阿蘇山・中岳山頂からのパノラマ:霧が一時的に晴れ何とか外輪山が見えた。溶岩流と火山岩でできているようだ。
月刊山岳雑誌「岳人」に、連載された「百霊峰巡礼」を巡ります。 北は北海道の利尻山から南は沖縄の於茂登岳までの百座です。 巡礼中に出会った自然現象、高山植物や動物たちを紹介しながら 古の人々が畏敬の念を抱いた霊峰を訪ねる旅を紹介します。
旅詳細
参考情報
百霊峰巡礼について |
「百霊峰巡礼」は、栃木県宇都宮市の出身である立松和平氏が執筆し、2004年1月号より月刊山岳雑誌「岳人」に、毎号一座ずつ連載されていた。
私たち夫婦は、多少時間的余裕もできた2006年11月に、東京都の高尾山への巡礼を開始し、既に80座を超えた。巡礼を終えた霊峰を少しずつ報告します。
ただ残念なことに立松和平氏は、73座登頂後、2010年2月に他界された。25座毎に東京新聞から出版されていた「百霊峰巡礼」は、第三集で終了となった。残る27座については、立松氏を偲びながら、昔から信仰の対象とされた山岳の自然と歴史を独自に辿ってみたい。
尚、立松氏未踏の27座は、上記第三集に記載されている百霊峰候補山岳とした。
『出羽・羽黒山、大和・大峰山と並んで三大修験の山とされた英彦山。九州ばかりでなく、中国地方まで信仰が及んだ。西国一の修験道の霊山にふさわしく、樹齢千年を超える鬼杉をはじめ、巨木が林立する。奇岩、怪石が点在し、山伏たちの修行の跡が残る。』by「百霊峰巡礼第一集」。
英彦山は、鳥居毎に4つの浄土世界(四土結界)に区分されている。朽ちかけていた木の鳥居から山頂までを「常寂光士」と呼び「仏の世界」とされている。石の鳥居から木の鳥居までが「菩薩の世界」、宿坊跡が連なる銅の鳥居から石の鳥居までが「修行者の世界」、銅の鳥居から下が「聖俗雑居の世界」とのこと。
8:15 | 神宮下(銅(かね)の鳥居の上部)発。整然と敷き詰められた石畳の坂道と階段が延々と続く。石段の両側には、次々と宿坊跡が現れる。「大本坊跡」、「長三州の塾跡」…。 |
8:51 | 奉幣殿着、お参り。奉幣殿脇に見事な石楠花が俗人の心を鎮めるように静かに咲いていた。石の鳥居通過。 |
9:49 | 中津宮。鳥居と祠が3棟。 |
10:04 | 稚児落し、さらに20分で関銭の跡。 |
10:27 | 業者堂(産霊神社)。祠前が芝生だ。 |
10:41 | 山頂・英彦山神社上宮。50分休憩。 |
12:36 | 奉幣殿。 |
13:00 | 神宮下着。 |
『御笠山、竃門(かまど)山の別称を持つ宝満山。古代から、大宰府の祭祀を取り仕切る霊山として、信仰を集めてきた。遣唐使の航海安全や、雨乞い祈願が行われてきた。竃門神社から一ノ鳥居、中宮跡を経由して至った山頂には、上宮が建っている。博多湾から筑紫平野、遠く英彦山までが望める視界が広がった。』by「百霊峰巡礼第二集」
8:30 | 竈門神社発。縁結び(良縁)の神様。 |
9:11 | 一の鳥居(2合目)。大きな鳥居でりっぱな石楠花が咲いていた。 |
9:45 | 4合目。百段雁木と呼ばれる百段の整然たる石段が続く。 |
10:05 | 殺生禁断の石碑(5合目)。 |
10:29 | 中宮跡。本地十一面観音を祀った大講堂が建っていたそうだ。 |
10:41 | 8合目。9合目の表示を過ぎ、袖摺り岩(一人が通れる幅の岩の割れ目)と馬蹄岩(玉依姫が龍馬に乗って飛行した時の蹄あと)を過ぎる。 |
10:55 | 竈門神社上社(社殿)・山頂に到着。ゆっくり休憩し、11:50発。 |
13:01 | 一の鳥居(2合目)。 |
13:35 | 竈門神社着。 |
雲仙普賢岳山頂からの展望:東に平成新山が間近に見え、島原湾、さらに妙見岳と国見岳が連なる。
『1934年、日本で最初の国立公園に指定された、雲仙天草国立公園に位置する雲仙岳。麓の雲仙温泉は、明治時代から外国人の避暑地として親しまれてきた。90年に多くの犠牲者を出した噴火活動。新たに平成新山を形成した。仁田峠から普賢岳を巡った。』by「百霊峰巡礼第三集」
8:30 | 仁田峠発。山の上部は霧で見えず若干風もある。ロープウエイの運行可否を確認し、キャンカーで着替え。ロープウエイ降車後、視界の無い山道を一路妙見岳(みょうけんだけ)へ向かうが人の気配はない。 |
9:00 | 妙見神社。お参り後、妙見岳はスキップして雲仙普賢岳へ。 |
9:58 | 普賢岳山頂。強風だ。前を行く女性4名を含む5名パーティが山頂にいられないと降りてきた。確かに強風だし、霧で何も見えず即退散。薊谷(あざみだにS)に降りると風はなく、お花畑を観察。ツルキンバイが霧に濡れ寒そうに花びらを丸めて咲いていた。 |
10:51 | 仁田峠着。 |
2014年に訪れた時は、荒天で視界がなかったので、晴天を確認し再度挑戦した。
9:39 | 仁田峠発。若干風はあるが晴れ渡っている。登山道が工事中で大回り。 |
10:20 | ロープウエイ「みょうけん」駅。運航休止中の「みょうけん」駅に人の気配はないが、展望はすばらしい。 |
10:30 | 妙見神社。稜線を国見岳へ。7〜8mほどの鎖場を通過。 |
10:57 | 国見岳山頂。平成新山が大きく見える。気温は-3度Cだ。 |
11:33 | 鬼人谷口。鬼人谷の要所々に写真入りの詳細な説明盤がある。 |
11:42 | 西の風穴。蚕の卵を保管した風穴に歴史を感じた。 |
12:02 | 鳩穴分かれ。噴火時に穴が塞がれて、鳩穴は無いとの説明。 |
12:32 | 立岩の峰展望所。 |
12:58 | 普賢岳山頂。360度の展望。気象庁の職員(駐車場で車両確認)や登山者が見える。 |
13:26 | 紅葉茶屋。 |
14:01 | 仁田峠着。 |
登山口近くの尾根から振り返ると、途中の岩峰まで霧は晴れて、仙酔尾根の展望が広がった。
『活発な火山活動の歴史を刻んできた阿蘇山。今も火口から噴煙が上がる。草千里に代表される雄大な景色が広がる。最高峰の高岳をはじめ、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳の阿蘇五岳。ミヤマキリシマが咲く仙酔峡(せんすいきょう)の登山口から火口東の展望所、中岳を経て高岳を目指した。』by「百霊峰巡礼第三集」
7:30 | 仙酔峡登山口。駐車場は車がまばらだ。亜硫酸ガスに注意すべく放送が盛んに聞こえている。ガスがかかった山に向かって登り始めた。時折ガスが切れと、仙酔峡駐車場まで高度感のある景色が広がる。 |
10:04 | 分岐。稜線伝いに登り外輪山に到着と思えるが、霧が深く何も見えず。登山ルート表示板が頼りだ。 |
10:14 | 高岳山頂。ガスが切れるのを待った。何とか一時的に外輪が見えた。 |
10:46 | 中岳山頂。ここから稜線を巻くように下るのだが、ルートが見つからない。結局、想定ルートとは違うのだが、石に付けられた古いペンキの丸印を辿って谷に下るルートを選択。かなり下って下方が見えてくると、深そうな谷を幾筋か横切って本来のルートに行きつけるようだった。 |
11:35 | ロープウエイの途中に交わった。目指したルートだ。1m幅の固い舗道を延々と下る。登山口近くの尾根から振り返ると、途中の岩峰まで霧は晴れて、仙酔尾根の展望が広がった。 |
12:10 | 仙酔峡登山口着。 |
久住山山頂からの展望:中央に三俣岳その手前に北千里浜の窪地、右手に九州本土最高峰中岳が見える。
ハルリンドウとマイズルソウ(舞鶴草)。
 当初計画の長者原からの周回コースを、霧が深いため、牧の戸峠からの往復コースに変更。5mほど離れると何も見えない気象条件だった。
久住分れ付近のバイオトイレは、帰路ではすぐ近くを通過した筈なのに、気が付かなかった。
7:40 | 牧ノ戸峠駐車場出発。 扇場花分岐付近で猫とも子供のとも聞こえる鳴き声が…。近くにいるようだが霧で何も見えず激論。しばらく聞こえていたが、結局正体は親子連れの子供の声と判明。一件落着。 |
9:26 | 久住分れ。避難小屋の有料バイオトイレを利用。 |
9:57 | 久住山山頂着。展望無。 |
10:55 | 久住分れ。 |
13:30 | 牧ノ戸峠駐車場着。 |
六郷満山・両子山からの展望:国東半島の最高峰には展望台が設置され、瀬戸内海まで見渡せる。
奥の院以後修験者用ルートは未整備らしいので、舗装林道を辿って山頂に達した。
8:25 | 登山口発。整備された石段を登る。 |
8:29 | 両子寺。信者に交じって参拝。 |
8:38 | 奥の院本殿。大岩の中に建つ。 |
9:39 | 両子山山頂。瀬戸内海を一望。 |
10:30 | 登山口着。 |
御鉢の眺望:噴火口の北縁を登りきり振り返ると、火口が大きく口を開け、北縁を登る登山者が遠望できる。
8:38 | 高千穂河原登山口を出発。なだらかな自然探究路をスミレなどを鑑賞しながら進む。散策路分岐を通過後は、溶岩流の上のゴツゴツした急な道なき道を登って行く。 |
9:49 | 御鉢火口縁。噴火口の北縁を登る。 |
10:05 | 背門丘(せたお)。火口縁と山頂の鞍部で、山頂を見上げる場所に本宮があり、鳥居と祠が建っている。この先は後ずさりする火山砂の上をジグザグに20分ほど登り続けた。 |
10:29 | 。山頂着。逆鉾が頂上に建ち、周囲20mほどはロープで囲われている。正面の華奢に見える鳥居の前で10数人の人たちが座りこんで手を合わせている。帰路は背門丘まで砂走り。 |
12:12 | 霧島古宮跡。石段を登るとコンクリート製の鳥居と広場がある。ここから火口縁全景がよく見える。 |
12:30 | 高千穂河原登山口着。 |
開聞岳山頂からの北西方向展望:南九州市の平野部が広がり、海岸線が東シナ海に伸びている。
3日前(4/15)に鹿児島空港から屋久島に向かった。DASH-8の機上から薩摩半島の南端に突き出した美しい円錐形の開聞岳が見えた。登山ルートは、北側登山口から螺旋上に登り、丁度一周した後山頂に達する。
10:46 | 駐車場出発。広い舗装道が続く。 |
10:54 | 開聞岳登山口(2合目)通過。 |
11:14 | 3合目。登山道は高度と共に、大きな岩が重なる道に変化してきた。タツナミソウが咲いている。 |
12:26 | 仙人洞通過。岩の穴だ。海岸側の林に珍しい花があった。帰宅後調べたらアケビ科の「ムベ」らしい。時折、灌木の合間から海が見える。 |
13:01 | 5〜6mほどの高さの梯子場を通過。 |
13:15 | 山頂着。東シナ海らしい海岸線が見える。登山者が多い。50分滞在。 |
15:35 | 駐車場着。15:26に2.5合目通過。 |
宮之浦岳:山頂で充分休憩し下山開始時振り返ると、宮之浦岳が日本庭園のような趣で佇んでいた。
『屋久島に聳える九州最高峰の宮之浦岳。花崗岩で成り立つ洋上の山塊だ。亜熱帯の島だが、山頂付近は北日本と同じ気候で、日本の自然の縮図。代表的な植生の屋久杉は中腹からさまざまな樹木と自然林をつくり出す。集落ごとに信仰を集めた「岳参り」。淀川登山口から花之江河を経由して、山頂を目指した。』by「百霊峰巡礼第三集」
昨日は羽田空港から鹿児島空港までA300-600R機、鹿児島空港から屋久島空港までDHC8-Q400機、さらにバスで、安房(屋久島東)にある屋久島グリーンホテルまで移動し宿泊した。今朝はホテルからタクシーで登山口へきたが、他に登山者はおらず貸切状態。また、登山口は良く整備されている。
6:02 | 淀川登山口発。トイレあり整備良。 |
6:41 | 淀川小屋で休憩。橋を渡る(7:00)。シキミが花をつけている。 |
8:08 | 高盤岳(こうばんだけ)展望所。高盤岳全景が良く見える。山頂に蒲鉾を四つ切にしたような形の豆腐岩と呼ばれる大きな岩がのっかっている。 |
8:34 | 展望所。黒味岳と投石岳が見える。 |
8:42 | 小花之江河(こはなのえごう)。湿原の木道を歩く。振り返ると高盤岳。 |
8:57 | 花之江河(はなのえごう)。ヤクシカが湿原の陸地部で草を食んでいる。 |
10:03 | 投石岩屋。鎖場をおりて30分の所。 |
10:54 | 翁岳のそばを通過。奇岩が露出し、眺めているだけであきない。 |
11:29 | 栗生岳(くりお)。岳参りの説明有。 |
11:48 | 宮之浦岳。40分ほど景色を堪能し下山。振り返ると宮之浦岳。焼野三叉路から尾根道(宮之浦歩道)を下る。屋久島石楠花の蕾、アセビの花。 |
14:52 | 第一展望台。男性が一人展望中。 |
15:05 | 新高塚小屋着・泊。量十分な水場。 |
17:56 | ヤクシカ出現。3頭おり、一頭は角があるので雄だろう。珍しい。 |
5:30 | 新高塚小屋発。お世話になった。 |
6:40 | 高塚小屋。ブロック製の小屋だ。 |
6:56 | 縄文杉。誰もいないデッキ上から表皮や広がった根など10分間ほどじっくり見学。デッキ順路や撮影場所の説明板有、訪問者の多さが窺える。 |
7:31 | 巨大な杉の根。2本の枝が手を繋いだ夫婦杉、大王杉と連続。 |
8:19 | ウィルソン株。15分ほど見学。株の中は6畳ほどの広い空間で、泉が湧いており、祠も祀られている。 |
8:54 | 大株歩道入口。大グループに次々とすれ違う。その度に線路道を譲る。 |
9:12 | 仁王杉。ムベの花が咲いている。 |
10:02 | 三大杉通過。ヤクシカ雌1頭出現。 |
10:31 | 楠川分れ。線路道とお別れ。 |
11:25 | 辻の岩屋。屋根形の大岩の前で休憩。太鼓岩分岐の辻峠通過(11:33)。 |
12:00 | 七本杉。『もののけ姫』の世界へ。 |
12:03 | 白谷山荘。石楠花が咲いている。谷合の苔むした白谷雲水峡を歩く。 |
12:24 | くぐり杉。二股の杉の根をくぐる。 |
13:00 | 雲水峡バス停。歩道分岐後すぐ。 |
山頂からのパノラマ:リュウキュウチクの先に、北:東シナ海、北東:桴海於茂登岳、東:底原ダムが見渡せる。
『古くから霊山として信仰の中心的存在であり、山名の「ウムトゥ」は「島の大本」を意味するともいう。『琉球国由来記』によると、名蔵村の御嶽は於茂登の神「ウムトゥテラシィ」の拝礼所で、於茂登の神を祀る祭事が島内の多くの御嶽で行われたとされる。また、首里の弁ヶ岳、於茂登岳、久米島の三神は姉妹であり、日本から渡来したともいう。二番目の神は妹と一緒に久米島を居所としたが、自分の山が妹のいる山より低かったので、八重山に移って於茂登岳に垂迹して島の守護神になったと伝わる。弘治13年(1500年)のオヤケアカハチの乱の際には、久米島の神女が琉球王国の軍に帯同し、於茂登岳の神を説得して帰順させたという。』byウィキペディア。尚、立松和平氏は未踏。
9:12 | 登山口発。アサヒナキマダラセセリが絶滅危惧種で、保護の必要がある旨の案内板が建っていた。 |
10:50 | 山頂着。リュウキュウチクに覆われているが、山並と海は見渡せる。小さな賽銭箱が置かれた石に御参り。 |
11:44 | アサヒナキマダラセセリを捜したが、出現は4月・5月のようだ。代りにマサキウラナミジャノメ発見。 |
12:13 | 登山口着。 |