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蝦夷(享保年間)

●享保元年(1716)
5月20日−松前藩がアイヌの人々に雑穀を植えさせる。

●享保3年(1718)
春−松前藩が強壮薬,膃肭臍(オットセイ)を幕府に献上し,以後慣例となる。
津軽の山田庄平、飛騨屋久兵衛の資金を得て、エゾヒノキの伐採を願いでる。松前藩 は五千両の運上金で、これを許可する。

●享保4年(1719)
1月15日−幕府が松前矩広を大名とし,あらためて蝦夷地交易の独占を認める。

●享保5年(1720)
新井白石が『蝦夷志』を著す。

●享保7年(1722)
12月−松前藩が福山問屋15軒に問屋株を許す。

●享保8年(1723)
秋−石狩で鮭漁が不漁。冬から翌年にかけてアイヌの餓死者が200余人に達する。

●享保16年(1731)
夏−国後、択捉2島のアイヌが初めて松前に来る。

●享保19年(1734)
11月9日−松前藩が初めて黄鷹ほかを幕府に献上し,以後恒例となる。