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●享保元年(1716)
●享保3年(1718)
●享保4年(1719)
●享保5年(1720)
●享保10年(1725)
●享保11年(1726)
●享保15年(1730)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
正徳5年の万役山事件が発端で、徳山藩が改易される。藩主毛利元次は出羽国新庄藩へ預け、領地は萩藩領となる。
3月11日−萩藩領内広瀬東村などの農民850余人が専売仕法に反対して強訴する。
岩国領玖珂郡南部の百姓一揆が再発し、これをめぐって萩・岩国が対立する。
奈古屋里人(さとんど)らの努力で徳山藩の再興なる。
萩藩、永田政純に家臣・社寺の文書を調査させ、『閥閲録(ばつえつろく)』の編集を命ずる。
また、井上親明に『地下上申』および『寺社由来』の編集を命じる。
萩藩、櫨の栽培を強力に指導する。
4月14日−岩国藩が領内に薬草調査を命じる。
9月11日−幕府が薩摩藩など九州・中国の15藩に清の密貿易船打ち払いを命じる。
萩藩、幕府に両国の人口46万1,040人と報告する。
萩藩、藩札を発行し、萩と、諸郡に札座を置く。また岩国領で岩国札銀の支配座を設ける。
徳山藩、藩札を発行する。
各地にウンカが大量発生し、甚だしい飢饉となる(享保の虫枯れ)。両国の被害高29万2,740石余。