昭和鉱山跡 探検: 北の細道 昭和鉱山

昭和鉱山 刹那の青化製錬所



北海道遠軽町生田原

 金の採掘が活発だった昭和16年(1941)、全国の年間産金量は23tに及ぶ。
そのうち4割近くが北海道から産出し、道内ランキングは以下となる。

  金山名   年間産金量(s)
 鴻之舞  2,448
 手稲  1,629
 千歳  688
 静狩  657
 珊瑠  301
 北隆  266
   165
 恵庭  162
 大金  142
 北ノ王  139
 大盛  122
 徳星  90
 共栄  69
 隆尾  54

昭和鉱山は生田原市街地の南東、摺鉢山(708m)の北西側山頂付近に存在し、
発見は大正3年(1913)、付近の北ノ王鉱山 が大正5年(1916)、
共栄鉱山 が大正13年(1924)にそれぞれ発見されており、
周辺はゴールドラッシュさながらであるが、
すべて昭和18年(1943)の金山整備法により閉山に追い込まれている。

昭和4年(1929)に採掘権許可とともに完成したのは 青化製錬所
同年9月から稼働し、しかし昭和6年(1931)以降は小坂製錬所(秋田)に売鉱している。

疑問点はこの青化製錬所の稼働があるのに売鉱している経緯、
また昭和34年(1959)地質調査所月報『北海道生田原町北ノ王鉱山ほか2.3の金属鉱床調査報告』には、
その時点で坑道はすべて埋没し、露頭の大部分はズリで埋めらているとあるものの、
南北と東西の鉱脈が交差する場所の品位はAu150〜200g/tと 落合直利の存在も記載されている。


小鉱山の域ながら青化製錬所も存在し、品位もよかったものの、
北ノ王鉱山、共栄鉱山時代にはすでに下火だったその背景。
それらの調査とともに、現地では製錬所や坑口の発見に至りたい。




青化製錬所・坑道・ゴールドラッシュ・・・


摺鉢山
摺鉢山



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