安芸国年代リンク
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文化(1804〜1817)
文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
弘化(1844〜1847)
嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
万延(1860)
文久(1861〜1863)
元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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安芸国(天明・寛政・享和年間)


●天明元年(1781)
広島藩主の浅野重晟(しげあきら)学間所の設立を企画し、学制を頼春水(らいしゅんすい)つくらせ、翌年に開設。
このころ、管茶山(かんちゃざん)が家塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開く。

●天明5年(1785)
広島藩の藩儒頼春水が学問所を朱子学に統一する。

●天明6年(1786)
秋−中国や瀬戸内の各地が暴風雨に襲われ、凶作となる。

●寛政2年(1790)
9月12日−広島の町医者星野良悦が囚人の死体解剖を許可される。
広島藩儒の香川南浜が学舎を与えられ、修行堂を開設する。

●寛政3年(1791)
星野良悦が、前年の刑死人の解剖をもとに、日本初の人体木骨(もっこつ)を完成。

●寛政5年(1793)
頼春風と町年寄の小倉屋藤左衛門が中心となって、郷塾として竹原書院が開講される。

●寛政8年(1796)
6月5日−大洪水に襲われる。
菅茶山の廉塾(れんじゅく)が福山藩立の郷校となり、廉塾神辺(かんなべ)学問所とよばれる。
このころ、西本願寺で三業惑乱(さんごうわくらん)がおこり、安芸門徒は西本山に反対し、のち勝利する。

●寛政12年(1800)
頼山陽が広島藩を脱藩し、京都から連れもどされ、座敷牢に幽閉される。

●享和元年(1801)
春−夏にかけてはしがが流行する。
12月26日−長年続いた周防国玖珂郡和木村と大竹村との境界争いが落着し、周防と安芸の国境が 確定する。