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●享保元年(1716)
●享保4年(1719)
●享保7年(1722)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
小笠原長興(ながおき)、豊前国中津(兄早世のため4万石収公)から播磨国安志(あんじ=安富町)1万石に入る。
夏-明石藩が郷学景徳館を創設する。
9月24日−幕府が摂津・河内・和泉・播磨4国の公事訴訟・寺社支配
の所管を京都町奉行から大坂町奉行に移す。
播磨国龍野藩出身の儒者中井甃庵(しゅうあん=中井竹山・履軒の父)、大坂懐徳堂の学主となる。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
播磨国龍野藩、醤油などの公定価格制を実施する。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。