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●寛永元年(1624)
夏−疱瘡・はしかが流行し死者が続出する。
●寛永11年(1634)
●寛永12年(1635)
●寛永14年(1637)
●寛永16年(1639)
●寛永17年(1640)
●寛永20年(1643)
5月2日−幕府が松前藩に蝦夷地通商を管理させ,密貿易を禁止する。
鎖国令。藩命により、村上掃部左衛間(かもんざえもん)、領内をまわり地図を作製する。
同時に、佐藤加茂左衛門・蠣崎蔵人(くらんど)らは樺太を検分する。
3月28日−松前藩の居城福山城で火災がおこり,火薬庫に延焼して藩主松前公広(きんひろ)が負傷する。
松前藩がキリシタン信徒の金掘り師106人を処刑する。
6月13日−松前領内の浦岳が噴火。津波により船100余艘が被害をうけ,700人が溺死する。
春-西蝦夷のアイヌが松前藩に反乱をおこす(ヘナウケの乱)。
金銀島探検のため、東インド会社から派遣された、オランダのフリース探検船が厚岸(あつけし)に寄港する。