万延文久元治リンク | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●文久2年(1862)
●元治元年(1864)
文久元年(1865)
2月20日−甘楽郡幕府領美濃山村ほかの農民、米価騰貴のため神流川原へ屯集して騒動を起こす。
幕府、江戸および関八州の宿屋・料理屋などに私娼を置くことを禁止した。
高崎の茂木惣兵衛(野沢屋)、勢多郡新川(にっかわ)村の吉田幸兵衛(吉村屋)、横浜に出店する。
前橋藩主松平直克、政事総裁職となる。前橋城再築を許可される。
5月2日−水戸天狗党浪士が太田宿(太田市)、桐生新町(桐生市)、柴宿(伊勢崎市)や西上州の
村々から軍資金を調達。
11月11日−水戸天狗党、太田宿本陣・橋本家に宿泊、休養と陣容の立て直しを図る。
11月15日−水戸天狗党、下仁田村に入り、本陣を桜井弥五兵衛屋敷に定め、武田耕雲斎、
山岡喜八郎、田丸稲之右衛門らが宿泊。
11月16日−天狗党追討軍・高崎藩1番隊が下小坂村(下仁田町)字関口に到着。下仁田戦争始まる。
11月17日−高崎藩1番隊、下仁田戦争で36人の死者を出し敗走、高崎に帰着。