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●寛永元年(1624)
●寛永2年(1625)
●寛永4年(1627)
●寛永8年(1631)
●寛永10年(1633)
●寛永12年(1635)
●寛永17年(1640)
●寛永19年(1642)
萩藩、百姓指出検地を実施。
検地に伴い、多くの家臣が減石、召し放ちとなる。
8月−検地完了。防長総石高は65万8299石となるが幕府の認める表高は36万9411石のまま。
毛利秀元(長門国豊浦郡長府)4万7349石(実質的な内高8万3011石)
毛利就隆(長門国都濃郡下松のち徳山)2万550石(同4万10石)
吉川広家(周防国玖珂郡岩国)3万7129石(同6万1石)
萩藩、岩国今津に蔵屋敷を設ける。
萩藩、山代で請紙(うけがみ)制度をはじめる。
3月18日−下松・毛利就隆、幕府より「直のご奉公」をゆるされ、萩藩支藩主として認められる。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
岩国・吉川広家が、本藩に準じて請紙制(紙の専売制)をはじめる。
萩藩、幕命により両国内の農家30戸、男女178人を肥前天草・島原に移住させる。