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●延享4年(1747)
●寛延2年(1749)
●宝暦元年(1751)
●宝暦6年(1756)
幕府が下総・上総・安房3国の干鰯の1割をを相模浦賀に水揚げするよう命じる。
緑野郡東平井付の和算家高山重邦が『算書』を著す。
6月−北条藩主水野忠位(ただたか)、没。次男忠見(ただちか)が相続。
長狭郡下打墨(しもうつみ=鴨川市)村に彫刻師・武志伊八郎伸由が生まれる。
3月−勝山藩酒井忠大(ただもと)、没。5月、次男忠鄰(ただちか)が襲封。
●宝暦7年(1757)
11月6日−幕府が,陪臣・浪人の子が旗本の養子となることを制限する。