蝦夷年代リンク
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元和(1615〜1623)
寛永(1624〜1643)
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明暦(1655〜1657)
万治(1658〜1660)
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文化(1804〜1817)
文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
弘化(1844〜1847)
嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
万延(1860)
文久(1861〜1863)
元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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蝦夷(明和・安永年間)

●明和3年(1766)
幕府役人と山城屋が金山調査のため福山(松前)ヘ到着する。
ロシア人イワン・チュルヌイが択捉島から得撫(ウルップ)島へ渡り,越年する。

●明和5年(1768)
有珠岳が噴火する。
ふたたびロシア人が得撫(うるっぷ)で越年する。

●明和8年(1771)
ベニョフスキー、カムチャッカを脱走し、マカオへの途中、薩摩国、阿波国 に寄り、ロシアの南下を警告する。
アイヌらが,近年のロシアによる課税に反対して,得撫(うるっぷ)島などのロシア人を 攻撃し,カムチャツカへ追い払う。

●安永3年(1774)
松前藩、藩債の代償に、絵鞆(えとも=室蘭)・厚岸・霧多布・国後の4カ所の「場所」を 20年間飛騨屋に請け員わせる(宗谷場所も翌年から15年間)。
得撫(ウルップ)島のアイヌが1771年以来のロシア人との敵対をやめ,交易を始める。

●安永7年(1778)
6月9日−ロシア人のシャバーリンー行、ノッカマフ(根室)に来航し、交易を求める。

●安永8年(1778)
5月19日−茅部(かやべ)の漁民が,出稼ぎ料免除と昆布一手買い禁止を要求して, 亀田奉行所へ強訴する。
8月7日−前年ロシアから通商の申し入れを受けた松前藩がこれを拒絶する。

●安永9年(1780)
4月−得撫(ウルップ)島が地震に襲われ、ロシアの商船などが難破する。
夏−石狩などで疱瘡が流行、秋にもふたたび流行する。