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●明和3年(1766)
●明和5年(1768)
●明和8年(1771)
●安永3年(1774)
●安永7年(1778)
●安永8年(1778)
●安永9年(1780)
幕府役人と山城屋が金山調査のため福山(松前)ヘ到着する。
ロシア人イワン・チュルヌイが択捉島から得撫(ウルップ)島へ渡り,越年する。
有珠岳が噴火する。
ふたたびロシア人が得撫(うるっぷ)で越年する。
ベニョフスキー、カムチャッカを脱走し、マカオへの途中、薩摩国、阿波国
に寄り、ロシアの南下を警告する。
アイヌらが,近年のロシアによる課税に反対して,得撫(うるっぷ)島などのロシア人を
攻撃し,カムチャツカへ追い払う。
松前藩、藩債の代償に、絵鞆(えとも=室蘭)・厚岸・霧多布・国後の4カ所の「場所」を
20年間飛騨屋に請け員わせる(宗谷場所も翌年から15年間)。
得撫(ウルップ)島のアイヌが1771年以来のロシア人との敵対をやめ,交易を始める。
6月9日−ロシア人のシャバーリンー行、ノッカマフ(根室)に来航し、交易を求める。
5月19日−茅部(かやべ)の漁民が,出稼ぎ料免除と昆布一手買い禁止を要求して,
亀田奉行所へ強訴する。
8月7日−前年ロシアから通商の申し入れを受けた松前藩がこれを拒絶する。
4月−得撫(ウルップ)島が地震に襲われ、ロシアの商船などが難破する。
夏−石狩などで疱瘡が流行、秋にもふたたび流行する。