11月2日 聖書から見た、イスラエルとパレスチナ

by Futaro

イスラエルが誕生してから、周辺のアラブ諸国との戦争はユダヤ教とイスラム教の諍いであるがため、どちらの宗教にも疎い日本人には、イマイチよくわからない戦争でした。
  クリスチャンになって聖書を読むようになっても、それは同じでした。ところが、昨年10月7日以降、毎日のように報道されるガザでのイスラエル軍への一方的な非難を読むたびに胸が痛みました。
  それは、私が親しみを込めて描いた、イエスやマリヤを愛したユダヤ人が、国際社会から孤立していくとう不安でもありました。
  それで、聖書の観点から、今回のガザ戦争について書いてみようと思います。
  彼らはユダヤ教の神の民ですから、その行動の原点は旧約聖書にあります。
  その中でも、主に愛され、最もよく主に仕えた王にダビデがいます。
  彼は主を常に「万軍の主」と讃え、引くときも攻めるときも、この主の声を常に聴き続けました。
  そのダビデが残した最大の書は詩篇として、現代でも世界中で読み継がれています。
  まず、この戦いの原点となった、パレスチナは誰のものか、という原点について聖書ではどう言っているのでしょうか。詩篇105編8節にこう書かれています。
  8節 主は、ご自分の契約を永久に覚えておられる。
  お命じになったみ言葉は千代にも及ぶ。
  9節 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
  10節 主はヤコブのためにそれを掟として立て、
  イスラエルに対する永遠の契約とされた。
  11節 その時、主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地として、
      あなたがたに、カナンの地を与える。」
  カナンというのは、現在のパレスチナのことで、モーセに率いられてエジプトから出たユダヤ人達に神が与えた土地のことです。
  その後、AD70年にユダ王国がローマ帝国に滅ぼされ、時の皇帝は彼らが二度とこの地に戻れないようにと、彼らの宿敵ペリシテ人の名前を取ってパレスチナと呼ぶようになりました。
  ですから、聖書の民であるユダヤ人にとてって、国連の分割決議案がどうであれ、元々神が約束した土地に戻っただけのことなのです。
  では、何故、神はご自身がユダヤ人に約束した土地に彼らが戻ったのに、かくも色々と災難をふりかけるのでしょうか。それについても、聖書は明確に答えています。
  詩篇95編7節 主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。
     今日、もし御声を聞くなら、
  8節、メリバでの時のように、荒野のマサでの日のように、
  あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
  9節、あの時、あなたがたの先祖たちは、すでにわたしのわざを見ておりながら、
     わたしを試み、わたしを試した。
  10節 わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌み嫌い、そして言った。
     「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない」と。
  11節 それゆえ、わたしは怒って誓った。
  「確かに彼らは、わたしの安息に、入れない」と。
  8節のメリバでの時のように、は出エジプト記17章にこうあります。イスラエル人の全会衆は、主の命により、シンの荒野から旅立ち、レフィディムで宿営した。そこには民の飲む水がなかった。
  それで、民はモーセと争い、「わたしたちに飲む水を下さい」と言った。モーセは彼らに、「あなた方は何故私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか」と言った。
  それで民はつぶやいていった。「なぜ私たちをエジプトから連れ出したのですか。私や、子供達や、家畜を、渇きで死なせるためですか」そこでモーセは主に叫んで言った。
  「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。もう少しでわたしを石で打ち殺そうとしています」主はモーセに仰せられた。
  (中略)さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう」
  (中略)それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名付けた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また、彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。
  つまり、主を試みる者は、主の安息に入れない、ことを聖書は教えています。
  ユダヤ人というと、とかく選民思想のある民族だと言われていますが、主から離れた彼らに対する主の報いは凄まじく、一例を挙げれば栄華を極めたソロモンの後継争いでイスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に二分されました。
  ところが北イスラエル王国は、聖所エルサレムを失ったため、黄金の子牛の像を造りそれを礼拝したため、主の怒りをかってしまいました。
  第二列王記16節から20節にこう書かれています。
  また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って主の前に悪を行い、主の怒りを引き起こした。
  そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。ただユダの部族だけしか残されなかった。
  これが世に言う、失しなわれた10部族の概略です。アッシリヤ帝国の攻撃により残されたのはユダ族とベニヤミン族だけという、すさまじい主の怒りをユダヤ人は経験しています。
  覇者アッシリヤ王は、バビロン、その他の地方から人々を連れてきてサマリヤの町々に住まわせたとあります。
  イエスの時代、そのせいで、残されたユダ、ベニヤミン族はサマリヤ人とは付き合わなかった訳です。
  そして、残された彼らもAD70年にローマ帝国によって神殿が壊され完全にユダヤ教と共に崩壊します。
  その後、神殿を中心としたサドカイ派による神殿ユダヤ教からタルムード(口伝律法)を主体とする、ラビユダヤ教として世界に分散し、1948年のイスラエル再建まで苦難の道を歩みます。
  ユダヤ人は主に選ばれた民であると同時に主から離れた時に艱難に見舞われるという宿命を負った民だと言えるでしょう。
  それでは、昨年10月7日以前にイスラエルで何が起こっていたかというと、ビルボード、イスラエルのアミール氏によれば、テルアビブの路上で祈ることが合法か違法かという議論が国会で行われていたそうです。
  イスラエルに一割強の正統派ユダヤ教徒がいます。かれらは伝統的な黒服を着て独特の帽子を被り、モミアゲをカールにして伸ばしているので、一目でそれとわかります。
  彼らは祈るとき体を前後にゆするので目立ちます。それを禁止しようという法案を議論していたようです。祈りの国、イスラエルでありえない話ですが、本当だったようです。
  そして、10月7日のテロによる神の怒りが下りました。ユダヤ人はそれで目が覚め、国を挙げて人質奪還に向けて祈ったそうです。
  しかし、その反撃は国際社会から猛反発を受けています。国際法を無視して、1200人以上の民間人を含む無実の人々を虐殺したパレスチナ人に、かえって同情の声が集まったのも皮肉な結果ですが、イスラエルが主に祈った時、どういう結果になるのかは聖書が如実に語っています。
  詩篇7編が今回、主より示されたので一部を書いてみます。これは、正に今回のガザ戦争そのものの描写です。
  10節 私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
  11節 神は正しい審判者、日々、怒る神。
  12節 悔い改めない者には、剣を研ぎ、弓を張って、ねらいを定め、
  13節 その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。
  14節 見よ。彼は悪意を宿し、害毒をはらみ、偽りを生む。
  15節 彼は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。
  16節 その害毒は、おのれのかしらに戻り、その暴虐は、おのれの脳天に下る。
  11節に、神は正しい審判者、日々、怒る神。とあり、神がこの戦争を仕掛けたパレスチナ人にたいして怒っています。
  そして、イスラエル軍(以後ID)は、正しい審判者の元で神に祈り戦っています。
  その戦い方は、その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。とありますから、文字通り、燃える矢、つまり、ミサイル攻撃を仕掛けています。
  それに対してパレスチナ人(注1)側は、見よ。彼は悪意を宿し、害毒をはらみ、偽りを生む。とあるので、このIDの攻撃から、悪意あるデマや偽情報をまき散らしています。
  世論はそれを信じてイスラエルを非難します。パレスチナ人、彼は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。とありますから、文字通り、ガザに数百本のトンネルを掘り、人質を盾にして、その穴に潜伏しています。
  そして、最後に、その害毒は、おのれのかしらに戻り、その暴虐は、おのれの脳天に下る。とあります。
  これも文字通り、おのれのかしら、つまり、テロリストのリーダーである、シンワルに神の一撃が下りました。
  脳天に、とありますが、報道では、シンワルの直接の死因は、頭部に受けた銃撃だそうです。恐ろしいまでに正確に描写されています。
  それでわかることは、この戦争は神のイスラエルを目覚めさせるための計画の一部であり、すべては神の御手にあるということです。
  それでは、イスラエルは永遠に神の安息に入れないのでしょうか。それについては有名なエゼキエル書38章14節にこうあります。
  「それゆえ、人の子よ、預言してゴグ(ロシア)に言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。」
  この預言では、ロシアが同盟国(イラン、トルコ)を従えて人々が安心して住んでいる(安息に入っていると読める)エルサレムに攻め入り、神の御手によって壊滅的な打撃を受けます。
  そして、最後にこう締めくくります。「わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、私が主であることを知ろう。」
  このことが、現代でしか起こり得ないことは、「多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき」と書かれているので、インターネットで世界同時中継が出来る環境でこれが行われると理解できます。
  つまり、これは21世紀におこる戦争なのです。そして反ユダヤ主義に染まった国連がさらに、我が国の天皇制についても、注文をつけてきました。
  男系のみが天皇になれるのは、女性の権利を侵害しているという、とんでもない言いがかりです。
  その反論のため、女性3人が国連本部までいって反論してきた様子を、メンバーの一人葛城さんがユーチューブで報告したので、その概要を書きます。
  まず、驚いたのが、反論に与えられたのがたったの35秒という短さ。
  その中で彼女は、日本の天皇制は、日本古来よりの伝統を重んじた独特の制度であり、これを保持していくことが、日本の伝統を守るうえで不可欠である、と言った趣旨を英語で伝えたそうです。
  場内の反応は無かったようですが、後日談があって、国連のある人から、国連は平等を大事にしているだけで、各国の伝統を非難するわけではない、それに、そう言われたからといって、従う義務など全くない、といった内容を伝えられて、ちょっと拍子抜けしたそうです。
  それにしても、たった35秒のスピーチの為に世界一の物価高のニューヨークにまで飛んでいった、この三人の女性のエネルギーには脱帽です。
  同じレベルの話ですが、この国連の特別報告者フラチェスカ、アルバネーゼ氏が、またしても、イスラエルはパレスチナ人に対してジェノサイドを行っていると、発言し、イスラエルとアメリカから、辞任要求と不適格者の烙印を押されています。
  これなど、先の国連関係者の話からすれば、平等とか、命を大切に、とか誰でも賛同しそうなことしか勧告できない程マンネリ化した国連の権威主義が顕著に表れた事例もないでしょう。
  彼らにはイスラム教の教える殉教と言った概念などまるで理解できないのです。ガザで死んだ4万数千人は殆どがハマスの学校で洗脳された殉教者と言っていいでしょう。
  彼らはイスラム教の天国を信じて死んでいったのです。(IDの事前勧告に従って避難した人々は死にませんから)
  一方、国連は唯物論者であり、生命は肉体と共に滅び、当然、天国や来世といったものは、所詮人間の空想でしかないと信じる人たちです。
  それ故にこの世の命だけが大切だと声高に主張するのです。国連がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教という一神教を基とする世界三大宗教の前では、何の役割も果たせない無用の長物であることがはっきりとわかりました。
  もちろん万世一系の日本の神道に対しても彼らは無知です。世界の知性を集めたような国連ですら、この様ですから、所詮、人間に神の作った摂理を変えることも理解することも出来ません。出来るのは神を信じることだけです。アーメン
  注1 10月20日、スマートニュースから。ハマスの政治部門の指導者バセム、ナイム氏はこう述べた。「これはハマスとイスラエルの戦いではない。パレスチナとイスラエルの戦いである。」
2024年11月2日 
             


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