蝦夷年代リンク
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元和(1615〜1623)
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正保(1644〜1647)
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明暦(1655〜1657)
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文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
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嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
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文久(1861〜1863)
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慶応(1865〜1867)
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蝦夷(万治・寛文年間)

●寛文3年(1663)
7月11日−有珠山が噴火し,松前付近の海底が大きく隆起する。

●寛文6年(1666)
円空、洞爺湖の小島の小堂に仏像を納める。このほか各地に仏像を納める。

●寛文8年(1668)
シャクシャイン、オニビシを殺害する。

●寛文9年(1669)
6月−東蝦夷の首長シャクシャインに率いられた各地のアイヌが立ちあがり、松前藩とのあいだに戦いがおこる。 (10月,シャクシャインを謀殺して乱を鎮圧)。

●寛文10年(1670)
津軽藩、ひそかに東西えぞ地を探索、西はオショロ、東は三石(みついし)までの状況をさぐる。
松前藩、300余人を余市に派遣し、アイヌを取り締まる。