今日もテレビニュースで殺人の話。
妻が内縁の夫を刺し殺したという。
何故、人は他人を殺しうるのか。
よく、かーっとなってという。つまり、理性ではなく、感情で殺してしまったのだという、この場合、この言葉の後に、殺す気はありませんでしたと続く。つまり、実際、殺したのは私であるのだけれど、強い感情に踊らされて殺してしまったのであり、本来の私は、感情の被害者であるのだ、・・・と続くのだろうと思う。
さて、私は殺人の敷居というのは存外低いのではないかと疑っている。適切な教育と社会の仕組みにて、私を含む多くの人たちは、自ら殺人を起こすこともなく、被害者にもならずに済んでいると思うわけだ。
「隣人が殺人者に変わる時 加害者編 ルワンダ・ジェノサイドの証言」かもがわ出版
新聞を読めば、テレビニュースを見れば、ネットを検索すれば、殺人という日が、少なくともこの日本国内で無かった日はあるだろうか。もしも、そんな日があれば奇跡の日と呼ぶべきかも知れない。
上記の書籍は、ジェノサイド、大量殺戮を行った加害者側のインタビューを載せている。いままで、被害者の言葉が綴られることが多かった中で、加害者がどう考えているのか、また、どう考えていなかったのかが、把握できる。
読んだ結果、思うのは、人は身勝手な存在であり、他人の痛みを自分の痛みとして受け入れる能力も無く、他人を殺す敷居はそれほど高くないということだ。
つまり、人は他人を容易に殺すかもしれない・・・、という前提で、では、どうすれば、他人を殺そうとしない、身の危険を感じながら生きていかなくても良い社会を構築できるかが大事となる。
構築するための根本は「愛」だと思う。
いきなり、ここで愛などという気恥ずかしい語句を提示したが、この辺り、解説してみたいと思う。
十代の淡い恋愛を差すわけでもなく、出演料はどうなっているんだと毎回噂になる「愛は地球を救う」などという大風呂敷を広げたテレビ番組でもなく、汚い中高年男の私が云うところの愛である。華やか、爽やかさには欠けているだろうが、「愛とは命を大切に思うこと」というのが、私の「愛」という語彙と同意となる。そして、この語彙は、大切に思うところの命が、どんな命なのか、誰の命なのかを明示していないところに意味がある。
私は問う。
「この日本の、地球の反対側、ブラジル辺りに住む、例えば仕事もせず飲んだくれで、今後、出会うことも無い、そんなおっさんの命を貴方は大切と思いますか」
問う意味がわからないとおっしゃる方もあれば、素直な方なら、特に大切とはと言葉を濁すだろう。特別な博愛主義者なら大切ですと言い切るだろうが、ふむ、私は博愛主義でもなければ、特定の宗教に与しているわけでもないけれど、言い切ってしまおう。
その命は私にとって大切ですと。
そういう意味では、私は偽善者だろうと思うので、この偽善者めと謗られても仕方がないと思う。
ただ、それでも、私はそういい続けるだろうし、出来る限りの内の何割かで、言葉に沿った行動をとるだろう。
それが生きていきやすい社会を構築する、ほぼ、唯一の手段だと思うからだ。
続く
2015.02.13 更新
2015.06.12 更新
2015.02.06 更新
2015.02.02
私自身はイスラム国に行きたいとは思わない、老人でもあるし、なによりお互いに基本的人権を認め合う社会以外では生きていたくないからだ、もっとも、この国の今に基本的人権があるのかどうか、多少懐疑的ではあるけれど。
さて、彼女達を含め、多くの若者がイスラム国へと向かったことをどう捉えてみるか、それによって、少し情景が変わって見えてくるのではないかと思っていたりする。
私は、彼等自身がどう考えたかは知らないが、この社会を追い出され、イスラム国へと追いやられたのではないかという、そういう見方をすることで、イスラム国へと向かう若者達を減らすことが出来るのではないかと考えたりする。
年齢に関わらずにだ。きっちりとご飯を食べることが出来て、少しでも自分が敬意を持って必要とされているという実感があれば、誰が、今の今、イスラム国へと行こうと思うだろうか。
一つの事象でも、位置を替えて見てみれば、違った様相が浮かび上がってくる。
この辺、ちょっと、しっかりと書いてみたいと思う。
続く
2015.02.24
朗読を前提とした小説です。まだ、執筆中ですが、そのうち、仕上がります。
仕上がりましたら、ご自由にお使いいただいて結構です。私への連絡も必要ありません、というか、連絡先を公開しておりませんけど。
夕子 会社からの帰り、駅の改札を出る。夕刻、久しぶりに早く帰ることができそうだ。
夕子 世の中の多くの父親は、三十前の、実家に暮らす娘にいらいらするらしい。おいおい、いい人はいないのか、と睨みつける。うーん、冷蔵庫を開けても、箪笥を開けてもいないなぁ。そんな、最初は冗談交じりの軽い応酬が、最終的には、出てけ、出て行くと大声で言い張り合い、ただ今、私は実家を出て、一人、いや、二人暮らし中だ。
夕子 別に男と暮らしているわけじゃない。夕さんと暮らしているのだ
夕子 夕さんは見た目、高校生くらいだけれど、うん、私より年上だと思う。母さんが言ってた、分娩室で私が生まれる時、夕さんも隣りで応援してくれていたんだよって。その頃から高校生くらいだったと、母と父の証言。羨ましい、齢をとらないなんて。
夕子 子供の頃、夕さんはお姉さんだった。優しくて、一緒にいると楽しい、そんなお姉さんだった。今は、なんだか、齢の離れた妹、うん、子供じゃない、齢の離れた妹だ。でも、このまま、私が齢を取って行けば、その内、夕さんは娘みたいに思われるようになって、私がおばあさんになった時は、可愛いお孫さんですねとか言われるのだろうか、あぁ、それについては考えないでおこう。 駅前の賑やかな商店街を歩く、呼び込む声が重なり合う。
イスラム国に二人の日本人が殺されて、なにやら、テロと戦えと叫ぶ方もいらっしゃるようだが、テロと戦ってもろくなことにならない、というか、できるだけ関わらないような生き方をしていく方がいいのではないかと、太平洋戦争という大きな悔いを念頭に置き、少しばかり、文章を綴ってみたいと思う。
さて、家族や近親者を殺された人は嘆き悲しみ、大きな傷を負うだろう、とても理性的に考えることはできないだろう。ただ、いまのところ、私はそういった立場にないのは事実であり、それなら、共感して嘆き悲しむことを選ぶよりも、これからをどう考えていくかを理性的に思案する方がより良い方向だと思う。
さて、70年以上前の、太平洋戦争開戦時のこと。数世代前の私達の先祖はこの戦争開戦を、ごく一部を除いて、積極的に受け入れた。
京都新聞 2014.12.24 朝刊 興奮と熱狂 「隠された」文学
機会があれば図書館ででも読んでいただきたい、当時の開戦における国民の熱狂が簡潔に書かれている。考えるに、その時代背景は実のところ、現在と少し似ている。これについては、後述するとして、昭和20年、1945年、多くの国民が開戦時の雰囲気とは逆に、戦争はもうこりごりだと思ったようだ。
拝啓マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙 袖井林二郎著
この書籍には、敗戦直後、老若男女の日本人がマッカーサーに送った手紙が紹介されている。これを読むと、当時の日本人の多くが、マッカーサーを救世主として受け入れたことがわかる。
つまり、開戦時は戦争を始めたことを熱狂的に受け入れ、戦中の窮乏の中、開戦時の気分を後悔し、もしくは、忘れ、軍部の無理強い、終わりない窮乏から、被害者である自分たちを助け出してくれたのがマッカーサーである。そういう認識だ
現代、テロと戦わなければならない的な言説が蔓延しつつある気がして仕方がない。これは、第二次世界大戦・太平洋戦争開戦時と気分が似ているのではないか。つまりは、数年先、こんなはずではなかったと私たちはおおいに悔いなければならないのではないかと不安を抱くのだ。
私たちは本当にテロと戦わなければならないのか、それは、戦争を熱狂的に受け入れた70年以上前の人たちと同じではないか、同じ失敗をまた、繰り返してしまうのではないか、そう危惧して仕方が無い。
続く
参考
2015.02..22 更新
2015.02.15 更新
2015.02.07 更新
2015.02.06
"世界一貧しい大統領"は言う「金持ちは政治家になってはいけない」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/27/worlds-poorest-president-explains_n_6052326.html
まさしく、その通りだと思う。金を持つと貧乏ったれの気持ちはわからなくなる。
「お金をたくさん持っている人は、政治の世界から追放されるべきだ」
これは、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領が、スペイン語版CNNのインタビューで語った言葉だ。
「私 たちは、代表民主制と呼ばれるものを発明しました。これは、多数派の人が決定権を持つ世界だと私たちは言います」と、ムヒカ大統領はインタビューの中で述 べている。「ならば、私たち(各国の指導者たち)は、少数派ではなく多数派のような暮らしをすべきだと私には思えるのです」
引用
詩というのは、凄いなと思う。
宮尾節子の明日戦争がはじまる
https://twitter.com/sechanco/status/425897118599901184
「明日戦争がはじまる」は著作権を放棄します。
ということ。
ほんの少し、武術を教わるものとして、稽古と練習は別物だと思う。
稽古の「稽」とは、しっかりと考えるという意味がある。それでは、「古」とは、何か。
「古」とは、師が示す「動きの質」だと思う。練習の「習」は習うということだ。武術の世界なら、師の動きに習う、合わせるということだろう、それを練っていくから練習となる。
武術と云うのは、今までの日常生活での動きとはまったく違う質を要求する以上、努めて、「考える」ということが必要になる。
「考える」ということが大事なのだ。
つまり、師の動きを真似るだけでなく、何故、そのように動くことが出来るのか、動くのかを、自分自身の身体を材料にして考えていくことが大事になる。
見取り稽古という稽古がある、師の動きを見ることで理解するということだが、そうそう、初心者が見て、師の動きを理解できるはずはなく、また、理解できるというなら、それは勘違いか、既にその地点を越えてしまっているということだろう。
そうでない私を含むそのほとんどの人は、見るだけでは無理。
だからこそ、言葉があるのだ。
続く
2015.02.12 更新
2015.02.10
危険ドラッグ事故に懲役12年判決…小5が死亡 Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150127-OYO1T50000.html
私は、そういった危険ドラックを使用したこともないし、飲酒運転もしたことがない。そういったことが、無謀で、恐ろしいことであり、自分の数少ない将来を制限するものであり、なんといっても、命が大切だと思っているからだ。
だから、こういう事件があると、自分を、より戒めようと思うし、こういう事件が二度と起こりませんようにと思う。多分、大多数がそう思うであろうと考えるだけの社会への信頼が私にはある。
さてだ。危険ドラックに好奇心を持ち、ちょっと試しに使ってみようという人は、あまり、上記のようなことは考えないだろう。
危険ドラッグはダメだよという教育を推し進めても、確かに減らすことはできても、なくすことはできないと思う。もしも、本当になくすことが出来るなら、一件でも飲酒運転が存在することが成り立たない、散々、飲酒運転はダメと教育されてきたのだから。
それを思うと、これからも強く教育していくのは大切なことであると認めたうえで、自分自身で警戒していく必要があると思う。
例えば、横断歩道以外のところを、歩行者として横切ろうとするなら、向こうから、やって来る車が気づかないかもしれない、例え、横断歩道を手を上げて歩いていても、停まらないかもしれない、ここで渡るべきかやり過ごすべきか、緊張感と共に、考えて行動しなければならない。
本当なら、そんなことを考えずにスマホでも見つめながら横断できるくらいの安全であれば、それに越したことはない。
幸い、日本では銃弾の飛び交う交差点はまずないかもしれない、でも、車という1トン以上の塊がとてつもない速さで行きかうのだ。
社会生活が安全であるように努めつつも、警戒心怠らないようにしなければ、自分の、そして、大切な命を守ることができないかもしれない、その緊張感を持っているかどうかが、残念ながら、生死の分水嶺になる。
車とはとても恐ろしいものだ。
危険ドラッグ事故に懲役12年判決…小5が死亡
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150127-OYO1T50000.html
関心を抱く。こういった、痛ましい事故をなくすにはどうしたらいいのか、多くの報道はその言葉で締めくくられる。少し考えてみたい。