2014年2月の日記

2014/02/16

まぶいの会・京都 肝苦りさぁ沖縄(抄)を観劇する

第35回Kyoto演劇フェスティバル まぶいの会・京都 肝苦りさぁ沖縄(抄)を観劇した。以前、多分、10年以上前に、とあるお寺で見せていただいたことがある。

改めて見て、沖縄のことを考える。そして、命の大切さを考える。命がこれほど軽く扱われたことがあったろうか、上陸してきた米兵に白旗上げて降参した方が、まだ、助かった命も多かったのではないか。そんな思いに捉われつつ、思うのは、人はそれほど強くは無いということだ。だからこそ、こういった状況にならないように考えていかなきゃならない。

ただ、敗戦後、70年近くが経つ中で、当時を経験した人達が少なくなってしまった、それに比例するかのように、どうも、この時代、きな臭くなりつつある。

今のフクシマの問題にしても、基本の部分は一緒だと思う。
他人の辛さ苦しさを、我がこととする、肝苦りさ、これを胸に、生きて考えていく中で、命の大切さを自分のものとすること、そして、命はとても大切なんだよという社会の方が、生きていきやすいことを再発見していかなければ、またもや、同じ失敗を繰り返してしまうことになりかねないと思う。

この後、ホールにて京都放送劇団 秋日狂乱 を見る。
初期のラジオドラマ録音風景を模した舞台は興味引くものだった。内容はコミカルであり、そして家族というモノについて考えさせられるものであったと思う。

戦前、いやもっと前は、家族親戚一族郎党が一つの基本集団だった。それが、家族という形に分断され、次は個人という形に分断されることで、個人が一人で社会とあい対さなければならない時代になった。ある意味、個人が疲弊する時代だ。その頃に書かれた作品だろう、その葛藤が面白く描かれていたと思う。
ただ、舞台の後、深田さんがおっしゃっていたが、1時間に収めるために、かなりの台詞を削ったとのこと。その結果として、観客に訴える力が少し弱まったのではないかなと思う。その辺、なかなか難しいことだと思う。

パンフレットの中に、鴨沂通信 番外編というのがあった。鴨沂高校移設についての高校生達の強い思いが書いてあり、是非とも、それと関連した舞台を観てみたいと思ったのだけれど、次の用事のために観ることが出来なかったのが残念だ。
いっそのこと、今回の舞台すべてをyoutube辺りで見せてくれないかなとか思ったりもする。

 

2014/02/15

ちと、思うこと。

夜回り先生こと、水谷修氏の著書やDVD、講演にも行って、ここ2,3年はまったく読んでいないのですけど、曖昧な記憶でお恥ずかしい限りですが、初期、水谷氏は夜の街を彷徨う子供たちに家に帰るようにと声をかけていたのですが、その後、家に帰るようにとあまり言わなくなった、というような、曖昧な記憶が私にはあるのですけど、この文章を書くために改めて水谷氏の著作や録画した番組を見ていないので、どうだったか。
さて、こういうことを書き出したのは、家が子供の安心できる場所でなくなったと、改めて気づいたからです。

子供が何を考えているかわからない、芯がないと嘆く父親を見まして、あぁ、これは、家が子供の安心できる居場所でなくなっているのだなと思いました。
子供が何か自分の言葉を発しようとすると大声で遮り、その言葉を退ける、父親は自分の意見を語り始める。
多分、父親は良かれと思って、自身の思う方向へと指し示そうとしているのでしょうが、そのやり方に間違いがある、まずは子供の言葉を一度受け入れて、その上で、言いたいことがあるのなら、それを言えばよい、と思うのです。
子供の側から見れば、自分の思いを手前で遮られてしまった、その絶望感だけが心に残ってしまう、そして、子供は親に心を見せるのが怖くなってしまう。結果、親は子供が何を考えているかわからないとなるわけです。
これは、本来、親の側が変わっていかねばなりません、が・・・。
親が子供にそういった行動を為すのは、親が子供を支配したいという欲求で、それが例え子供のためと思っての行為であっても、それによって、子供が家にいられなくなってしまうのではと思っています。

 

昨日の大雪から、今日は一日、寒雨。
あれも、これもしなきゃとは思うのですが、寒くて元気なし。

2014/02/14

豪雪地帯から見れば、この程度の雪、たいしたことはなかろうなとは思いますが、こちら京都ではなかなか厳しい。

京都新聞 夕刊 2014.02.13
『秘密法は違憲』提訴 特定秘密保護法は憲法違反だとして、静岡県の弁護士会所属藤森克美弁護士が国を相手取り違憲・無効確認と施行の差し止めをもとめる訴訟を静岡地裁に起こしたとのこと。
政治家が、どうも当てになりづらくなる、そんな気がする今、個人がそれぞれの手法で蠢きださなければならないのかなと思っていたりしますが。
どうも、このところ、国威を無理からにあげようとする、これはグローバル経済と関わりあると思いますが、なにやら無理やり感を感じておりまして、そんな中で、秘密法がありますと、国の、もしくは国民の暴走を止められなくなると申しますか、そんな気がしましてなんだか嫌な

京都新聞 2014.02.13
経団連 武器輸出拡大を提言 三原則見直し 平和理念逆行も
命を経済の言葉で語ろうとする典型かなとか思ったりもしなくはありません、近代より、侵略戦争は存在しません、すべての戦争は自国を守るための戦争であり、などという考え方をする人達が為政の多くにある、それがこの社会だと思ったり致しますと、武器の輸出拡大は、なにをかいわんやと思ったりも致しますし、今こそ、しっかりと命の大切さについて考えなきゃならないのではと思います。京都新聞2014.02.04 柳田邦男の現論 『想像力が問われる』に紹介されている文章でカラシニコフ銃の開発者 ミハイル・カラシニコフ氏が生前、自分の作った小銃が人々の命を奪うことに対して、痛みに耐えがたい。自分は罪に問われるのだろうかとロシア正教会の総主教に手紙を送ったとのこと、ロシア正教会は祖国を守るためなら兵士も武器も正当と認められるとしたとか。私は宗教に詳しくありませんが、ロシア正教会と言うのはキリスト教だったと思いますけど、それは他のキリスト教の団体も同じ考え方なのでしょうか。キリスト教は命は大切だと伝えているのではと思っているのですが、自分の側の「命」限定と言うことでしょうか。

カラシニコフ氏がキリル総主教に書簡

 

2014/02/08

第35回Kyoto演劇フェスティバルを見に行く。
京都西陣創造集団アノニム「ベロ出しチョンマ ソメコとオニ」を観に行こうと思っていたのだ。幸い、早くに出たので、京都市立久我の杜小学校演劇部「バースデー」と宇治っ子朗読劇団 Genji「源氏物語宇治十帖朗読劇」も見ることが出来た。

京都市立久我の杜小学校演劇部「バースデー」 びっくりする。完成度が高い。本もしっかり出来ているし、演技もしっかりしている、というか、ちょっと感動してほろっと来た。演劇の劇とは、劇薬という言葉にもあるように、人の心をどれほどに揺さぶることが出来るかだ。劇的な舞台だったと思う。

宇治っ子朗読劇団 Genji「源氏物語宇治十帖朗読劇」 子供というのは侮れない。揺れる心をうまく表現している。源氏物語は私的にはそれほど好きではないのだけれど、恋のどうしようもない辛い思いが、純粋に表現されていたと思う。

さて、京都西陣創造集団アノニム「ベロ出しチョンマ ソメコとオニ」を観に行ったのだ。
特に私は斉藤隆介の世界が好きなので、これは外せないと思ったのだ。
斉藤隆介の世界の魅力は弱い人達の持つ前向きな力強さを昇華させることにあると思う。
今回の舞台は子供向けの演出をされていたわけだけれど、それ故に雑味なく、まっすぐに斉藤隆介が伝わってきた、そう思う。
私としては、他にも『立ってみなさい』など他の作品も観てみたいと思うし、長編の「ゆき」も舞台にしてもらえたら嬉しい。

 

2014/02/06

創造集団アノニムの公演、Kyoto演劇フェスティバル ベロ出しチョンマ を観にいく予定。チケットも買った。
作者 齋藤隆介のファンでもあるので、楽しみ。彼は童話作家として知られているけれど、元は新聞記者で、当時だったか、職人をインタビューした作品はとても興味深いものだった。

2014/02/05

雪降る

2014.02.04

ばてた

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2014年1月の日記

2014.01.29

「ヒトに問う」倉本聰著 双葉社 注文していた本が入荷し、受け取りに行く。これから、読む。

2014.01.26

少年、トレイの向きを手直しする

叔父が入院したので、見舞いに行く。
帰り、病院近くのレストラン(どちらかと言うと食堂っぽい)で昼御飯をいただく。
そのレストランはトレイに載った食器を返却口へと返すのだけれど、さて、食器を返そうと返却口にて。少年が返却口に自分のトレイを返している。その少年のトレイの横には先客のトレイが返却口に置かれていた。
トレイは長方形で、縦向きにするほうが多くのトレイを並べることができる。
先客のトレイは横向きになっていたのだが、少年はそれをすいっと縦に置きなおし、端に寄せた。小学生、3年か、4年生だろう。
ちと、感動する。親の教育も善いと云うことか。

2014.01.24

通り道、紅葉橋より。

2014.01.22

ゲルソン療法―がんと慢性病のための食事療法  生活習慣病の改善にはいいかもしれないと思う。

2014.01.20

案内の葉書をいただく、行こうと思う。

京都放送劇団公演 「秋日狂乱」、楽しそうだ。


2014.2.16 京都府立文化芸術会館
主催 kyoto演劇フェスティバル実行委員会

前売り800円 問い合わせは京都府立文化芸術会館 電話 075-222-1046

2014.01.19

当相「秘密法改正は困難」 改善努力発言を修正 47NEWS を読んで少しばかりのこと

森担当相「秘密法改正は困難」 改善努力発言を修正 47NEWS
政治家は自身の言葉にどれだけ責任をもてるか、これは、政治家に限らず、大人全般のことではあるが、特に政治家は自分の言葉に責任を持つべきだと思う。
だから、その言葉の内容が、以前と変わったなら、変わったことへの妥当性を説明すること、それに誠意と時間をより割くべきであり、そうでなければ、その言葉に何の意味も無いばかりか、迷惑この上ないなぁとか思ったりもするのだけれど。
と、思いながら記事を読む。結局、前回の運用において改正できるかも、というのが、いや、難しいです、となったわけで、ころっと変わったという感は否めな い、結局のところ、彼女は伝言者であり、それ以上ではないということか。他人の言葉を伝えるだけならば、言葉に責任を持つことなど出来ないし、持ちようも 無い。ただ、それならば、なにやら偉そうな肩書きを外していただく方が良いのではないか、なんて思わなくもなかったりして、なんて気もしなくはない。
言葉を発すると云うことは、とても重いことだと思う。書いたものなら、消しゴムなり、打ち消し線でなかったことで、なんてことも出来るけど、発した言葉は消しゴムでは消えない。
言葉に責任を持たない、無責任な政治家は、大人全般ではあるけれど、信用するのは少々困難であるなぁと思うし、正常な社会が成り立たなくなるのではと危惧をしたりする。

好きな文章 神社合祀に関する意見 南方熊楠

抜粋

むかし孔子は、兵も食も止むを得ずんば捨つべし。信は捨つべからず、民(たみ)信なくんば立たず、と言い、恵心僧都は、 大和の神巫(みこ)に、慈悲と正直と、止むを得ずんばいずれを棄つべきと問いしに、万止むを得ずんば慈悲を捨てよ、おのれ一人慈悲ならずとも、他に慈悲を 行なう力ある人よくこれをなさん、正直を捨つる時は何ごとも成らず、と託宣ありしという。俗にも正直の頭(こうべ)に神宿ると言い伝う。

森担当相「秘密法改正は困難」 改善努力発言を修正  47NEWS
政治家は自身の言葉にどれだけ責任をもてるか、これは、政治家に限らず、大人全般のことではあるが、特に政治家は自分の言葉に責任を持つべきだと思う。
だから、その言葉の内容が、以前と変わったなら、変わったことへの妥当性を説明すべきに時間をより割くべきであり、そうでなければ、その言葉に何の意味も無いばかりか、迷惑この上ないなぁとか思ったりもするのだけれど。

2014.01.16

カラスウリと拾った種を蒔く。

2014.01.15

「脱原発」議員の利用拒否、福井 敦賀のタクシー会社- 共同通信(2014年1月15日10時54分)

脱原発議員に配車拒否 敦賀のタクシー会社 2014年1月15日 13時47分

ちと、考えられないような話。配車担当の社員がいったん電話を切り、ネットで議員が脱原発を謳っており、それを確認した配車係が議員の秘書に電話をして、独断で依頼を断ったとのこと。
どうも、引っかかりすぎる話だ。

一社員が独断でこんな行為を出来るものだろうかと考える。会社名が掲載されているないのでわからないが、千葉から福井に電話をする以上、それなりの規模のタクシー会社ではないかと推測する。一人の社員が独断でと記事にあるけれど、こんなことをするれば、相手は議員だ、ほぼ、間違いなく、クレームが会社へと来るだろう。それを予測することはその社員にとってそれほど困難なことではなかろうと思う。悪くすれば首になりかねないと思うのだけれど、それでも、そのような行為を為したというなら、十二分に裕福で首になっても生活に困らないか、首や減俸にならない理由があったのではないかと思うわけだ。

一つにはそのタクシー会社、もしくは上司から、議員に対しては、ネット等で発言や思想を確認し、脱原発なら断るべしという職務命令があったか、もしくはそれを当然とする風土が企業にあったと考える方が自然であるなと思われるし、はっきりとした文書ではなくても、配車担当の社員が戸惑いなくそう行動する、もしくは忖度して不思議でないモノがあったのだと思う。
さて、では、その風土が、そのタクシー会社固有のものであり、福井県では例外的な考え方であったのかと云うと、はてと首をひねる。

ま、ともかく、
「脱原発」議員の利用拒否 福井・敦賀のタクシー会社  2014/1/15 10:37 に拠ると議員の目的は原発関連施設を視察するためだったらしく、単純に、タクシー会社は日本原子力発電に目を付けられることをひびったんだなと思う。びびらせる歴史と風土があるのだろう。

特に上記の文章とは関係ないけれど、こんなリンク。

原発地元に「風評被害」という言い訳は許されない〜原発計画を阻止した住民の言葉

近所の家の壁

2014.01.14

2014.01.13

2014.01.12

すき焼き御呼ばれする。

2014.01.11

夜から、町内会 新年会。

2014.01.10

迷子に「どうしたの」と声かけるべきか 「不審者」扱い怖く、「110番」した実例巡り議論 これは、なんとも、難しい。

2014.01.09

消される? 負の歴史、関東大震災時の中国人虐殺名簿/神奈川 ちと、メモをしておく。忘れないように。

2014.01.08

古賀茂明氏がズバリ「安倍首相の靖国参拝は金正恩と同じ」日刊ゲンダイ 記事を読んでいて、おおよそ、そういうことなんだろうなぁと納得する。ちょっと、ジョージ・オウエルの「動物農場」を思い出した。

京都市立芸大、10年後に移転 市が計画発表 京都新聞。現在、西京区大枝にあるのが、京都駅の近くに移転となるらしい。
私が住んでいるのは、その大枝の隣り、大原野だけれど、地区の住人として見たとき、宝物を譲ってしまうのだなぁと思った、ほんの少しばかり、大原野の活性化の集まりに顔を出すようになって、十代後半から二十代の発想や、前向きさに感化されていたのだが、それがなくなってしまうというのは、地区としては大きな痛手だなと思う。
といっても、記事にあるように、当てにしていた地下鉄が通ることも、今後無く(私は関係者ではないけれど、無いと言い切っていいだろうと思う)、不便であると言われれば、返す言葉はない。 記事より抜粋

 門川大作市長は記者会見で「京都駅に近い好立地で市民や観光客が音楽を楽しむ拠点となり、インパクトの大きさは計り知れない」と述べた。

そりゃそうでござんしょうね、としか言えない。

 

2014.01.07

知事笑顔「いい正月」 記者質問に強く反論 2014年1月7日 07:00 沖縄タイムズ を読んで、また、この件に関する他の記事も読んで、つくづく思うことの一つに、批判の未熟さがあると思っていたりする。あぁ、言い切るとあれなので、未熟さがあると思っていたりするのだけど・・・、と訂正する。批判者は本気なのか、なぁと思ったりするのだ。

仲井真弘多知事が出した結論に対して、同じ結論に至るまでの思考を、彼の背景と時系列に応じて展開していくことで、彼は何を考え、何に頼ったのかを見極めていかなければ、有り体に言って痛くも痒くもない批判を形式上、行っているようにしかみえない・・・、ような、そんな気もするのだけれど。

2014.01.06

医療費の膨張が止まらない 「金の切れ目が命の切れ目」なのか- 産経新聞(2014年1月6日16時05分)思想・哲学にそって、命の問題は考えていきませんと、つまり、経済の言葉で命を語りだすと、お金で命を区分けするようになる。この件については、もっと考えないとうまく書けない。

2014.01.05

「検証 官邸のイラク戦争 元防衛官による批判と自省」柳澤協次著 岩波書店刊を買う。同じ過ちを繰り返さないためにも、検証と言うのは大切だなとは思う。このところ、老眼が進んだのか、細かい字が読みがたいので、ちと、厳しい。
ついでに。 →イラク戦争の検証を台無しにした民主党政権 天木直人 http://www.amakiblog.com/

憲法9条ノーベル平和賞を」実行委員会 https://www.facebook.com/nobelpeace9jou

こういう動きがもっと活性化すれば良いなぁと思う。現実を変える勇気を持たなければ、現実は変わらない。

10年以上使い続けたデジカメ、

三洋電機 DSC-SX150 製品版レポート http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990820/sanyo.htm

150万画素と言う、携帯のデジカメにすら、かなわない画素数だけれど、使い勝手はとても良いと思う。今も使えるのだけれど。

新しいのはキャノンのコンパクトデジタルカメラ 1万円台のカメラだけれど、なかなか良い感じだ。
新しいデジカメが欲しいと思ったきっかけが取引の業者さんからいただいたかわせみの写真、まさに枝に着地する瞬間を写したもので、こういうの、私も撮りたいなぁと思ったのだ。
ただ、よくよく訊いてみると、一眼レフに望遠、しっかりとした三脚も用意してということで、お金がかかるなぁということで、まっ、しょうがない、カワセミの写真はその業者さんにまた新しいのを見せていただくことで満足しようと考え直す。
ただ、新しいデジカメが欲しいと言う気分はさめやらず。
基本、電気製品は今のが壊れないと次のは買わないという主義で、SX150の電池の蓋が割れていて、輪ゴムで止めておかないと作動しないのだけれ ど、この程度は壊れていると云う範疇に入らない私としては、現時点で新しいデジカメを買うというのは、基本を逸脱した行為である。
そんなわけで、買うのに随分と悩み日数をかけたのだけれど、いま、買って結構楽しい。

月の写真も、SX150では、ズームもないし、白い点でしか写せなかったろうと思うと、少しばかり、クレーターらしきものも写っている写真に、概ね、満足している。

あぶく銭で稼いだ町や人間は滅亡する〜NHKEテレ「福島浜通り原発の町」を見て つぶやきかさこは、度々、拝読している。今回の記事も、私自身、鎌田慧の書籍など随分読んできたので、そうだろうなと思う。ただ、利権のおこぼれに浴した人達と、そうでない、損なくじを引いた人達が、時系列を考えれば混在している。辛いことだなと思う。

2013.01.04

事情につき、1時間ほど歩く。
健康のために歩くというのではなく、単に自家用車とかバスとかの交通手段がなく、ならば歩くかと1時間ほど歩いたわけだ。
歩くと色んなことを考える。

仕事のこと

とある車のディーラーの前を歩く。昔、勤めていた会社だ。十数台の展示車両、大きなショールーム、受付の可愛い女性、喫茶店をコンセプトにしただけあって、良い雰囲気だ。

いま、私は自動車の販売整備業、業界の分類としては、専業と呼ぶ仕事で生業を得ているけれど、専業の一般的な流れとしては、こうしたディーラーに似せていく方向にある。小さなショールームを作って、数台の展示車両を置いて、そんな感じである。
私の働く店は、道路から奥まっているし、ショールームを作ることは出来ない。
さて、ディーラーに右倣えでは、正直なところ、個人や小さな会社である専業では、そうそうたいしたショールームが出来るわけない。正直な物言いしてあまり敵は作りたくないが、ぶっちゃけ、ディーラーのショールームに比して、小さいというか、侘しいというか、劣化版と言われても、うーんというところであ。もちろん、そんな中で、専業は頑張っているのだ、頑張ってはいるけれど、こうして休みの日に歩いて、前を通ったディーラーのショールームを思い起こすと、まっ、そんな感じなわけだ。お金をかけることがそれほど出来ない以上、これはしょうがない。さて、特別な事情がない限り、誰だって良いモノとほどほどのモノがあれば良いモノへと靡くだろう。
つまりは、専業はディーラーへ右倣えをしても仕方がないというか、哀しいだけだ。いまの時代はお客様に店の選択権がある、これが常識だろうと思う。そして、店側は、どうすればお客様が来てくれるだろう、この店を選んでくれるだろうと考える。
でも、資金的にも劣化版なら、有り体に言って無理。
大きな店には勝てない。だから、ここで大事なのは、同じ舞台に立たないようにするということだ。
つづきはあとで。
 

知る権利 秘密主義化する米政府 Muzzling the Freedom of Information Act 
なにやらきな臭い話。私が学生の頃、今のアメリカの姿は10年後の日本の姿だと言う人が多かった。多分、それは良い意味で言っていたんだろうと思うけれど、現在において、10年、ではないが、今のアメリカの姿は数年先の日本だ、と思ったりする。都会と田舎の関係よろしく、アメリカと日本の関係であるならば、少しばかり時間差があるのだ。多分、数年後、息苦しい全体主義的な国に日本もなっているのではと危惧せざる負えないとか。

ディズニーの魔法が消えた日 そんなにまで、ディズニーに惹かれる理由はとか思う。なお、私はディズニーランド等は行ったことがないし、ディズニー映画もなんだか拒絶という気分だったりする。そういう人間から、この記事を読むと、なにやら宗教にすがる信者の姿と重ねてしまう。理性を保つためには、多分、ディズニーは禁忌ではないかという気もするのだ。
お昼、事情により、牛丼屋さんで牛丼を食べる。休日ということもあるのか、小さな子供を連れた人たちが多い。それを見ながら、この子達の基本の食とは、もしくは、基軸となる食、料理とは、牛丼であったりハンバーガであったり、冷凍食品であったりするのだろうかと考える。それが幸せなことなのかというと、あまり善きことではないなと思ったりもするのだが、ディズニーもそういうものかなぁとか思ったりする。パチンコの大きな音と賑やかな明滅する光、これにより、脳がそれを欲してしまうようになるらしいけれど、ディズニー効果とか呼ぶのもありではとか。
こんなことを書くとディズニー好き(信者)の方達から怒られそうな気もするので、気弱な私は、それじゃ、一度、ディズニーランドへ、行ってみようかな、楽しそうだし。とか、書いておく。

京都新聞 アウトサイダー 「反原発」で逃した成功。それでも
フライングダッチマン リー・タバスコさんの言葉。彼の言葉は真っ当だと思う。

2014.01.03

母と甥と三人で父の墓参りへと行く。

多分、アゼオトギリソウの芽。

去年移植した蕗

蝋梅の花芽が少しだけ膨らむ

夕方から、定例の新年会へと出かける。

2014.01.02

高島屋まで、土手沿いに歩く。

2014.01.01

あけましておめでとうございます。本当にめでたいなぁと思える善き年でありますように

朝、9時過ぎ、近所の寺院の年賀へと行く。

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2013年12月の日記

2013.12.28

キャノンのデジカメを買う。Power Shot SX280HS いままで使っていた150万画素のデジカメとは随分違うなぁ、ズームもあるし。

2013.12.25

弾薬を提供したと言うことを知り、南スーダンのことを知る。なお、私は武器三原則は例外なく堅持する方が良いと考えている人ですが、ま、それは置いといて。
銃で人間を殺すとはどういうことなのかと考える。
幸いにも、そういう状況に陥ったことはなく、出来うる限り、今後もそういう状況下になりたくないと切に願っているわけですが、「殺す」という状況になったとき、行為を為そうという、彼、もしくは、彼女はどういう心理状態なのであろうと考える。
魚釣りに行き、釣った魚をその場でから揚げなんかにして食べる。特に罪悪感はない、魚の命を奪ったのにだ。彼、彼女にとって、もしくは私にとって、人の命と魚の命の差異は何処にあるのか。本来はそういうものなんだの一言で済ましたいのだけれど、多分、そういうものなんだという言葉の持つ力がすっかり弱くなってしまった現在、ちと、細かに展開していかねばならなくなったのではと、そんな気がするのだ。

2013.12.22

メモ 宇治山宣会 http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yamashiro/yamasen/

禁コンビニ

ここ数年、うーんと考えることがあった。たいしたことではないのだけれど。
尾篭な話で恐縮だけど、年に数回、痔になることがあった。
椅子に座ろうと思っても、普通にすとんと座れない。微妙に位置をずらさねばならないと云う、情けない状態が十日ほど続くだ。
加齢によるものかと思っていたのだけれど、ふと気が付いたのは、そのような状態へとなるきっかけ。
これが、コンビニでお弁当やおにぎりを買って食べた次の日だということだ。お弁当といっても、焼きそばやパスタは大丈夫。ご飯、お米を食べた次の日に必ず痔へとなるのだ。私的には、ご飯に塗ってある油との相性が私の体と悪く、そうなるのではないかと推測しているけれど、特に何の根拠もない推測というか、ただの愚な思い付きであることは一言添えておかないと、本名で書いているブログである以上、コメントなどで辛辣な攻撃を受けるかもしれないなぁということで、逃げを打っておく。

周りの知り合い数人に、そんな話をしてみたが、自分はそんなの全然ないよという返事ばかりである。
別に私も拳振り上げて主張したいわけでもなんでもなく、単純にコンビニでお弁当を買わなければよいだけの話である。ただ、年寄りで、お弁当を買った後で。あぁそうだったと、涙するのは避けたく、そんな同じ失敗をしないために、ちと、こんな記事を書いたに過ぎません。
平伏。

2013.12.21

寒い中、水洗いをしなければと、あぁ、ならば、ロケットストーブで水を沸かそうではないかと思った次第。
ただ、ロケットストーブも火を起こすのにコツがありまして、それが上手くないと火が消えます。
煙突部分の温度を最初に上げてやらないとなりません。
新聞紙を一枚、ぎゅっぎゅっとねじって、マッチで火をつける。新聞紙が燃え出したら、煙突に放り込みます。すると、いきなりごぉっと音がして炎が上がります。そく、50センチくらいの半分に割った竹を、同じく煙突に放り込みます。
そうしますと、竹が燃えている間、かなりの炎、写真にレンガが二つありますが、まずは、そこで数本、竹や木を燃やしまして、燃え出したら、焚き口に移します。
写真は、最初に差し込んだ竹が燃え尽き、焚き口に差した竹や木が燃えた炎が上まで噴出している様子です。

2013.12.18

無形文化遺産登録決定するも日本人は「和食」離れで肥満増加- NEWSポストセブン(2013年12月18日16時00分)を読んで思うのは、炭水化物ダイエットのくだり。つまりはご飯、お米を食べよということを主張したいようだけれど、記事というのは、なんらかの意図の上に成り立つものであり、日本人に糖尿病が多いのは、米食にあるのは間違いなかろうと思う前提で、記事を読むと、つまりのところ、いままで日本人は米を食べすぎていたため、糖尿病が多かったのであり、控えることで症状が良くなるのであれば、炭水化物である米はもちろん、小麦製品も、パンだとかうどん、パスタ、こういったものを食べるのを控え、今と比較して、小食となったほうが体に良いのではと思ったりする。つまりは、米を作る側、販売する側への慮りが透けて見えてしょうがない。専門家が、必ずしも良心の下、正直で正確なことを言うかどうかはわからないと言うことをフクシマで経験した今、もうちっと発言は考えた方がなんて、思ったりしないこともない。
地位協定の改定「応じられない」 アメリカ国務省のハーフ副報道官、もともと、私は経済の言葉で事象を語ることを好まないのだけれど、あぁ、これは、国を株式会社としてみれはわかりやすいのではと思ったりする。地位協定を見直すということをアメリカ政府側から見た場合、利益を一失するに他ならないわけで、株式会社であれは、株主に問い詰められること、間違いないわけで、応じるわけがない。それを応じさせる材料も無しに、頑張ります的なことを言うのは、詐欺でもある。つまりは、地位協定というものは、日本国内でどうしようこうしようと言っても仕方のないことで、アメリカ政府の膝元に、こういうのはありなんですかと問いかける方が、まだ、改定の可能性はあるかもしれない。多分、政府としては、ずるずるとこの状況を続けて行きたいだろうと穿った見方を私はしているけれど、彼の国の有色人種政策を良く研究して、突きどころを見出す方が、また、可能性はあるなとか思ったりはする。日本政府がそれを快く思うかどうかは知らないけれど。

2013.12.12

サイレントマジョリティとは、日々の生活に疲れて、押し黙ってしまった人を、諦めてしまった人達を云うのではないか。

2013.12.11

石破氏、報道機関の処罰に言及 直ちに撤回、彼は先日のテロとデモの同一視も合わせて、様子を伺っているのだろうなと思う。汚くて賢いというところか。検討の共謀罪、対象はテロ対策に 政府、実行行為なしで処罰、世界を寄りよい方向へと向かわせていこうと言うなら、秘密を出来うる限り無くしていくこと、秘密は欲を土壌に発生する、欲を如何にうまく制御できるか、それが秘密そのものを減らすことと繋がる。色んな欲があるが、味噌もくそも一緒にせず、良く考えていくことが大事だし、共謀罪を国民に向けると言うことは、政府の嘘を、欲を暴かせないための手法であり、そもそもの目的がテロ対策だといっても、いずれは国民全体に向かっていく、それは太平洋戦争で随分と経験したはずなのだが、経験しつらい思いをした人達が鬼籍に随分と入ってしまったいま、またもや蠢きだしたのだなと嘆息。

2013.12.10
皇室関係の文章はほぼ書いたことがない。住井すゑの小説やエッセイに学生時代随分と感化した所為かなと思う。お茶大附属入学の悠仁さまをめぐり学内で様々な悲喜こもごも、さてだけど、ちょっと興味深いなと思ったので書いてみる。
天皇制と差別の関係について。つづく
2013.12.08

特定秘密法案について、国民生活には影響ないという記事が目に付くようになった。読んでみる、なるほど、これは3年前と同じだ。枝野氏をはじめ、専門家という方たちが「ただちに影響はない」と言っていた言葉と同じだ。現在、放射能だとか、放射性物質について、様々な影響が、国民の生活に出てきているではないか。

2013.12.06

特定秘密法案、近代史を読み返せば、国だとか政府だとか云うモノは、常に国民が適切に監視していなければ暴走する性質を持っていることは理解できるだろう。国民が選んだ議員達だが、民度と議員の質は比例するというなら、私たちは民度が低いのだなぁと、嘆く。

2013.12.04

いつの間にか、12月も4日目。慌しい
朗読用の一人語りの小説を書いてみようかと思いつき書き出してみる。改めて、自分が書きたいものというのが、既に決まっていて、どうすれば、それをうまく書くことができるのだろうと腐心していることに気づく。

2013.12.01

 

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2013年11月の日記

2013.11.30
お揚げのピザが食べたい。
2013.11.29
2013.11.27

国は国民をグローバル企業に捨て値で売り払ってしまったのかと思う。
そして、国が株式会社と化した、念のために書くと、国民はその社員ではない、商品だと思う。
そして、あらゆるものに値札をつけ、経済の言葉で語りだそうとしている。

民主主義という仕組みは、効率性も低いし、国のこれからも決めていこうという層にとっては、わずらわしいものであっただろう。
しかし、幾つもの戦争を超えて、とりあえずは民主主義が一番ましだと認識したはずだった、ただ、認識した世代が鬼籍に入る中で、また、一度、歴史を顧みない無謀な冒険者が力を持ち出したのだなと思う。

さて、どうして。この無謀な冒険者達を押しとどめることが出来なかったのか。

続きは後。

2013.11.23

パスワードがわからなくなったので、マウスで右クリック、「画像を保存」でパソコンに画像を保存し、それをブログに送ってください。

2013.11.18

Mさんからカワセミの写真をいただく。綺麗に撮れているなぁと驚く

2013.11.11

急に寒くなった、ストーブを出す。

2013.11.10

京都新聞より 2013.11.10

「知る権利軽視 発言
国家の安全に優先誤り TVの批判放送違反」

という記事を読む。恐ろしいことを言うなぁと驚きます。彼らが当然のことと発言していることに対して、私が恐れ危惧するのかというと、「国家・国」というモノは、国民を含む多数の眼で監視していないと、ろくなことはしない。このことを、この国の人達は昭和の始めに学習したはずだった。そして、それを上手く継承していかなければならなかったのだけれど、送り手、受け手、もしくは双方にそれを伝える、受け取る強い意志や勇気がなかったことで、実際の戦争体験、太平洋戦争時に成人だった人達が九十代となり、霧散霧消しつつあると私は考えています。
国や政治家は、国民の権利を、何故、反故にしようとするのでしょうか。
理由の一つにグローバル化、もしくは、国よりも企業の上位化があげられると思いますけど、それは、また、別のところで。
(政治家が何故、こういった発言を始めだしたのかは、立場主義にそって考えてみると面白いかなと思ったりもしますが)

2013.11.08

パブーという場所で、連載を始める。いつまで続くかはわからないけれど。
http://p.booklog.jp/book/78951

2013.11.04

おからを買う、一袋60円。

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2013年10月の日記

2013.10.31

月末、
メモ おからを買いにいくこと、ざるを買うこと、大豆を収穫すること

2013.10.30

本を注文する、安房直子著 きつねの窓。

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