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●明和4年(1767)
●明和6年(1769)
●安永4年(1775)
●安永9年(1780)
●明和元年(1764)
中山道の増助郷(ましすけごう)に対して、上野・武蔵・信濃の農民が伝馬騒動(天狗騒動)を起こす。
3月−幕府が、関八州と甲州へ,博徒など不良の者の逮捕を命じる。
閏9月15日−前橋城が連年水害に悩まされるため,藩主松平朝矩(とものり)、が居城を川越城へ移す
ための幕府の許可をえる。
8月22日−小幡藩主織田信邦が明和事件に関連して蟄居となり,弟信浮(のぶちか)が家督を継いで
出羽の高畠へ転封される。
上里見藩、廃藩となる。
前橋城が取り壊される。
安中藩主板倉勝清、老中となる。
●安永元年(1772)
鏑(かぶら)川通船が計画される。
●安永3年(1774)
10月28日−幕府が、関八州・伊豆・甲斐の村々へ、村内を徘徊する浪人風の者など、施し・止宿を
強要する者の逮捕を命じる。
新田郡世良田村の毛呂権蔵(もろごんぞう)が『上野国志』を著す。
高崎藩校遊芸館閉校となる。
伊勢崎藩校、学習堂ができる。
●安永5年(1776)
「力田遺愛碑」建てられる。
10月−利根川上流の14河岸が仲間を結成する。
2月−桐生の絹商人が足利の機織業への対抗策として,桐生以
外での織機の使用禁止を申し合わせ,産地の集中をはかる。