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●寛文4年(1664)
●寛文7年(1667)
●寛文11年(1671)
●寛文12年(1672)
●万治3年(1660)
8月−幕府がキリシタンの妻子・親戚・使用人を釈放する。
貝原益軒、35歳で帰国、黒田藩儒者として150石と屋敷が与えられる。
この年、福岡藩領、筑後川山田井堰が完成する。
福岡藩長崎御用をつとめる博多の豪商伊藤小左衛門ら、密貿易の罪で磔刑に処せられる。
福岡藩が宗像郡勝浦(津屋崎町)の干潟を干拓し、86町歩の塩田を開発。
福岡藩が財政難により家中衆の2男,3男の召し抱えを欠員のあるときに限る。