7時過ぎなので、食事前に宿の裏手にある榛名富士を目指した。 |
6:43 | 榛名富士山。朝早く榛名山ロープウエイも稼働前なので、登山者は見かけず。榛名富士神社に参拝。 |
7:15 | 榛名湖温泉「ゆうすげ元湯」着。汗を流し朝食。 |
9:30 | 榛名湖温泉「ゆうすげ元湯」発。車で榛名湖を半周して登山口へ。 |
10:00 | 記念公園駐車場発。往路は直登し、帰路は覗岩経由ルートを選択。 |
10:23 | 分岐。掃部ケ岳への稜線から振り返ると榛名富士と榛名湖が広がる。両者を取囲むように外輪山が連なる。 |
11:37 | 掃部ケ岳山頂。榛名山の最高峰だ。榛名湖側は樹林帯。反対側は開けているが春霞で遠望良くない。稜線を下ると榛名湖が姿を見せた。 |
12:18 | 硯岩。自然石とは思えない整った岩が重なり合って積みあがっている。榛名湖畔の車道に下り、こぎれいな食堂があったので昼食。 |
13:15 | 記念公園駐車場着。 |
地蔵岳山頂から展望:黒檜山の前に大沼(おの)が広がる。左手奥(北)には武尊山が遠望できる。
『 関東平野に悠然とそびえる赤城山。黒檜山、駒ヶ岳、地蔵岳などの峰が連なる。その間には大沼、小沼があり、滝や渓谷をつくる。上州の人たちが、水の恵みを願い、豊作を祈った赤城神社。全国に四百社ともいわれる末社を持つが、観光開発の波に揺られ続けた。』by「百霊峰巡礼第一集」。
赤城山の最高峰は黒檜山である。立松氏は黒檜山を目指そうとしていたが、悪天候のため地蔵岳を登頂した。従って「岳人」誌への投稿も地蔵岳に於ける写真が求められたので、我々も地蔵岳登山とした。
10:40 | 大洞登山口発。 |
11:06 | 大洞登山口分岐。大きな木が赤い実を沢山付けている。登って来た方角に黒檜山が迫っている。 |
11:42 | 地蔵岳山頂。地蔵岳山頂から展望:黒檜山の前に大沼(おの)が広がる。左手奥に武尊山が遠望できる。 |
12:52 | 大洞登山口分岐。 |
13:07 | 地蔵岳・少年自然の家登山口。 |
大のぞきの展望:右手にこれから向かう天狗岳の絶壁、中央に金鶏山(856m)から金洞山に連なる岩稜が並ぶ。
『 切り立つような奇岩が林立する妙義山。白雲山、金洞山、金鶏山の三峰が連なり、九州の耶馬溪、四国の寒霞渓とともに、日本三奇勝の一つに数えられる。群馬県内では赤城山、榛名山とともに「上州三山」と称される。妙義神社から木々の中にぽっかりと浮かぶ「大」の字を経由して、奥の院を目指した。』by「百霊峰巡礼第二集」。
8:04 | 妙義神社駐車場。全員揃うのに若干時間を使う。十分準備体操後出発。 |
9:18 | 大の字岩峰。長い鎖を辿って岩峰の上へ。2mほどある「大」の字が鉄フレームに支えられて建っている。 |
10:09 | 奥の院・鎖場。祠通過後、見上げる鎖場。傾斜がきついのと濡れているので、先導はザイルを取り出しいつでも使用可能にして行動する。3連の鎖が30m続くも、全員無事通過。 |
10:30 | 見晴。しばし緊張から解放され岩尾根の上で休憩。岩尾根の先からギザギザした裏妙義が良く見える。 |
10:45 | ビビリ岩。急角度の岸壁を3連の鎖を伝ってビビり岩を登りきった後稜線を進む。「白雲山頂」の標識は見つけられず。樹林帯を下る。高度感は感じられない。「玉石」の案内板があるが、スキップ。鎖に沿って岩を巻き、下降しさらに登り返す。 |
11:18 | 大のぞき。岩尾根の先端部に「御嶽三社大神」ときざまれた石碑が建っている。大のぞきからの身の毛がよだつ展望は、右手にこれから向かう天狗岳の絶壁、中央眼下に金鶏山(856m)から金洞山に連なる岩稜が並び、高度感に満ちている。 |
11:31 | 30m鎖場。スラブ状の岩壁に長い鎖が延びている。途中で鎖は固定されているが兎に角長い。途中立ったまま軽い休憩は可能だが…。9名が間隔を取っておりるので結構時間を使う。天狗岳へと登り返し。 |
12:52 | タルワキ沢。計画していた相馬岳への往復は取りやめ、タルワキ沢を中間道へ下り、狭い道を延々歩く。 |
14:51 | 妙義神社。全員無事の報告。 |
剣ヶ峰から南展望:遠くに霞むるように山地が見えている。雲取山や甲武信ヶ岳付近が見えているのだろうか?
『 両神山は三峰山、武甲山とともに「秩父三山」と称され、鋸歯状の頂部が特徴だ。山名の由来はイザナギ、イザナミの二神が祀られているからとの伝えもあるが、八日見山、竜頭山、鋸山などの別名もあり、古くからの人々の信仰を集めてきた。夏の気配を感じる五月中旬、私たちは新緑まぶしい登山道を踏んだ。』by「百霊峰巡礼第三集」。
8:45 | 登山口駐車場発。トイレを利用し、準備体操後、両神山荘に立寄り駐車料金500円を支払い出発。 |
8:51 | 両神山・芳正霊神、子女霊神石碑。9:06鎖場。 |
9:20 | 会所。トラバースしながら、支稜をいくつか超えて、やや大きな谷を横切った後、谷筋を進む。上級者向けの「七滝沢コース」分岐。我々は、さらにトラバースして産泰尾根(うぶたいおね)の稜線を超え、隣の沢へ。 |
10:20 | 八海山。1ピッチ10分休憩。(清滝小屋0.8km、地点)1時間半ほど休まずに歩いてきた。今まで誰とも会わなかったが、休んでいると、ダブルストックのペアが一組、標識前で立ち止まって話し合った後、追い越して行った。さらにそのあと、6人組みの男女グループが、標識付近で休憩を始めた。結構登ってくるものだ。 |
10:37 | 白藤の滝分岐。分岐標識がある。山と高原地図には、記載されている。時間に余裕無いのでスキップ。 |
10:51 | 弘法の井戸通過。「弘法の井戸」標識棒の横で、湧水がパイプから流れている(写真手前)。沢筋ではないので湧水にしては不思議な場所ではある。通常は石積の位置(写真奥)から流れているようだ。 |
11:00 | 清滝小屋。2階建の大きな清滝小屋に着いた。避難小屋として利用可能との掲示有。右手のトイレ側には、5〜6台ある大きなテーブル付ベンチで、登山者が思い思いに休憩中。 |
11:50 | 横岩。祠が祀られている。 |
12:03 | 両神神社鳥居。イザナギ、イザナミの二神が祀られている。両神山御嶽神社参拝。 |
12:43 | 両神山山頂・剣ヶ峰着。展望が効く。やまなみが霞んで見えている。視程が横れば、雲取山や甲武信ヶ岳、遠くには八ヶ岳や富士山も確認できるようだ。 |
13:15 | 両神山山頂付近ベンチ発。 |
13:52 | 産休尾根。 |
14:00 | 清滝小屋着。復路は8分ほど休憩。 |
14:27 | 八海山。日向大谷へ3.1km。ここからの谷沿いは黄色に彩られている。 |
15:05 | 会所通過。 |
15:33 | 日向大谷登山口着。両神山荘と駐車場が見えてきた。 |
15:40 | 日向大谷・両神山荘駐車場発。 |
16:35 | いこいの村ヘリテイジ美の山着。今日の宿泊予約地。 |
金峰山への稜線から南側展望:左手に大きく富士山が構え、その右手に見えているのは七面山だろうか。
金峰山への稜線から南東展望:左手奥遠くに微かに富士山、中央に七面山らしき山塊、右手奥に南アルプス。
金峰山頂からの展望:遠くに雲に隠れそうな霞む富士山、五丈石の右奥に南アルプスや鳳凰三山の連山、その右に八ヶ岳連峰。八ヶ岳連峰の手前下方には、瑞牆山が白い岩の塊となって見える。
『 2,000bから2,500bの山々が連なる奥秩父山地。主峰の金峰山は、かつて、「西の大峰、東の金峰」として、平安中期から後期にかけ、大いに栄えた歴史を持つ。今も古の修験道が、その名残を刻んでいる。山頂に鎮座する御神体とされる五丈岩。山伏たちが歩いた表参道を辿った。』by「百霊峰巡礼第二集」。
8:54 | 大弛峠駐車場発。混雑していたがようやく駐車できた。峠は標高2,365mで、金峰山山頂との差は220m余りしかないのでのんびり歩きたい。 |
9:55 | ピーク。東西に延びる尾根を東から西に渡って行く。左手(南)に時折大きな富士山が展望できる。富士山まで60km弱で、空気が静かな午前中の展望は良好だ。 |
10:01 | 富士山展望。冠雪した富士山がくっきり見える。その右に見えるのは七面山の山塊だろうか。 |
10:07 | 朝日岳。2,581m。大きな山頂標識はあるが、展望はない。 |
10:13 | 富士山展望。尾根筋から光を浴びる富士山がところどころで姿を現す。 |
10:44 | 富士山展望。 |
11:16 | 金峰山頂着。五丈石の北側に赤い鳥居が建っている。日本百名山らしく多くの登山者が北側広場で休憩している。五丈石の南面には方八尺の正殿と方三間の拝殿があり、鉄杖、剣、経筒、焼鎌が納められていたそうだ。三角点や最高点がそれぞれ山頂付近に広がっている。山頂からは、遠くに雲に隠れそうな霞む富士山、五丈石の右奥に南アルプスや鳳凰三山の連山、その右に八ヶ岳連峰。さらに八ヶ岳連峰の手前下方には、瑞牆山(瑞牆山)が白い岩の塊となって見える。 |
12:08 | 金峰山頂発。山頂を振り返るとなだらかな尾根筋が綺麗にのびているのがわかる。 |
12:38 | 鉄山分岐。林の中で展望は無い。帰路は富士山の周りに雲が湧き、展望は今一つ。ひたすら歩いた。 |
14:35 | 駐車場着。 |
14:50 | 紅葉。帰路の林道では、白樺の葉が色付き、唐松の紅葉が始まって光に輝いていたので、思わず車を止めて見入ってしまった。 |
『 日本の山村の原風景が、今も残る埼玉県の秩父。三峰神社の本宮から、妙法ヶ岳、白岩山、雲取山と山々が連なる。三峰山は、神の使者「御眷属」として、オオカミ「お犬様」が信仰を集める。檜が植えられた登山道は、山気濃い。神社奥宮が祀られる妙法ヶ岳を巡った。』by「百霊峰巡礼第一集」。
『三峰とは、妙法ヶ岳(みょうほうがたけ)、白岩山(しらいわやま)、雲取山(くもとりやま)の3つの峰が美しく連なることから呼ばれます。』と、三峯神社の説明にある。三峯神社の標高は、1,120mとされているので、三峯神社に参拝すれば、巡礼したことになるのかとも思うが、立松氏は三峯神社奥宮が祀られ三峰の一座である妙法ヶ岳を巡礼しているので、我々も車で到達できる三峯神社から妙法ヶ岳を目指した。
10:44 | 奥宮参道入口。奥宮参道入口と刻まれた4m ほどの高さの石碑が建っている。ここが奥宮の出発点だ。 |
10:52 | 妙法ヶ岳入口・鳥居。額束の額に『奥之宮』と書かれた白い鳥居に向けて分岐する。霧藻ヶ峰/雲取山方面への短絡路と別れる。 |
11:13 | 奥宮分岐。再び霧藻ヶ峰/雲取山方面への道との分岐だ。奥宮側には5mほどの木の鳥居が建っている。 |
11:49 | 鳥居。東屋の先に白いりっぱな鳥居が建つ。この付近は1日山影になるのか薄らと雪が積もったままだ。 |
12:00 | 木の鳥居。額に『奥宮』と書かれた3mほどの古びた木の鳥居だ。木製の階段を下り石の階段を登り返す。 |
12:12 | 奥宮。階段のある1mほどの台の上に石造りの祠が祀られている。お参りした。近くの石碑の周りに三峯神社の守護神とされるオオカミの石像が沢山並べられている。オオカミが三峯神社の眷属とされているのだ。 |
13:38 | 奥宮分岐。霧藻ヶ峰/雲取山方面への短絡路まで戻った。 |
14:05 | 奥宮参道入口。軽井沢にある健保組合の保養所しらかば荘へ向かう。 |
武甲山山頂からの北側眺望:、秩父や長瀞の街並みが眼下に広がり、遥か遠くに雪を頂いて白く輝く、浅間山や谷川連峰の山並が連なる。その手前には、妙義山、榛名山、赤城山の上州三山が構えている。。
『 秩父地方のシンボルである武甲山。石灰岩の採掘で、山容が変貌していった苦い歴史を持つ。山頂は金網が張り巡らされ、眼下は岩肌の荒涼とした風景が広がる。しかし、秩父夜祭に代表されるように、今も秩父の人たちの心のふるさとだ。表参道から山頂に至る登山道は、見事な杉木立が林立していた。』by「百霊峰巡礼第一集」。
武甲山の北面は石灰岩の採掘場で登山道は無い。南面側は大きく3ルートある。我々は、南東から登る立松氏と同じ御嶽神社表参道ルートを往復した。
8:05 | 一の鳥居登山口。車を駐車し、狛犬に守られた鳥居を通過して出発。一の鳥居が1丁目で、御嶽神社が52丁目だそうなので、丁目石に気を配れば、現在地の良い目安になる。15丁目までは谷沿いの平坦な参道を進む。18丁目が水場(不動滝)だ。 |
9:29 | 武甲山御嶽神社参道石碑。背丈よりも高いりっぱな石碑が建っており、武甲山御嶽神社参道と刻まれている。石碑の脇に20丁目石もある。 |
10:00 | 大杉の広場。杉林の中の広場だ。32丁目。大きな杉が真ん中にある。 |
10:24 | 階段・一般コース分岐。42丁目。階段は避け、右手の一般コースへ。 |
10:47 | 御嶽神社。52丁目。お参りする。 |
10:55 | 武甲山山頂着。北側は採掘場があり、切れ落ちている。その分手すり越しに、秩父や長瀞の街並みが眼下に広がり、遥か遠くに雪を頂いて白く輝く、浅間山や谷川連峰の山並が連なる。その手前には、妙義山、榛名山、赤城山の上州三山が構えている。景色を堪能。 |
11:23 | 武甲山山頂発。 |
13:03 | 不動の滝。18丁目。冬場で水量も少ないのだろうが、迫力はない。貴重な水場になっている。 |
15:30 | 一の鳥居登山口。 |
唐松尾根から南アルプス北部の眺望:冠雪した農鳥岳・間ノ岳・北岳・甲斐駒ヶ岳、手前に鳳凰三山の山々。
雷岩からの眺望:富士山が広い裾野を広げて立ち上がって見える。右手には南アルプス・鳳凰三山の峰々。
『 中里介山の小説「大菩薩峠」の書き出しでも知られる大菩薩嶺。中央本線沿いに位置し、首都圏からのハイカーにも人気が高い。山上に立つと、甲府盆地が足元にかすむ。南アルプス、北アルプスの峰々を遠く望み、目の前には秀麗な富士山が広がる。雷岩(かみなりいわ)、神部岩(かんべいわ)を経由して、大菩薩峠を目指した。』by「百霊峰巡礼第二集」。
14:23 | 富士見山荘跡。木製の広いテラスが残っている。ベンチに座ってしばし富士山の端正な姿を楽しんだ。 |
15:23 | 上日川峠。 |
『 御正体山は道志山塊の最高峰。山体は東西に五キロに及ぶ。十九世紀の文化年間、諸国を行脚していた妙心法師が、この地を修行の場として山を開いた。妙心法師は、上人堂に籠り、座禅・断食し、ミイラとなって入滅した。即身仏は故郷に安置される。山頂南部からは富士山は望める。』by「百霊峰巡礼第一集」。
9:20 | 馬道登山口発。沢にかかった滑りそうな丸太橋を慎重に渡る。 沢沿いの落ち葉でふかふかな明るく穏やかな登山道を登っていく。 少広場で清水がちょろちょろと流れる『龍の口』に出た。 |
9:30 | 龍の口。『龍(たつ)の口の由来』の説明が表示されている。 コースは沢を外れ、登り始める。 |
9:45 | 展望台。路傍に石像が設置されている。地蔵か観音様に見える。像の右に三十二番と彫られている。 時折、展望が開け近くの山が見る。杓子山だろう。その奥の富士山は、ガスが濃く見えない。 |
10:04 | 上人堂跡通過。 この広場には、土台石のような石や、『御正体山上人堂(御堂)跡』の標識の他に、『妙心法師入定の遺跡』と彫られた立派な石碑が建立されており、その横に、法師様のような石像も立っている。さらに平成16年10月15日に皇太子殿下が訪問した旨の表示板が立てられていた。 落ち葉の多い明るい斜面を登っていくと、尾根筋に出た。 |
10:26 | ベンチ・文台山(大野山)方面分岐。尾根筋に古いベンチが設置されていて、前が開けている。富士山が正面に見えるのだろうが、濃いガスで残念ながら何も見えない。
10bほど先に、道標があり、左手方面が『文台山(大野山)方面』との表示。御正体山は右手方面だ。 尾根筋は、なだらかに変った。 |
10:43 | 細野分岐。なだらかな尾根道を調子よくすすむと、再度分岐標識が現れた。峰を越えて行く方角が『細野(三輪神社)』と記載されている、これも新しく立派な標識だ。 古いベンチが設置されている。 |
10:45 | 峰神社(峰宮)跡。『峰神社』の標識がある広く平な場所についた。小さな祠が1社と灯篭風の石が2個ある。お参りして出発。なだらかな尾根を進むと、霧氷地帯に突入した。周りは深い霧で、幻想的だ。 |
11:14 | 御正体山山頂着。あっけなく着いた感じ。誰もいない。芝生状の広場の中央に真新しいベンチがあり、広場の隅に赤い屋根の小さな祠がある。 天候不良なので、即下山も考えたが、風がなく霧なのと、誰もいない気軽さもあって、昼食とした。アルファ米に牛丼を試食。牛丼は十分な味付けだったが、量は少なめだった。 反対方向から男性が3名が登ってきた。今日初めて会う登山者だ。道坂トンネルからか、白井平からだろう。結構長かったと話しながら到着したので、3時間ほどかかる道坂トンネルから登ったか。11:50発。 帰路、霧氷の写真を撮影した。氷の着き具合から推測すると、この尾根には北東の風が当たっているようだ。 |
12:24 | 上人堂(御堂)跡通過。霧雨から本格的な雨になってきた。 |
12:35 | 32番観音像。道端の石像は、観音像だと帰宅後分かった。全部で33体あり、33体目は上人堂の像とのこと。江戸時代に設置された像は、明治の廃仏毀釈によってそのほとんどが首をとばされ、現在の像は、御正体山史跡保存会が立てたようだ。 下りには、この観音像をできるだけ見つけながら歩いた。 |
12:39 | 龍の口。32番観音像から5分かからずに降りてきた。上りは15分ほどだったからかなり早い。集計タイムは、のぼりは、ガイドブックの標準コースタイムと同じ1時間45分なのだが、下りは標準より20分早い1時間だった。上りも下りもほとんど休憩を取らなかったので、結構早く行動している。時間に余裕ができると行動と心にも余裕ができる。 |
12:40 | 31番観音像。 |
12:41 | 30番観音像。 |
12:45 | 29番観音像。31番観音像、30番観音像、29番観音像と次々に現れた。観音像はそれぞれ右手の手のひらを前に向け、左手に水瓶を握っている。29番観音は丸太橋手前にあった。 |
12:47 | 馬道登山口着。計画の1時前に登山口に到着。池の平から馬道までの林道に侵入でき、往復1時間は稼げた。元々道坂トンネル口より往復する計画で下山が4時頃だったので、大きな時間的余裕ができた。本降りになってきたが、クールダウンして一路山中湖の保養所に向かう。 |
12:55 | 馬道登山口発。池の平は、朝通過だったので、帰路立ち寄った。 |
13:06 | 池の平。『御正体山登山道案内』と書かれた案内地図や御正体山の登山道を示す道標、さらに『御正体山登山道』と刻まれたりっぱな石碑が建てられている。山頂や御堂跡に表示されていた『皇太子殿下御登頂』の標識板がここにもある。各標識の整備は、この殿下効果なのだろう。平成16年登頂なので、5年経っていて、少し痛んできてはいる。 そして、今までと同じ格好をした17番目の観音様がここにもあった。釣り堀の上にある御正体神社の里宮に1番目の観音様があると、立松和平は書いている。次の機会には、1番から28番の観音像を確認してみたい。 |
『 御岳山は古来から「武蔵の国の神が天下る山」だった。山頂の武蔵御嶽神社は、農耕の神として、関東一円の人たちの信仰を集めた。「御師」と呼ばれる人たち。今もなお、神への案内人として暮らし続ける。山へ誘うケーブルカーから降り立つと、そこは、「天空の隠れ里」であった。』by「百霊峰巡礼第一集」。
整理中。
8:54 | 登山口(参道入口)発。蝋梅。 |
9:12 | 神代欅。 |
9:28 | 御岳山神社。すみれ。 |
10:09 | 鎖トラバース。 |
10:26 | 祠。 |
12:32 | 大岳山神社奥宮。 |
12:48 | 大岳山山頂。 |
14:00 | 禊の門。 |
14:28 | 七代の滝 |
15:06 | 神代欅。 |
15:20 | 登山口(参道入口)着。 |
15:30 | ケーブルカー降車口。 |
『 東京都心からも近い高尾山。山頂付近からは、関東地方が一望できる。日本一勾配の急なケーブルカー、歩きやすく整備された登山道。年間を通じて、多くの人たちが楽しめる。一方、修験道の道場として、全国各地から山伏と呼ばれる修験者が訪れることでも知られる。薬王院、奥の院を巡り山頂に立った。』by「百霊峰巡礼第二集」。
自宅を朝4時30分に出発し、電車を乗り継いでJR中央本線ふじの駅へ。駅で待ち合わせているバスに他の登山客らと共に乗り陣馬山落合登山口で下車。他の登山者はさらに奥の登山口に行くようだ。
大山山頂からの眺望:の山々。
『 丹沢山地の東に位置する大山。雨降山としても知られる。江戸時代、大山講は庶民の娯楽として、関東一円に浸透した。今も参道には、信者たちを受け入れる宿坊が立ち並び、門前町を形成する。「弘法水」「子育て地蔵」など七不思議が山頂まで案内してくれる女坂を巡った。』by「百霊峰巡礼第一集」。
11:45 | 16丁目。 |
12:20 | 阿夫利神社下社。 |
12:44 | 男坂・女坂分岐。帰路は男坂を選択。急な石段が延々と続く。 |
13:54 | 大山ケーブル駅第一駐車場着。 |
14:05 | 大山ケーブル駅第一駐車場発。 |
『 南房総に位置する清澄山には日蓮宗の大本山清澄寺がたつ。混乱の世に生きた日蓮はこの地で生まれ育ち、そして、この寺で修行した。寺を囲む山々は決して高くはないが、深い谷と険しい峰々は予想外であり、山に踏み入った私たちを驚かせ、この地で仏への思いを巡らせたであろう日蓮の激しい生涯を思い起させた。』by「百霊峰巡礼第三集」。