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●明和4年(1767)
●明和7年(1770)
●安永3年(1774)
●安永4年(1775)
●安永8年(1779)
●安永9年(1780)
3月−幕府が、関八州と甲斐へ,博徒など不良の者の逮捕を命じる。
5月−幕府が、嶺岡牧(みねおかまき)の馬代金を代官所取り立てに変える。
またこの年,牧士が18人となる。
勝山藩領の百姓、不作のため減租を要求して江戸屋敷へ訴えをおこなう(西領騒動)。翌8年、金尾谷村名主善兵衛、死罪となる。
10月28日−幕府が,関八州・伊豆・甲斐の村々へ、村内を徘徊する浪人風の者など、
施し・止宿を強要する者の逮捕を命じる。
8月−北条藩主水野忠見(ただちか)、没。10月、長男忠韶(ただてる)が襲封。
石工・武田石翁、平郡本織村(現・南房総市三芳村)宇土の武田に生まれる。
5月5日−4月末に朝夷(あさい)郡の沖合いで発見された異国船が、5月2
日、岸に漂着して清の船と判明、大岡氏により幕府へ注進される。