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●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝6年(1678)
●延宝7年(1679)
●天和2年(1682)
6月24日−播磨・朱子学を批判して赤穂に流された山鹿素行が配流を許される。
赤穂藩で藩札(のちに忠臣蔵札と呼ばれる)が発行される。
8月4日−九州から中国・四国・近畿・東海地方にかけて大雨・洪水が
襲い,各地に激甚な被害をもたらす(〜8.12)。
本多政利、播磨国明石藩主に転封される。
本多政利、大和国のうち三万石から播磨国明石六万石に、本多忠英、大和国のうち一万石から播磨国山一
万石にはいる。
2月22日−幕府が明石藩主本多政利を失政により,6万石がら1万石に減封。
陸奥国岩瀬一万石に移り、松平直明、越前大野五万石から明石六万石にはいる。
松平直矩、姫路十五万石から豊後国日田七万石に移る。本多忠国、陸奥国福島十五万石から
姫路十五万石にはいる。