私は元から画家志望ではない。5年前、娘を教会に送りがてらに牧師の話を聞き、あるエピソードがきっかけで一枚の絵を描いたところ、聖霊が下って神の存在を知った。
当初は私だけの不思議な出来事かと思っていたら、結構クリスチャンにはこうした体験がきっかけで神を信じた人は多い。
私がちょっと他のクリスチャンと違うのは、自分の描いた絵を通して神を知ったことだろう。
聖書の基本は、神の言葉、を信ぜよ、だが、それに体験が加わると、信仰が長持ちするのは事実だ。
生野菜はすぐに萎れてしまうが、塩で漬けると長持ちするのと同じことだ。体験は聖書で言う、塩けにあたる。
私も幸い、その塩に恵まれた。
それ以来、年7作という、神の数字の数だけ描いてきて、今年5年目で35作になった。
私が芸術家なら、制作にも波があって、年7作というきまった数字は守れなかったと思う。幸い、私は芸術家ではないので、たいした苦労もなく今日まで描き続けることが出来たのは一重に信仰の賜物だろう。
芸術家でなくても、自分で描いた絵を人に見てもらいたいと思うのは誰しもが抱くことだ。ところが、私は昨年夏まで、不思議とそうは思わなかった。
多分私がホームページを持っているので、そこで発表すれば十分という気持ちでいたためだろう。このHPも、元は風景写真用のものだった。
それが、昨年春、新宿にある教会に通うようになり、これも不思議な縁で新宿ヒルトン地下にあるヒルトピア、アートスクエアというギャラリーに導かれた。
そのいきさつを具体的に書くとこういことだ。
絵を描く前、私は10年ほど風景写真を撮っていた。そのころは各アートギャラリーを友人と見て歩いていた。
その中で、地元に近い上尾市のギャラリーでハスの写真展があった。ハスといえば埼玉の古代ハスが有名で、私も仲間と何度も足を運んだ。
ギャラリーに行くと大概、来場者名簿というのに記帳する習慣がある。これに記帳すれば次回の案内が届くからだ。
どうも、その時、私は記帳したらしい。すっかり、その事を忘れていた昨年夏、同じ作者から案内状が届いた。
ふと見ると、新宿とあるので、丁度、教会を新宿の教会に変えたばかりだったし、地図を見ると案外教会から近いので、覗いてみることにした。
これが、私とヒルトピアアートスクエアの運命的な出会いである。
クリスチャンではない友人たちには、「ヒョウタンから駒」と言ったが、本人は神の導きであると信じている。
でなければ、こうも上手くいくはずがない。
こう書くと、クリスチャンでない人が、これから個展を開くためのアドバイスにならないが、大雑把な道のりは多分参考になるだろうと思う。
神を信じても、信じなくても、要は本人が出来ると思えば、大概のことは出来るものなのだ。
クリスチャンである私には、プラスアルファがあったが、それは、後で述べる。
其の一。
当たり前のことだが、作品が会場に並べるだけないと話にならない。
数もそうだが、やっぱり油絵は大きい方がいい。多少下手でも、迫力があれば、なんとかなる。
その点、やはり油彩は有利だ。キャンバスは大きくできる。私は五枚目から神に導かれて、50号(91センチ×116,7センチ)に全て描いた。並べてみると、同じ大きさというのも統一感があってよかった。
其の二。
これも当たり前だが、それなりの場所で個展を開くにはお金がかかる。グループ展なら、毎月の会費に織り込まれているので、特別出費は極力抑えられるが、個展となると桁違にかかる。
具体的な金額については、借りる会場の場所、大きさによるので、一概に言えないが、ホームページで見れば、これはすぐに調べられる。
私の場合はここを見てほしい。
この金額が高いか安いかは人それぞれだが、私には一つの伏線があった。それは、教会に通う様になって毎年、いつかはイスラエルに行ってみたいと思いつつ、なかなか実現しなかったのだ。どうも、かの地に強い惹きつけがない。
とりあえず、いつでも行けるようにと、それなりの貯金はしてあったので、今回は、それを個展に使うことにした。
イスラエル行は、多くのクリスチャンの夢の一つだが、私がクリスチャンになったきっかけは絵にあるのだから、そのためにお金を使うことは、イスラエル行と同等の価値があると判断した。
まとまった作品とお金。この二つがあれば、個展は開ける。
その後のことは心配しても、始まらないので、私は会場の予約をまず入れることにした。年内は年末まで一杯。来年(2017)は春以降空いている、しかも、ゴールデン、ウイークに予約マークがなかった。
私は躊躇せず、その週に予約を入れた。理由は二つある。一つはまだ細々ならが仕事を持っていると。二つ目はカミサンがまだ勤めているので、平日は病気の娘の食事の世話がある。GWならカミサンが家に居るので、1週間の長期休みはこの時期しかなかった。
ヒルトピア、アートギャラリーはHPを見てもらえれば分かるが、ABC三室ある。
ABは隣り合っていて、別々でも一つにも出来る。50号が30作(予約時には26作)となれば、ABの二つを借りるしかないので、これを予約した。半年先なので、この時点で個展を開く実感は全くなかった。
二か月前になって、まず案内ハガキを造る。ネットで検索すれば、業者はすぐに見つかる。幸い、写真クラブで一通りやったことがあるので、それを思い出して、データを入力して業者に渡し、最終稿だけチェックすれば、後は業者任せでほぼ問題ない。
半月後、ほぼ思い通りの案内ハガキが出来上がった。最低数が1000枚だから、これをどこに配るかが唯一の問題だった。
ギャラリー側が250枚を引き取って、建物内に置いてくれる。美術関係雑誌やタウン誌にもヒルトピアスケジュールとして記載される。
私は自分がクリスチャンであるので、まず現在通っている教会と、かつて通っていた教会に頼んでみることにした。
まあ、一般的な方法だろう。顔見知りでもあるし、この方法が確実と思ったのだが、事は簡単には運ばなかった。
頼んで一か月近く経っても先方からの返事がないのである。まあ、教会はとかく行事がおおくて担当者はいつもてんてこ舞いだし、個展は教会の年中行事ではないし、まあ、いろんな理由があるのだろう。
配布先が決まらないうちに、会期がいよいよ来月という時期になって、思いがけない朗報がメールで飛び込んできた。
私が三つある部屋のABを半年前に予約したのは前に書いた。
その後、空いていたC室が、会期一か月を過ぎても空いたままなので、特別の条件で貸してくれるというのだ。
明細は書けないが、びっくりするような好条件だった。
まさに、神の恵みといっても過言でなかった。
何故なら、50号30作品をAB二部屋に展示するとなると、各部屋の壁を精いっぱい使わざるを得ない。
当然、一部屋づつ区切る形になり解放感に欠けるし、仕切りのため全体を見渡せることは出来なくなる。
最初は、予算的な意味で、それしかないと諦めていたのが、急にもう一部屋使えるとなると、写真にあるように、かなり広々とした空間を確保できる。
実際に目でみれば、一目瞭然だが、この解放感というのは実にありがたい。
それに、聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれるので、その区切りを部屋で自然と分けることが出来た。
正に、神の恵みであった。
ここで、ひとつ聖書画と教会の繋がりについて書いてみようと思う。
西洋の油彩というと定番のように出てくる聖書画だが、実はほとんどがカソリック教会のために描かれたものだ。
有名なバチカンにあるミケランジェロの天井画を始め、ラファエロ、ダ、ビンチと教会と聖書画は切り離せない。
しかし、有名なマルチン、ルターが宗教改革をして、プロテスタントが生まれると、豪華な祭壇画やサンピエトロ、寺院を立てるために免罪符という名目で金集めをやったカソリックは、それが裏目に出て、教会が分裂してしまったのは周知のことだ。
当然、その元となった絵画や彫刻は、モーセの律法で禁じた偶像崇拝になるというので、プロテスタントでは一切が禁止され、場合によっては焼かれたり壊された例も数多かった。
現に私の通った教会には、一枚の絵も飾っていない。カソリックはともかく、プロテスタントに限って言えば、絵はさほど教会にとって重要な要素ではない。
イエスも弟子たちにこう言っている。「わたしの言葉を信じなさい。見ないで信じる者は幸いである。」
おそらくそんな理由であろう、担当者は乗り気ではないのだ。
私は身近な教会に脈がないならと、私は新宿に30分以内でいけそうな地域の教会に手当たり次第、案内ハガキを10枚づつ郵送した。
10枚というのは、これが定型で送れる最大だったからだ。
ざっと計算して70件ちかい教会に送ったことになる。郵送料だけでもバカにならないが、700枚を無駄にするわけにもいかず、ダメ元の心境だった。
イザと言うときの神(教会)頼み、の他、私にはもう一つ、客寄せの考えがあった。それは、ギャラリーの上が国際的なヒルトンホテルだということだ。
これを利用しない手はない。ヒルトンといえば、外人客が多いのだ。これはギャラリーの担当者から直接聞いたから間違いない。
当然ギャラリー担当者との打ち合わせで、その件が出て、それならホテルのコンシェルジュ(案内係)に英文の案内ハガキを渡そうという案になった。
私は英語はまるきし駄目なので、これは英語の得意な友人に頼んだ。
イザとなると強いのが昔ながらの顔なじみである。彼の他、高校時代の同級生が初日の飾りつけを手伝ってくれるという。
友遠方より来る。聖書にそんな言葉はなかったが、人付き合いの苦手の私にも、力になってくれる友人の存在はありがたかった。
彼の助言により、当日はもう二人ばかり、助っ人を呼ぶことになった。
というのも、彼によると、我々の年代になると当日に限らず、何が身に起こるかわからないというのだ。
彼はコンサートの集まりの幹事を何度かやるうちに、当日必ず何人かキャンセルが出るという。体の不都合が殆どだそうで、今は大丈夫でも先がわからないのが、我々の年代なのだ。
こう忠告されると、我が身を振り返り返す言葉もない。
それで都内の便利屋さんに当日の手伝いを頼むことにした。今はなんでもネットで検索すれば、殆ど事足りる。つくづく便利な世の中になったものだ。
体力健康に自信のない分、お金はかかるが当日、もしものことがあったらと考えると人手は最低二人は必要だし、実際に便利屋は役だった。
もし、友人と二人で設営をしなければならないとなると、倍の時間がかかり、とても開場の正午には間に合わなかっただろう。
次に作品の運搬は、とても自分の車には載りきらず、道も不案内なので、プロに頼むことにした。
これには、一台貸切が使える個人の赤帽が便利だ。当日、朝早く自宅に来てもらえ、約束の9時にはホテルに無事届けてくれた。
料金も美術運搬のプロに頼むと片道7,8万かかるが、その1/4程度の費用ですんだ。
さて、当日、朝6時に赤帽さんが来てくれて自宅から作品の積み込みをして、私は車で最寄(といっても戸田まだ)の駅にいって、そこから埼京線で新宿まで行く。
9時15分前に着き、地下駐車場に行くとすでに赤帽さんは到着していた。休日のせいもあって道はすいていたとのこと。
それから、台車で会場まで三回に分けて搬入。友人も来てくれて、大雑把に作品の位置を決める。
なにせ、すべて初めてなのだが、個展のいいところは全て自分で決められる点だ。決めれば後は作品をワイヤーで吊るすだけである。
今回は作品数が多いのと、人手がないことを考慮して、絵の額装はなしにした。実際、額があるのとないのとでは絵の重量がまるで違う。
50号でも木枠とキャンバスだけなら4キロ程だが、それを額にいれると3倍くらい重くなる。しかも、額は一つ7,8万円もする。
レンタルもあるが、重量と手間を考えたらとても実用的ではない。
苦肉の策として考えたのが、昔風景写真をやっていた経験から、キャンバスを黒のガムテープで囲み(といっても実際見える部分だけ)両サイドから金具で吊る方法を取った。
ギャラリー備え付けのワイヤーは充分な数があるので、一枚に二本つかっても大丈夫。何より軽くて作業が楽であった。
設営は便利屋さんの若者二人だったが、撤収は私一人でも十分時間内に終えることができた。
ある外人客から、これは何でできているのか?と訊かれたので、キャンバスだ、と答えると、不思議そうな顔をしていた。
多分、写真展にある板状のパネルを想像していたのだろう。キャンバスをパネル風にしたのは珍しい試みかもしれないが、これは、聖書画という統一感を出すうえで結果的に大正解だった。
ABC三室に絵を展示して、挨拶文と各絵の説明文を壁に貼っていくと、あっと言う間に開場時間の正午になった。
まずは関係者に見てもらう。説明文を丹念に読んでいくとそれだけで2,30分はかかってしまう。
最初のお客さんは、開場時間前に来た美術関係者だった。ヒルトピアは馴染みのギャラリーで、しょっちゅう来ていると話していた。
今回の案内は知らないで来たらしいが、興味深そうに熱心に見てくれた。
昼時になって、知人友人たちはそれぞれ、昼食を摂りに近くのレストランに出向いていったが、主催者である私は近くのコンビニでおにぎりを買ってその場で食べた。
同じ地下街にコンビニがあるのは助かる。これから1週間はここのおにぎりと野菜ジュースが昼飯の定番となった。
午後四時頃、関係者が皆帰ってしまうと、この広大な空間がまったく自分ひとりのギャラリーとなった。
この充実感と満足感は、個展を開いた者だけの特権だろう。
幸か不幸か、お客が来ない分、この空間を独り占めできる満足感が大きい。
私は一人、この満足感に長い間、浸っていたい気持ちで一杯だった。
なにせ、自宅の6畳が私の寝室兼ギャラリーだったのだから、31点の絵を一同に見渡せる経験はこの時が最初だった。
こうして、聖書の世界を、創世記からヨハネの黙示録まで、年代順に並べてみると、読むのとは又違った印象を受ける。
それは、何かというと、イエスというたった一人の人間に全ての事柄が結びついているという事実だ。
英語のHistory(ヒストリー 歴史)はHis story(ヒズ、ストーリー 彼の物語)が語源だというのが良くわかる。
それ故、欧米の文化には深くキリスト教が関与している。このことはすぐ後になって外人客と話してみて良くわかった。
その切っ掛けを造ってくれた英語の外看板の効果は二日目の夕方に劇的に表れた。
何故、劇的かというと、この日、たいしてお客さんは来ないので六時の閉館を待って、私は早速日課にしている自作の賛美歌を歌い始めた。
ドアは閉めて、ひと目でクローズが分かるようにしておいたのだが、照明はつけておいた。絵に向かって歌っているので、ドアは見えないのだが、歌っていると後ろで人の気配がする。
振り向くと、年配の外国人の方が三人、ドアを開けて入って来ていた。
私はすぐ歌をやめて彼らに「ウエルカム」とあいさつした。すると、先方は「君はプロか?」と訊いてきた。
私は咄嗟に、これは絵に対する質問だと思い、「私はアマチュアだ。」と答えた。
彼らはオーストラリア人で、年配の御夫婦とその妹さんだった。見ると、浅草と日本語をプリントしたTシャツを着ているので、「ここへ行ってきたのか?」と訊くと、「そうだ」と答えたので、プリントされた日本語の意味を教えてあげた。
御主人の方が「日本には寺が多い」というので、「その通り、しかし、私はクリスチャンだ。」と言うと、彼らは急に親しみを覚えたのか、いろいろと話しかけて来た。
「日本のクリスチャンは1%以下だ。」とかなり専門的な指摘をしてきた。多分、その日本で、まさか聖書画を見れるとは思ってもいなかったのだろう。
すでに閉まっているドアを開けて、入ってくる積極性はその表れだったに違いない。
英語に疎い私だが、教会に時折、外国の宣教師が招かれることがあり、その時は通訳がつくので、主要な単語はその時覚えた。
それ以上に、心強いのが、彼らの目の前にある私の絵だ。これがあれば幼稚園で使うような単語の並びでだいたい意味は通じる。
この辺りの共通認識は同じクリスチャンの特権だろう。あらかじめ「私は英語が上手くない。」と断りを入れておいたが、奥さんから、「あなたの英語はGood!」だと言われた。
このGoodはおそらく、私が英語は上手くないと言ったのに対して、「まあまあよ。」程度の受け答えだろうが、私は英語が通じたので急に自信がつき、その後の会話が大いに弾んだ。
一通り、絵の説明が終わると、「君の名前は?」と訊いてきたので、絵に描いてある署名を指さした。
そこで初めて、「これは君が全部描いたのか?」と言われて、「そうだ。」と答えると「きみはアーティストだ。」と褒めてくれた。
そこで最初の質問の意味がそこで分かった、彼らは私の歌を聞いて「君はプロか?」と質問していたのだ。
これには、後になってびっくりするようなおまけがつくのだがそれは後述する。
最後に随分熱心に見てもらえてので、お気に入りの絵を教えてほしい、と訊くと、御主人は、サウロが主の光に撃たれて落馬している絵を指さした。「これがいい!光の表現がいい!」と気に入った様子だった。
奥様は、随分迷って、「幼子を抱くマリヤ」を指さした。「これが綺麗だ。」というので、私はおそるおそる「マリヤがヌードで描かれているのは、気になりませんか?」と訊くと、「ぜんぜん、OKよ。」とあっけらかんと答えてくれた。
母と幼子の親密さを表現するには、お互い裸であることに、何の違和感も感じないというのは、さすがに、アダムとエバを熟知しているクリスチャンならではの答だと感じた。
この裸体表現については、実は公開前にさる友人から非常に厳しいご意見を頂戴した。
彼が問題としたのは、旧約聖書のダビデの絵で、男性性器がリアルすぎるて、非常なショックを受けたというのだ。
まあ、個人的な感想なので、私は特に問題にしなかったが、それが理由で、知り合いにこの展示会を紹介するのは、躊躇しているというので、私もそれには困ってしまった。
私がゴリアテと対峙する若きダビデを全裸で描いたのは、聖書の記述にある、割礼をはっきり示すためであった。
割礼とは、聖書に頻繁に出てくる表現で、男性性器の包皮の先を切り取ることで、旧約聖書の最初の章に、信仰の父アブラハムが神との契約として、イスラエル人に与えれらた契約の印である。
又、この割礼を受けているダビデが割礼の無い、ペリシテ人の勇者で巨人のゴリアテを、神の信仰をもって撃退することを表すには、これは是非とも描く必要があった。
無論、クリスチャンではない彼にその理由を説明しても、無駄なので、ギャラリー側の承認は受けている、としか答えられなかった。
結果として、この絵について、他のお客様より、一切の苦情、質問等はなかった。
今日の美術表現において、どちらも極普通の反応だったと私は感じている。この手の認識の違いはいつの時代にも必ず現れるものだし、極めて個人的な見解の相違と言うほかはない。
さて、話題が少し横道にそれたが、新約聖書で私が特に表現したかったのも、この母マリヤと独り子イエスの親子関係だった。それは、案内ハガキに用いた絵にもよく表れている。
それと新約聖書のハイライトである、最後の晩餐、十字架、ゲツセマネの祈り、については、「悲しすぎる。」と一言感想を言ってくれた。
帰り際に、「どうしてここを知ったのか?」と訊くと、「歩いている途中に知った。」というので、これは、外看板を見てくれたのだと分かった。
その後、こうした外人さんは何人か来てくれた。週の中ごろ、これも熟年の一人の外人さんが、片言の日本語でやってきた。
日本語の案内ハガキを手にもって、「この50号というのはどういう意味だ?」と訊くので、「絵のサイズだ。」と、教えてあげると、今度は「30点は何?」というので、「それは展示してある絵の数だ。」と言うと、それから片言の会話を交えて実に熱心に見てくれた。
日本には数回きたことがあり、片言の日本語が話せる。こちらは片言の英語。これで結構、込み入った会話が成立するのだから、クリスチャン同志というのは、何か相通じるもの、唯一の神の存在を信じているという共通点があるからだろう。
どう会話が複雑かというと、「どうやって、この場所を知ったのか?」あるいは、「どうやって、この展示会を開いたのか?」という質問だろう。
これは、すでに前述したが、これを英語となると、私の語学力では不可能である。仕方なく、「By accident たまたま。」と答えると、「いや、これは神の導きだ。」と答えると言った具合。
お互い、出会いも全て、偶然はなく、すべて神の御心である、という考え方は、クリスチャンにならないと理解できないし、逆に共通の価値観があると、以心伝心のように、瞬時に分かりあえる。
私がクリスチャンだというと、私のクリスチャンネームはジョンだ。君はなんという名だ、と訊いてくる。彼はアメリカ人のカソリックで、やたら絵に熱心だった。
ちなみに、クリスチャンネームはカソリックが幼児洗礼を受けた時につける名前である。生まれてすぐだから、本名と同じである。
少々ややこしいが、プロテスタントは自分の意志で洗礼を受けるので、特にクリスチャンネームとは言わない。
日本でも、まれにカソリックのクリスチャンネームを取り入れて、パウロ〜と名乗る人達がいる。私の前に通っていた教会がそうだった。
その時は思いつかなかったが、お前のクリスチャンネームはなんだ?と聞かれた時、Futaroだ。と答えておけばよかったと後悔した。
彼は会場で何度も絵の前で立ち止まり、熱心にみていた。やがて出ていくので、帰るのかと思ったら、C室に再び入り、ギリシャ神話の絵についても熱心に見ていた。あれこれ質問して、30分以上熱心に見てくれた。
クリスチャンが立て続けに来たので、外国人が来ると一応、「あなたはクリスチャンですか?」と訊くことにした。
当然、そうでない、と答える人たちもいたが、皆に共通しているのは、クリスチャンでなくとも、聖書をどこかで学んでいることだった。
そのせいだろう、当然日本語の説明文は読めないが、皆10分20分30分と、貴重な日本観光の時間を割いて熱心に見てくれた。
特に熱心な方々に、帰り際に感想を求めると、「ユニーク、インタレスティング、ブライト」等の答が返ってきた。
絵の中に自分の影が描かれている作品の前に立たせ、「これがあなたの影です!」と説明すると、皆大いに喜び、スマートと言ってくれた。
概して外国人には評判がよかった。彼らは皆、日本観光をして、日本に神社仏閣が多いのを見て、当然、日本は神道と仏教の国と思うだろう。
日本に詳しい人は、日本のクリスチャン人口は1%以下ということまで知っている。その日本で、創世記から黙示録まで描いた聖書画が見られること自体が、新鮮かつ驚きだったようだ。
そして、最終日に、本当にびっくりすることが起こった。
なんと、二日目の夕方に訪れてくれたオーストラリアのノエルさん一家が再び来てくれたのだ。
これから香港経由で国に帰るので、もう一度来た、と元気な三人の顔を見た時は本当に驚いた。
彼らは、私が歌の途中だったことを気にしていて、もう一度、訪れてその歌を聞きたいと言ってきたからだ。
これには、私も驚いたが、せっかく最後の観光の時間を割いてまで、来てくれたのだから、気前よく歌うことにした。こことここ
実はこのオリジナル賛美歌を、人前に歌うのは、この日が初めてだった。神は実に粋な計らいをしてくれるものだ。
ノエルさんは感激したのか、案内ハガキにサインしてくれと言ってきたので、サインしたが、私は生来の悪筆なので、こんなことなら、練習しておけばよかったと、それだけは悔やまれた。
ここで外国人以外の方々、つまり日本人の反応も書いておかねば片手落ちである。
来られた方々は、当然聖書に興味がある人達なので、どなたもしっかり説明文を読まれていたのが印象的だった。
ある年配の二人連れのご婦人達があまりにも、熱心に見て回られているので、帰りしな、「どうでしたか?」と感想を求めるついでに
どうしてこの展示を知ったのですか、と訊くと、教会に案内ハガキがあったので、と答えられた。
教会名を聞くと、確かに郵送した教会名に覚えがある。
思わず、「よかった、一方的に送ったので、捨てられているかと思いました。」と言うと、「ちゃんとあったわよ。いい絵なので、他の人たちにも紹介するわ。」と言って、案内ハガキを4,5枚持っていってくれた。
その後、その教会に人が来たかどうかは、わからないが、確かプロテスタント系の教会だと思うので、ああ、わずかでも来てくれた人がいてよかった、と思った。
最後に具体的な数字を出しておこうと思う。
総入場者数は7日間で119名。一日平均17名。
その内、外国人が36名。私の関係者が13名だから、1/3が外国人という結果になった。
これには、ギャラリーの担当者も驚いていたし、私もまさか、ここまで来てくれるとは思わなかった。
なにせ、たった一枚の外看板だけで、36名である。
反対にほどんど、効果のなかったのは、これも意外や教会に送った案内ハガキである。
これは、前述の如く、プロテスタント教会の基本理念であるから、彼らの信徒として判断は間違いではない。
反省項目としては、次回から1000枚も案内ハガキは必要ないということで、これは財政的にはうれしい結果になった。
では、70名ほどの日本の方々が何によってこの展示を知ったかというと、これが最終日にちょっとしたことがあって一つわかった。
4時過ぎに私が一人で後片付けをしていると閉めてあるドアの向こうに人影が見えた。
最終日なので、私は両手で×をつくりクローズのサインを出すと、彼が何かを掲げて私を呼んでいるので近づいてドアを開けると、彼はある小雑誌を広げて、ここに最終日は6時までと書いてある、と言うではないか。
明らかにミスプリントだとわかったので、私は案内ハガキを差し出して、これが正しい情報です、と言うと、彼は「面白そうな題なので、来てみたが、この雑誌はいい加減だ!」と怒り収まらない様子。
もう少し、早ければ撤収せずに残った絵でも見てもらえたのに、と非常に残念だったが、事情を話してお引き取り願った。
彼が手にもっていたのは「フォト、ステージ」というタウン誌で、私も風景写真をやっていた時、手に取ってみた覚えがある。
確か無料のタウン誌なので、編集に難があるのかもしれないが、非常に多く読まれていることは確かなようだ。
こうしたタウン誌の他、会場に備え付けのラックに、「美術の窓」があって、そこにもヒルトピア、アートギャラリーの展示スケジュールが載っていた。
初日一番に来場した方も、ここの常連であった。こうしてみると、ホームページもあるし、結構、このギャラリーの固定ファンがいて、こまめに催し物をチェックしているのが分かる。
早い話、個人的に案内ハガキを大量にばら撒かなくとも、よかったという結果になった。
それでも、私の場合、聖書の世界というバックグランドがあったのが何よりも強みだった。
これがなく、単なる個展であったら、どれだけ人が集まっただろうと思うと、ぞっとする一方、殆どの画家たちは、こうして孤軍奮闘して名声を勝ち得てきたのだと思うと、頭が下がる。
以上で私の初めての個展報告は終りである。最後にここまで導いてくれた神に感謝する。アーメン
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