蝦夷年代リンク
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元和(1615〜1623)
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明暦(1655〜1657)
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天保(1830〜1843)
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嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
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元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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蝦夷(寛永年間)

●寛永元年(1624) 夏−疱瘡・はしかが流行し死者が続出する。

●寛永11年(1634)
5月2日−幕府が松前藩に蝦夷地通商を管理させ,密貿易を禁止する。

●寛永12年(1635)
鎖国令。藩命により、村上掃部左衛間(かもんざえもん)、領内をまわり地図を作製する。 同時に、佐藤加茂左衛門・蠣崎蔵人(くらんど)らは樺太を検分する。

●寛永14年(1637)
3月28日−松前藩の居城福山城で火災がおこり,火薬庫に延焼して藩主松前公広(きんひろ)が負傷する。

●寛永16年(1639)
松前藩がキリシタン信徒の金掘り師106人を処刑する。

●寛永17年(1640)
6月13日−松前領内の浦岳が噴火。津波により船100余艘が被害をうけ,700人が溺死する。

●寛永20年(1643)
春-西蝦夷のアイヌが松前藩に反乱をおこす(ヘナウケの乱)。
金銀島探検のため、東インド会社から派遣された、オランダのフリース探検船が厚岸(あつけし)に寄港する。