天明寛政享和リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●天明5年(1785)
●天明6年(1786)
●寛政2年(1790)
●寛政3年(1791)
●寛政5年(1793)
●寛政8年(1796)
●寛政12年(1800)
●享和元年(1801)
●天明元年(1781)
広島藩主の浅野重晟(しげあきら)学間所の設立を企画し、学制を頼春水(らいしゅんすい)つくらせ、翌年に開設。
このころ、管茶山(かんちゃざん)が家塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開く。
広島藩の藩儒頼春水が学問所を朱子学に統一する。
秋−中国や瀬戸内の各地が暴風雨に襲われ、凶作となる。
9月12日−広島の町医者星野良悦が囚人の死体解剖を許可される。
広島藩儒の香川南浜が学舎を与えられ、修行堂を開設する。
星野良悦が、前年の刑死人の解剖をもとに、日本初の人体木骨(もっこつ)を完成。
頼春風と町年寄の小倉屋藤左衛門が中心となって、郷塾として竹原書院が開講される。
6月5日−大洪水に襲われる。
菅茶山の廉塾(れんじゅく)が福山藩立の郷校となり、廉塾神辺(かんなべ)学問所とよばれる。
このころ、西本願寺で三業惑乱(さんごうわくらん)がおこり、安芸門徒は西本山に反対し、のち勝利する。
頼山陽が広島藩を脱藩し、京都から連れもどされ、座敷牢に幽閉される。
春−夏にかけてはしがが流行する。
12月26日−長年続いた周防国玖珂郡和木村と大竹村との境界争いが落着し、周防と安芸の国境が
確定する。