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●延享元年(1744)
●延享3年(1746)
●寛延元年(1748)
●宝暦元年(1751)
●宝暦3年(1753)
●宝暦4年(1754)
●宝暦6年(1756)
●宝暦11年(1761)
8月−萩藩領に風雨と洪水があいつぎ、田畑の損耗高12万石余・倒壊家屋5,080軒余に達する。
防長両国の人口52万1,531人となる。
8月−萩藩領に,春から風雨・洪水、田畑の損耗は13万石余・倒壊家屋3,670軒余に及ぷ。
9月−中国地方に風雨・洪水。周防・長門で倒壊家屋6,830軒に達する。
長府藩主毛利匡敬(まさたか)が萩藩主となり、名を重就(しげたか)と改める。
11月7日−岩国藩領で,川漁に税が課せられる。
岩国の横山に講堂ができる。
6月19日−岩国錦見町に茶問屋が開設される。
萩藩、宝暦検地に着手する(13年完了)。このとき小村絵図・小村帳がつくられる。