延享・寛延・宝暦リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●延享4年(1747)
●寛延2年(1749)
●宝暦7年(1757)
●宝暦8年(1758)
●宝暦10年(1760)
●宝暦11年(1761)
●宝暦13年(1763)
●延享2年(1745)
1月14日−幕府が上野世良田(せらた)東照官(群馬県尾島町)・三
河矢作橋修築のため小普請方を派遣する。
5月8日−高山彦九郎、上野国新田郡細谷村(現太田市細谷町)で名主・高山彦八正教次男として生まれる。
18歳のときに置手紙を残し帯刀して上京。
松平朝矩(とものり)が播磨国姫路15万石から前橋15万石に入り、酒井忠恭(ただずみ)、
前橋17万2,500石から姫路15万石に移る。
●宝暦2年(1752)
3月26日−前橋藩領川通りの諸村が広瀬川の舟運開発を出願。通船が再開される。
11月6日−幕府が,陪臣・浪人の子が旗本の養子となることを制限する。
高崎藩主松平輝高老中となる。
高崎町の俳人羽烏一紅(はとりいっこう)著『あやにしき』が刊行される。
高崎藩校、遊芸館ができる。
8月20日−のちに立志物語のモデルとなる沼田の塩原太助が、江戸へ出て薪炭商山口屋に奉公する。
江戸の俳人建部綾足と前橋町の俳人松井素輪の問答集が刊行される。