天保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●天保元年(1830)
●天保2年(1831)
●天保7年(1836)
●天保13年(1842)
●天保14年(1843)
7月、熊毛郡浅江(あさなえ)・室積・上関・田布施の諸村の農民が産物の取り扱い
(藩の専売制)に不満を訴え、一揆を起こす。
7月、三田尻宰判(現防府市)で米問屋石見屋をめぐって百姓一揆が勃発 。これを契機に、
11月までに、東は大島郡から西は厚狭郡、北は大津郡・阿武郡まで藩内全域に及ぶ。防長100ケ村、13万人以上の
農民が参加したと報告されている。
徳山藩、城主格となる。
村田蔵六(大村益次郎)、三田尻の蘭方医・梅田幽斎の門に入る。
村田蔵六、梅田幽斎の勧めにより、日田の広瀬淡窓の門に入り漢籍を学ぶため豊後に発つ。