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●寛永3年(1626)
●寛永4年(1627)
●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永12年(1635)
●寛永13年(1636)
●寛永14年(1637)
●寛永16年(1639)
●寛永17年(1640)
姫路城主本多忠政の長男忠刻(千姫の夫)没し、龍野城主の本多政朝(忠政の次男)が嗣子と
なり姫路に移る。
小笠原長次、龍野6万石(新封)に入る。
池田重刑、陣屋を播磨国鳩から同国新宮(新宮町)に移す。
池田輝興、播磨国平福(佐用町)二万五千石から同国赤穂(赤穂市)三万五千石に移る(赤穂の
池田政綱没し絶家)。
輝興の旧領(平福25,000石)は山崎38,000石の池田輝澄に加増(計63,000石)される。
岡部宣勝、美濃国大垣5万石から播磨国龍野5万石に移封。
松平廉直、信濃国松本五万石から播磨国明石七万石に入る。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
一柳(ひとつやなぎ)直家、伊予国西条一柳直重から二万三千六百石を分与され、
旧領(播磨国加東郡のうち五千石)と合わせて2万8,600石で播磨国加東郡小野に入る。(のちに1万石減封)
京極高利、出雲国松江(二十六万四千石収公=幕府に没収される)から播磨国龍野六万石に入る。
摂津国尼崎で樽屋七兵衛、銀札を発行する。
本多政勝、播磨国姫路十五万石から大和国郡山十五万石に移封。
松平忠明、大和国郡山十二万石から姫路十八万石に入る。
松平光重、播磨国明石七万石から美濃国加納七万石に移り、大久保忠職(ただもと)、
加納五万石から明石七万石に入る。
7月26日−幕府が播磨山崎藩主池田輝澄・讃岐高松藩主生駒高俊の領地を没収し,配流する。
池田輝澄、播磨国山崎六万三千石を収公され、松平康映(やすてる)、和泉国岸和田五万石から
山崎六万石に入る。