耐震診断と耐震補強
■耐震診断
1981年(昭和56年)5月末以前に建てられた建物に関しては、法律で耐震診断が義務付けられています。
この法律対象の建物に関しては、自治体に申請すると無料で耐震診断を受けることができます。
借家に関しても家主が申請することで1万円ほどで診断を受けることができます。
1981年5月末以前の建物は地震に対して脆弱なので耐震補強が必要です。
では1981年6月以降の建物は安全なのでしょうか?
■建物の建築年代と揺れによる倒壊確率
次の図は国(中央防災会議)の地震被害想定報告書をまとめたワーキンググループで用いられた地震の揺れに対する建物の全壊確率のデータで、阪神淡路大震災や新潟中越地震など過去のいくつかの地震の経験値から導いたものです。
(首都直下地震対策検討WG「被害想定手法の概要〜人的・物的被害〜」より)
計測震度6.0以上6.5未満は震度6強、6.5以上は震度7を意味します
図では1980年と1981年の境になっていますが、耐震基準が改定された1981年5月末までと1981年6月以降の比較としてみてください。
上の図から1981年より前に作られた木造建物は強い揺れに対してかなり弱いことが分かります。・震度6強の強い方(計測震度6.4)では1981年6月より前の建物は40%以上が全壊してしまいます。
半壊は全壊と同数〜3倍と考えられるので、震度6強の強い揺れが来たら住むことができなくなるだけでなく、中にいた人は助からないと考えてられます。
1981年5月末より以前に建てられた建物は耐震補強しないと強い揺れでは助からないのです。
次の図は非木造の建物の同様のデータで鉄筋コンクリート造やプレハブ造の方が揺れに強いことが分かります。(引用元は上の図と同じ)
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震度が全てではない <キラーパルス>について
次の図は阪神淡路大震災の犠牲者の死因の割合を見たグラフです。(大建工業株式会社HP「3つの地震から学ぶ 地震による建物への影響」より引用)
阪神淡路大震災M7.3では大火災が続いたので火災で亡くなった方が多いイメージがありますが、実は8割以上の方が建物の倒壊の関連でなくなっています。
一方、東日本大震災はM9.1とエネルギーははるかに巨大でしたが、建物の倒壊による死傷者は少なく津波の犠牲者が圧倒的でした。
二つの地震を比べると次の図のように地震波の周期に大きな違いがありました。 (引用元は上の図と同じ)
周期1.0〜2.0の地震波は戸建て木造家屋を最も大きく揺らし、倒壊に至らせる ものとして知られており俗に
<キラーパルス>と呼ばれています。
阪神淡路大震災では周期1.0〜1.5の成分が非常に大きい地点で建物が大きな被害を受けましたが、東日本大震災では周期1.0〜2.0の成分が大きい地点がなく、建物に大きな被害は出ませんでした。
阪神淡路大震災ではこの成分の多い地点と少ない地点とで大きな差が生じたようです。
計測震度は同じ6.5(震度7相当)だったJR鷹取駅付近と神戸海洋気象台付近 の二つの地点で、JR鷹取付近では家屋全壊率は59%、気象台付近ではわずか3%でした。
これは
地点によりキラーパルスの成分が大きいか小さいかで建物被害に大きな差ができたと考えられています。
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熊本地震では新耐震基準の問題点が顕在化
1981年6月の新耐震基準以降に建てられた住宅は万全かというと、そうでもないというデータが2016年の熊本地震で明らかになりました。
これは国が首都直下地震や南海トラフ巨大地震の被害想定報告書をまとめた後に明らかになったことです。
次の図は
熊本県益城町における木造家屋全数調査結果からのデータです。
(日本建築学会「資料:熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会」資料より)
益城町は最も揺れが激しい地域でした。
上の調査で分かったことは2000年5月までに建てられた建物と2000年6月以降に建てられた建物では被害に大きな差がみられました。
実は1981年6月の新耐震基準は壁の重量を従来の1.4倍にしただけだったので、調べてみると、全壊した建物の72.9%で不十分な接合部の破損が確認されています。
2000年6月の新耐震基準の改定で、接合部の強度を高める仕様に変更したため、それ以降に建てられた建物では倒壊・崩壊や大破が少なく、半分以上の建物で生活を続けることができたのです。
本当に自宅を安全な『自宅避難』できる場所にするなら、2000年5月末以前に建てられた木造住宅も耐震補強が必要だという事がお分かりいただけると思います。