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●宝永元年(1704)
●宝永3年(1706)
●宝永5年(1708)
●宝永7年(1710)
幕府、越後村上藩主榊原政邦を姫路に、姫路藩主本多忠孝を村上15万石にうつす。
永井直敬(なおひろ)、赤穂3万3,000石から信濃国飯山3万3,000石に移り、
森長直、備中国西江原2万石から赤穂2万石に入る。
5月−三木の町人が地子免除を要求して越訴する。
播磨国多可郡安楽田(あらた)町(中町)の千石太郎兵衛、来播の幕府巡見使に代官らの
不正を列挙した訴状を提出する。