国際司法裁判所、ICCは昨年、ガザにおける戦争犯罪にあたるとして、イスラエルのネタニヤフ首相とハマス幹部を起訴しました。
ユダヤ人を終末におけるタイムテーブルのキーパーソンとする、クリスチャンとしては、見逃せない暴挙であり、とうてい座視できません。
当然、キリスト教大国のアメリカのトランプ大統領も、ICCに対して制裁措置をすぐさま行いました。
しかし、この組織のトップが日本人の赤根智子氏であることで、わたしには一つの疑問が湧いてきました。
日本はクリスチャン人口が全体の1%未満(正確には30万人程度)の仏教、神道の国です。ですから、彼女はわたしの中で、ノンクリスチャン、あるいは、聖書の知識ゼロの知識人ということでこの話を進めます。
一方、アメリカの例をだすまでもなく、ヨーロッパは殆どがキリスト教国です。つまり、国際的に見れば、彼らの多くがキリスト教、聖書の教えを基礎にした考え方を持っています。
クリスチャン人口は約30億人で世界人口の4割程度にもなります。民衆の善悪の判断というものは、古くから馴染みのある聖書の教えが基本となるのは、当然のことです。
何が言いたいのか、と言えば、仏教、神道の国の人間がキリスト教を基本とする人たちを裁けるのか、ということです。
では、聖書は今回のガザ戦争をどう見るのか、具体的な例をひとつ旧約聖書から挙げてみたいと思います。
第二サムエル記11章に有名なダビデとバテシェバの話があります。
ダビデ王の時代、隣国アモン人との戦いがあったが、デビデは王宮で一人いた。夕方、屋上を歩いていると、眼下に一人の女性が体を洗っているのが見えた。
彼女はダビデの部下、ヘテ人ウリヤの妻、バテシェバだった。彼女は美しかったので、彼は人を遣って彼女を召し入れて一緒に寝た。
暫くしてバテシェバが身ごもった。それで、ダビデは急遽、ウリヤを戦場から戻すと自宅に帰るように勧めたが、彼はそれを断り、兵士と共に外で寝た。
このままだと、自分の姦淫の罪が明るみに出るのを恐れたダビデは、ウリヤを戦場に戻すと、司令官ヨアブに「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなた方は退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」と書かかれた手紙を持たせた。
ヨアブはその通りにした。その後、この顛末は主に知れ、ダビデは預言者ナタンに告発される。
ダビデは悔い改めるも、バテシェバが生んだ子は病気で死んだ。およそ聖書が生活の一部となった国で、この話を知らない人はいないだろう。
この話がイスラエルとパレスチナ人ハマスの戦争とどう関りがあるのかを説明します。
イスラム原理主義ハマスは、一昨年10月7日未明から、ガザ国境にあるイスラエル軍の兵士とガザ近郊の集団農園キブツと野外音楽祭に参加していた民間人1200名以上を惨殺し、二百五十名以上を人質として連れ去りました。
それ以前から、ハマスはこの作戦の備えて多数のトンネルを掘り自分たちの隠れ家として準備していました。しかし、地上には爆撃に耐えられるようなシェルターは作りませんでした。
当然、イスラエル国防軍、IDの反撃に対して地上にいる住民は無防備になることを承知の上でこの作戦を敢行したのです。
反撃に出たIDは、地上での被害を最小限に抑えるため、爆撃地に非難勧告をし、それから爆撃をしました。十分に彼らに逃げる時間を与えたのです。それでも、これまでに四万人以上のパレスチナ人が死にました。
勿論戦争ですから、ハマスもIDに攻撃を加え、死傷者は双方にあります。これをもってICCはネタニヤフ首相を戦争犯罪で告発したのです。
では、この告発が聖書的に見て正しいのか、検証してみます。
最初にこの話を比較しやすいように、双方の役割分担を決めます。
最初に攻撃をしたのはパレスチナ人ハマスですから、ハマスが事件の発端と作ったダビデとします。
殺されたウリヤは、パレスチナの地上で殺された人々とします。当然、彼らを殺したアモン人はIDとなります。ここで裁きの主題となるのは、ダビデが部下であるウリヤを殺してでも、それ以上の利益が彼にもたらされれば良いという考え方は罪になるか否かです。ダビデは冷酷にも、自分の姦淫の罪が世に知れるのを恐れて、それを行いました。
一方、ハマスも身内であるパレスチナ人が多数殺されても、それを上回る国際世論のイスラエルへの非難が得られればいいと考えているので、この二者の役割は一致しています。
当然、主であるヤハウェはナタンを用いてダビデを告発しました。ダビデは彼らしく即座に悔い改め、自らの罪を認めました。
実際にイスラエル側は度々、人質を全員返せば反撃は中止するとハマスに伝えましたが、ハマスはそれに応じませんでした。
彼らの目的が身内の死者が多数出ても、悔い改めずイスラエルを国際的に貶める方を取ったのです。
一方で、直ぐ悔い改めたダビデですが、バテシェバが生んだ子は、敵に主を侮らした罪により病死しました。
この表現をわかりやすく解説すると、今回のウリヤを戦死させた戦いでは、なんと、彼一人を敵陣に残して全軍が退却するという、信じられない作戦だったので、アモン人の中には、ダビデの神もたいしたことがない、と言った声が上がったからでしょう。
しかし、この戦争で、主がアモン人に罰を与えたという記述はありません。ウリヤ一人をアモン人の大軍が襲ったとしても、彼らに罪はないのです。
イスラエルの主ヤハウェは、どちらが絶対的に強いのか、強い方が弱い方を一方的に叩くのは罪だとは言いません。
主が罪と定めたのは、ナタンが言った通り、ダビデが、主の前に悪を行ったことです。
主はナタンの口を通してこう言います。「あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。」
つまり、聖書的に見れば、ハマスの罪は地上に住む同胞のパレスチナ人を敵前に無防備の置き去りにし、IDに殺させた罪です。
繰り返しますが、IDに罪はありません。それは、これが戦争だからです。主は自衛と人質奪還の戦いを罪だとは一度も言っていません。
わたしが指摘したいのは、ハマスは二重の罪をこの戦争で犯しました。
一つ目は最初のテロで罪のない民間人を1200名以上惨殺したこと、国際法で禁じられた民間人を人質にとる事、さらに、自国民を敵前に野晒しにして四万人以上を死なせたことです。
すべて、ハマスとそれを支援するパレスチナ人が共に負わなくてはならない罪です。
加えてもう一つ、新約聖書で主は戦いとは、どうあるべきだと言っているでしょうか。
ルカ14章にイエスのこんな言葉があります。31節 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かってくる敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まず座って、考えずにいられましょうか。
32節 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和をもとめるでしょう。
二千年前のパレスチナでは、どの王もまず部下や民の命の安全を考えて、どうしたら、最小限の損害で戦うことが出来るだろうか、を考えたのです。
それなのに、この21世紀に、世界が注目するインターネットの時代に、自国民を爆撃地に野晒しにして、自分たちは地下も潜って人質を確保するなどという、卑怯な戦法が主の前で許されるのでしょうか。
当然の事ですが、彼らには、パレスチナの地を受け継ぐ資格などありません。何故なら、先代の多くの王たちが、当然の如く行っていた、自国の民を守るとう当然の働きを怠ったからです。
彼らはパレスチナの地を自らパレスチナ人の血で汚したのです。
それを知りつつ、国連の独立機関である、ICCは、双方を喧嘩両成敗の如く、同様の罪で告発したわけですから、これが聖書を善悪の基本としてきた国々の知恵の総意かと、あきれてしまいます。
アメリカでもバイデン政権下での、行き過ぎた個人主義の結果がLBGTQで、聖書にはっきりと書かれている、ソドムとゴモラが彼らの同性愛の罪で硫黄と火で滅ぼされて経緯など、お伽噺の如く、葬り去られてしまいました。
まさに世は聖書の教えから遠のいて終末の時を迎えています。
イスラム教では聖書はモーセ五書しかなく、新約聖書も一部福音書のみで、しかも、イエスはムハンマドより下の単なる預言者の一人としか教えてないそうなので、この話は知らないでしょう。
またICCのトップの日本人が知らなくてその部下たちも、目が見えなくても、主が全てご存じです。生ける神の前で行われたこれらの罪に対して、全能の神であられる主が、裁きを行わないなら、この私が幾重にも罰せられますように。アーメン。