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●正徳元年(1711)
●正徳2年(1712)
11月-北条藩・屋代越中守忠位領27カ村の惣百姓全員が江戸へ出、屋代藩家老・川井
藤左衛門の過酷な年貢増徴を訴えるべく、老中登城の駕籠訴を決行するが失敗。川井藤左衛門は湊村(館山市)名主秋山角左衛門、国分村同飯田長次郎、薗村根本五左衛門の3人を国分村、
萱野の三角芝刑場で処刑。
7月−勝山藩酒井忠胤、没。9月、嫡男忠篤が家督を継ぐ。
7月−北条藩の惣百姓が前年に続き再度訴えたところ取り上げられ、評定の結果、川井藤左衛門父子
は討首。屋代越中守は1万石を取り上げられ廃藩、落着。(万石騒動)