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●寛永9年(1632)
●寛永10年(1633)
●寛永12年(1635)
●寛永14年(1637)
●寛永18年(1641)
●寛永19年(1642)
●寛永20年(1643)
●寛永6年(1629)
1月−唐泊(からとまり)浦に朝鮮人漁民6名が漂着し,3月9日,対馬藩に引き渡される。
7月3日−福岡藩主黒田忠之と家老の栗山大膳が争った黒田騒動を,府内藩主竹中重義が調停し,
この日大膳を府内に連行する。
3月15日−幕府が福岡藩の黒田騒動を裁断し,家老栗山大膳を南部藩にお預けとする。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
10月28日−博多の豪商で博多素麺麓を創製した神谷宗湛没する。
島原の乱が起こり、各藩、島原派兵。
2月8日−福岡藩主黒田忠之・五島藩主五島盛利・大村藩主大村純信に長崎警備を命じ、参勤交代を停止する(長崎警固番役の初め)。
3月−肥前藩が長崎警固番となる。翌年は福岡藩が命じられ、これ以後両藩の隔年勤番となる。
5月27日−福岡藩が領内の宗像郡大島に漂着したポルトガル人の宣教師らを捕らえ、江戸に送る。