中日スポーツ連載4コママンガ「おれたちゃドラゴンズ」のホームページ

ORETACHA DRAGONS JOHGAIBAN

 

 

おれドラ周辺記1998上期
 

1998.1.4

けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今年から「OREDORA FIRE!」は「おれドラ周辺記」と改題しました。内容は変わらないんですけどね、へっへっへ。

 

 無事に年が明けました。いやー、よかった、よかった。なんだか今年の正月は、これまでになく淡々と過ぎた感じがします。この淡々とした数日のために、暮れにまとめて仕事をしなきゃならなかったわけで少々むなしい気もしますが、これも慣例の行事ということで仕方ありませんな。

 

 さて暮れの30日にはラジオ番組で、落合、小島投手と初めてお会いしました。どう挨拶をしようかなーと心配して行ったのですが、いきなり放送局の入口で小島さんとハチ合わせして、「イメージと違いますねー」と言われてしまいました。落合さんは栃木の実家からこの番組のために、すでに1時間前に到着していて、「噂通りの律儀な人だなー」と思いました。

 小島さんは風邪で寝ていたということで機嫌が悪く(といっても普段もこんなものでしょーが)、さらにいっしょにロッテへ移籍した椎木さんの新しい電話番号を落合さんが知っていたということで、わざわざ千葉まで電話して「なんで英二に教えてオレには教えんのやー!」と激怒。放送前から、えらいエキサイトしていました。

 番組は2時間の長帳場ということで、我々の前にはサンドイッチや飲み物が並べられていましたが、なにしろ台本もなにももらってないので、どこで話を振られるかわからず、食べるタイミングが非常に難しかったです。

 この日はドラゴンズの選手に電話で登場してもらうという企画で、古池、大豊、仁村徹、山崎、中村といったところが次々に声で出演したんですが、私は以前、山崎さんと電話で話したことがあるくらいで、ほとんど全員初めての方ばかりで、ほんとに緊張しました。まあ、ドラゴンズの選手なら話題もあっていいんですが、そのほかにスケートの伊藤みどりさんも電話で出演して、アナウンサーが私に話を振ったものだから、あれは困りましたねー。結局「オリンピックがんばってください」としか言えませんでした。なんでも落合さんの奥さんもスケートをしていて、伊藤さんと知り合いということで少々驚きました。 

 いろいろありましたが、なんとか放送は終了して、落合さんは新幹線の時間があるということでタクシーで帰られ、小島さんも奥さんが心配なようでベンツで帰られました。私はスタッフの方と近くの居酒屋へ。いろいろと人には言えない裏話を聞かせてもらいました。とても漫画には描けないことばかりですが、そういう事情も承知していて描かないと、無神経に関係者を傷つけることにもなるから、結構いい勉強になりました。おみやげもいろいろいただいて、またいろいろ気をつかっていただいて、CBCのスタッフのみなさん、どーもお世話になりました。
 疲れたけれど、とても楽しい夜でした。  

 

 

1998.1.13

月ボケなのかどうか、どーもこのところ漫画の出来が不調で、ウツウツとしていたところ、やっと昨日、なんとか満足のいくものが描けたので気分も良くて、今朝これを更新しているところです。

 

 正月休みといっても3、4日休んだだけなのに、一度緩んだ緊張を元に戻すのは、なかなか大変ですなー。毎朝早く通勤されているビジネスマンに比べたら、私なんか一年中、正月休みみたいなもんですけど、それにしても皆さん本当にご苦労様だと思います。

 私も会社員といいますか、毎朝出勤していた時期があったんですが、やっぱり冬の朝に早く起きるのはつらいですねー。それから満員電車で1時間近く圧されて、さらに1分1秒を気にして急ぎ足で会社に滑り込む。
 一応、仕事は自分の興味のある出版関係だったんですが、あの通勤だけはどうしても好きになれずに、とうとう出勤のない仕事を選んでしまいました。いつまた出勤しなきゃいけなくなるか判りませんが、できるかぎりこのスタイルでいきたいものです。

 

 ただ今にして思うのは、あの通勤は、本当にいい運動になっていたなーということです。私のような仕事だと、ほとんど外出しなくてもいいわけで、2、3日、家から出ていないということも、よくあります。そんなときはやっぱり肩がこったり、背中が痛んだりということで、そーか、少しは運動しなきゃと思うわけです。「よし、出勤するぞ」ということで仕事前に家から出て、そこらをグルッと回ってきて仕事にかかる、というのもいいのかもしれません。

 なんだか変な話になってしまいましたが、まあ、とにかく、そんなことで皆さん、 健康には注意しましょう。  

 

 

1998.1.22

回も書きましたが、だいたいこれを更新するときというのは面白い漫画が描けたときで、そうしてみると10日に1本くらいの割合になることがよーく判りますね。

 今年になってから、いろいろと頼まれる仕事が多くて、まあそれはそれでありがたいことなんですが、どーも他に仕事を抱えていると、漫画に投入できる精力が減るのか、このところ満足のいかない作品が多くて、いかんなーと思っています。

 

 さてドラゴンズも、もうすぐ自主トレの地を沖縄に移し、いよいよ本格的に動きはじめます。オフの間というのは選手の動向が判りにくくて漫画を描くのも苦労しますが、この沖縄キャンプというのも場所が場所だけにマスコミ情報に頼るしかなくて、いつもほとんど空想で描いているような次第です。

 それを見るに見かねてか、今年はなんと沖縄へ行けることになりまして、ほんとにまあ、ありがたいことですね。
 実を言うと私はこれまで、日本国内では大阪より西へ行ったことがなくて、その大阪というのも1970年の万博のときで、まだ小学3年生のときのことなので、約30年ぶりですか。あれ以来、「いつかは大阪の向こうへ行ってやる、オレの見知らぬ世界よ、待っててくれ!」と、ほとんどマゼランかコロンブスかという気持ちでいたんですが、苦節30年、しかもいきなり沖縄ということで、もうほんとに感激しているところです。

 

 無論、新聞の漫画も向こうで描くわけで、はたして無事に描けるだろうかと少々不安ではありますが、こんな経験も滅多にないだろうから、楽しんでやってこようと思っています。また面白いこぼれ話など、帰ってから紹介しますので、どーぞ、お楽しみに。

 ちなみに私、東は福島の磐梯山が最高到達地点です。しかも高校の修学旅行で。  

 

 

 

1998.2.5

ってきました、ドラゴンズの沖縄キャンプ。1/31 から2/4 まで、第1クールだけだったんですが、それでも初めて見る沖縄キャンプということで、報道だけでは判らなかったことも、いろいろ知ることができました。沖縄キャンプは3月の始めまで続きますので、この周辺記もその間は、沖縄で見聞きしたことをご紹介しようと思っております。

 

 沖縄へ行かれた方はご存じと思いますが、名古屋から沖縄までは2時間15分くらいの飛行時間で到着。荷物を待ったりとかで結局2時間30分くらいになりますが、それでもあっという間です。紀伊半島の潮岬上空から海上へ出て、機内食なんか食べて音楽を聴いていたら、もう沖縄の島々が見えてきます。防波堤で釣をしている人がやけに近く見えるなーと思ったら、もう着陸。そーか、那覇空港ってのは海からすぐにあるんだねーと私は初めて知りました。  

 私は、だいたい普段旅行するとき、あらかじめ旅行先の地理や情報を入手しておく方なんですが、今回の北谷や読谷の球場周辺は観光スポットでないためか、ほとんどの旅行ガイドに詳しい地図がなくて、まあ、いいや、那覇空港に着いたら沖縄の詳しい地図くらい売ってるだろと思って、なにも仕入れずに行ったんです。
 ところが空港の到着ゲートのところで、手配してあったタクシーの運転手さんが「中日新聞、蔵橋様」と書いた紙を持って待っていたので、「私が倉橋です」というと、なんだかすごい早足でどんどんタクシーの方へ歩いていくので、私は荷物をかかえ見失わないように追いかけるのに精一杯で、とても地図どころではありませんでした。どうやらキャンプイン前日のため那覇空港にはこの日、広島、横浜、日ハム、そして宮古島へ乗り継ぎのオリックスが次々と到着するということで、その混雑から逃れるためだったようですが、しかしここで地図を入手できなかったことが、結構のちのちまで響くことになりました。

 

 私の宿舎は具志川市にありまして、空港から30分ほど那覇市内を走り、インターから高速にのって20分、沖縄北インターで降りてさらに15分ほどのところにありました。以前ドラゴンズが石川でキャンプをはっていたころ、この具志川のホテルには新聞各社がほとんど集まって泊まっていたということですが、今は北谷にキャンプが移ったため、もう利用する新聞社も数えるほどになったということです。実際このホテルから北谷球場へいくのには車で40分かかるし、1軍の宿舎ムーンビーチに行くにも30分くらいはかかるという不便なところなんですが、以前からの付き合いで、なかなか他へ移ることも出来ないと社の人が言っておりました。

 直線距離ならたいしたことはないのに、なぜこんなに時間がかかるのかというと、土地の起伏が激しいことと、幹線道路以外だと道が整備されていないこと、そしてなにより一番の大きな原因は、嘉手納基地という広大な飛行場を含む米軍基地が存在することなんですが、地図を持たない私には、そんなことはさっぱり判らず、なんだかグルグル回るオフロードのようなタクシーにゆられておりました。  

 野球の話までたどりつけませんでしたが、とりあえず今回はこのへんで。次回をお楽しみに。

 

 

 

1998.2.12

ャンプというと、やはり主役は選手ですが、選手のことはいろいろな報道で見たり聞いたりするので、今回はあまり知られていない報道陣について、書いてみようと思います。

 

 報道陣というと、新聞関係とテレビ、ラジオ関係に分けられると思いますが、やはり辛いのは毎日話題を見つけなければならない新聞記者でしょう。もっとも大変なのは、監督やコーチにはりついて、一言二言のコメントを漏らさないように聞き取る取材です。
 特に監督にはそんなに簡単に話を聞くわけにいかないから、ほんとにチャンスが限られています。その一つが朝食の時間。朝の7時半くらいに全員で体操をして、そのあと朝食があるわけですが、記者はこの体操から参加しなければいけません。そのため私と同宿の記者さんたちは毎朝7時前にはもうレンタカーでホテルを出て、ムーンビーチへ向かいます。

 そしていよいよ朝食ですが、これも簡単なものではありません。まず座る席ですが、誰もが監督のそばに座れるわけではないのです。マスコミ各社の内で暗黙に座る位置が決まっていて、それを知らずに座ろうものなら村八分です。そして無事、食事が始まっても安心はできません。監督が必ず何かをしゃべるとは限らないのです。そこはベテラン記者がうまく、さりげない話題から入っていくのですが、1カ月もいっしょにいると、もう話題がなくなって、ものすごく重い沈黙の食事になるそうです。なお監督の前で食事を残すなど、とてもできることではないのは言うまでもありません。

 

 さていよいよ練習の取材ですが、報道陣は専用の帽子と名札をもらっていて、取材中はそれを身につけています。しかしそれでどこでもフリーパスというわけではなくて、北谷球場の場合、正面入り口から一塁側へは入れないのです。グラウンドに足を踏み入れるのは三塁側ベンチ前だけに限られています。私は一度うっかり正面から入ってしまって、広報の方に「だれだ、あれ」と言われてしまいました。
 そして練習中の選手には、もちろん声はかけられないので、グラウンドからブルペン、サブグラウンド、または陸上競技場などへ歩いて移動する選手を見かけると、蟻がたかるように記者が群がってコメントをもらうわけです。

 昼食は隣接のレストランの食券が球団から配布され、無料で食べられます。これはほんとうにありがたいことですが、しかし喜んでばかりはいられません。このレストランの食事も記者にとっては一つの試練です。詳しいことは言えませんが、ここの食事をたいらげる人は、よほどの業の者でしょう。とてもこれ以上は言えませんが。

 

 そしてキャンプの休日。記者もこの日ばかりは羽根を伸ばせる、と思ったら大間違い。休日だって新聞記事は書かなければいけません。休日はだいたい首脳陣はゴルフ、選手はパチンコか部屋でごろ寝ですが、記者はホテルのロビーで一日中コーヒーを飲み続け、監督が帰るのを、あるいは選手が出てくるのを待ちます。日暮れまで待って、それでも監督のコメントをもらえる保証はないのです。

 ほんとうにストレスのたまる仕事で、このストレスはどこで発散するのかというと、仕事を終えた夜しかありません。夜は結構あちこちにマスコミ関係の人がうろうろしていて、私もあるお店で中日OBの鹿島さんとお会いしました。昔は夜通し飲んで、そのまま朝の体操に来る記者もいたそうです。
 記者というのは本当に体が資本の仕事だと、今回の沖縄キャンプ訪問で痛感した次第です。

 

 

 

1998.2.20

縄キャンプを実際に見て、一番驚いたこと。それはなんといっても一、二軍の待遇の格差です。星野監督になってから、ハングリー精神を呼び起こす意味で、ファームの環境を厳しくしているというのは、報道などでよく聞きます。ファームは自分で洗濯をするとか、ときどき記事に出ますが、しかし今回、実際に自分の目で見て、「うわー、こういうことか」と納得しました。

 

 まず選手の宿舎ですが、一軍はよく新聞の写真やテレビ中継などで目にする、ホテルムーンビーチ。プライベートビーチをもつこのホテルは、規模も大きく、また内部もプールや飲食店街など施設が充実していて、ほんとに居心地の良さそうなホテルです。
 一方、二軍は読谷村の某ホテル。私は外観しか見ませんでしたが、規模ははるかに小さく古そうで、「えっ、ここが」というところでした。「読谷へ行ってきました」と言うと「くらはしさん、あのホテル見ました?」と何人かの報道関係の人に言われました。聞くところによると内部も結構、窮屈なようですが、種田選手は「こっちのほうが好きや」と言ってるそうです。このホテルの利点といえばただ一つ、それは練習場に近いということでしょう。

 

 さてその練習場ですが、一軍はご存じの北谷球場。野球場のほか陸上競技場、ソフトボール場、サブグラウンドなどさまざまな運動施設があり、さらにサンセットビーチという海水浴場もあって本当に素晴しいところ。難を言えば屋内練習場がなかったことですが、それも現在建設中で、この春には完成とのことです。

 かたや二軍はというと、先ほどのホテルの前から坂道をずーっと上ると、急にだだっ広い風景に変わります。それもそのはず、ここは飛行場の跡地で、ひび割れた滑走路が道路代わりに一直線に伸びていて、その両側は草原や砂糖キビ畑などになっています。その一直線の道を延々歩いていくと、飛行場の向こうの端に鉄筋コンクリート造りのやけに巨大な村役場と、4、5メートルくらいの高さのスタンドの野球場があるのです。周囲はほんとに草原と飛行場だけで何もなくて、気分はもう「フィールド・オブ・ドリームス」です。

 「しかしまあ、こういう球場もまた味があるよな」と思って練習の開始をスタンドに座って待っていましたが、見てる人は私と、あと東海テレビのスタッフが数名だけで、一般の観客はゼロ。北谷なら必ずファンの姿があるのに、これはホントに自分との戦いだなという気がしました。

 さらに練習が始まったとたんに流れてきたBGMは北島三郎の「まつり」。まあ最初はこういうユニークで明るい曲もシャレてていいかと聞いていたら、次は中村ミツコの「河内節」。ウ〜ン、まあこれも似たような元気の出る曲かなと聞き流すと、次は美空ひばり「悲しい酒」。おい、いいかげんにしとけ!誰が朝っぱらからこんな曲かけとるんだ!これじゃ練習する気にもならんぞ!しかもファームは若手が多いっていうのに何で演歌のオンパレードなんだ!と、私は呆れながらも「これはネタになるな」と曲名をメモるのでした。ほんとに何から何までハングリーな二軍キャンプでした。

 ちなみにあのBGMは、落合投手の制作したテープらしいとのことです。よく気の付く彼のこと、年配のコーチに気を遣ったんでしょーか。 

 

 

 

1998.2.26

て沖縄キャンプもそろそろ終了間近ということで、私のこの沖縄見聞録もこれで最後にしましょう。今回は思いつくままにいろいろな話をしようと思いますが、沖縄というとどうしても触れなきゃいかんのは、食べ物のことでしょう。

 

 沖縄に着いた日は、午後3時ごろホテルで遅い昼食を食べたんですが、その後、新聞社の女性記者のMさんが取材から戻ってきて「えっ、くらはしさん、ここで食べたんですか。まずかったでしょ」といきなり率直なことを言われるので、少々驚きました。たしかに私が頼んだサンドイッチは、パンがちょっと汁気でぐっちゃりしてて「なんだ?」とは思いましたが、空腹のせいか、それほどひどいとは感じませんでした。
 さらにその後、男性記者のSさんも「はっきり言ってメシはまずいですよ」と真顔で言うので、私はこの先の滞在中の食事に不安を覚えたものです。ちなみにこの記者の方たちは、今年から炊飯器をホテルの部屋に持ち込んで自炊していました。海外でのキャンプで自炊するというのは聞きますが、まさか日本国内でこんなことをやってるとは驚きでした。  

 沖縄の食べ物というと私は沖縄そば(ソーキそば)というのを食べました。そばといっても、いわゆるそば粉ではなくて小麦粉でできていて、太い手打ちラーメンみたいな感じで、そしてさらにソーキという豚のあばらを煮込んだチャーシュー風のものが乗っていて、「これはラーメンに近いですね」と、いっしょに食べたタクシーの運転手さんに言うと「いや、ラーメンとは全然違いますよー」と妙に強く否定されました。この運転手さんは大阪へ行ったとき、そば粉のそばを食べたそうですが、まずくて全然食べられなかったそうです。
 しかし、このときのソーキそばは結構おいしかったです。やはり店々で味が違うということで、たまたま美味しい店に当たったのかもしれません。

 

 滞在中、一番まずかったのは北谷球場横のレストランです。私が入ったときのランチメニューはトンカツ定食。そのカツの半分近くが脂身で、このときは他のテーブルの記者の方々もほとんど残していました。しかしこのカツはまだいいほうで、もっと得体の知れないものが出るときがあるそうです。球団からのサービスですからあまり不満は言えませんが…。

 そして滞在中に一番美味しかった食事というと、ゴメス選手らと会食したレストランでしょう。新外国人のジャービス、テスト生のシェパード、あとは通訳の国光さんと渉外担当の近藤さんがいっしょでした。悲しいことに我々の側には英語を話せる人がおらず、私などはただニコニコするばかりでしたが、ステーキもエビ、カニも美味しくて、引きつった顔で緊張しながらも腹いっぱい食べさせてもらいました。
 しかしゴメスは陽気で、こちらに英語を話せる者がいないと知ると、片言の日本語で笑いを振りまいて、ほんとにいいムードメーカーでした。今のチームにはこの雰囲気が貴重だなとつくづく感じました。

 

 いろいろありましたが、今回の沖縄キャンプ訪問は本当にいい経験でした。何から何まで面倒を見ていただいた中日新聞運動部記者のSさん、Kさん、Mさん、本当にありがとうございました。またいつかドラゴンズを肴に語り合いたいものです。もちろん、そのときはまた泡盛で…。

 

 

 

    どーですか、今年の新戦力

1998.3.11  

 沖縄キャンプも終わり、ドラゴンズが地元に帰ってきた、と思ったら早いもんですねー、もうオープン戦も中盤にさしかかり、開幕まで1カ月を切ってしまいました。はたして今年は大丈夫でしょーか。

 

 今年のドラゴンズの話題といえば、やはり新戦力でしょうね。李、関川、久慈、小島、それから新人では川上、正津、高橋、ショーゴーといったところが今のところよくマスコミに取り上げられています。

 李はキャンプ終了直前に風邪で体調を崩し、最近やっとオープン戦に出られるようになったところですが、先日の西武戦で、山崎の内野ゴロの間に1塁から3塁まで走ったあたりは、さすがという感じでした。「足に好不調はない」というのを再確認させられたようなプレーで、ああいう走塁を目の前で見ると、「ああ、走れるんだ」という気持ちが呼び起こされ、連鎖反応で若手なども走り始め、そういった波及効果がかなりあるんじゃないかという気がします。
 

 阪神から移籍の関川、久慈の二人。李、立浪との内野のポジション争いで、マスコミでは久慈がよく目立ってますが、実際に沖縄のキャンプを見たところでは、関川が結構いいムードを作っているなーと感じました。去年までだと練習中に声を出すのは鳥越の役だったんですが、そのヤジ将軍が不在の今年は、関川がよく声を出して、気合いを入れ直す役を果たしていました。連敗などで落ち込んだとき、彼のような存在は結構大切だと思いますね。

 また久慈もいうまでもなくかなりの戦力で、話題になっている守備はもちろんですが、小ワザのできるドラゴンズ待望の2番打者が誕生したということで、打線につながりができ、得点率もかなりアップするんじゃないかという気がします。2番打者のバント失敗をずい分見せられて、なんだかブツ切りのソバを食べているような思いだったこの数年。今年はツルツルッと気持ち良くいきたいものです。  

 そのほか、私の目についたのは日ハムから移籍の安田選手。沖縄キャンプの第1クール、あいにくの雨で何人かが屋内でトスバッティングをしていたんですが、その中で、一番振りのするどい大男がいて、「だれだ、あの55番は」と私はメンバー表を見て初めて彼の存在を知りました。キャンプ明けのオープン戦ではホームランを打つなど、徐々にアピールしてマスコミなどにも取り上げられています。地元愛知県出身ということもあって、がんばってほしいものです。

 

 さらに新人ですが、やはり目玉は川上でしょう。しかしなんだかもう当然10勝くらいはできるという雰囲気がマスコミなどでできあがっていて、新人なのか主軸投手なのか判らない状態ですね。無事にその期待どおり活躍してほしいものです。あとは中継ぎで使えそうな正津。ブルペンで見たときは、サイドからのかなりキレのいい球で驚きましたが、本人も言うように「打者に慣れられてからが勝負」でしょうね。

 打者ではショーゴー、高橋がキャンプで非凡な打撃を見せていました。たしかにいいものは持っていますが、1軍メンバーの中にどこまで食い込めるかというと、なかなか難しい状況です。しかしシーズン後半、レギュラーに疲れが見えたとき、チームの活性化のために彼らが登場するケースはあると思います。そのときまでに十分、技術をみがいておいてほしいと思います。
 ところで、新人の高橋ですが、私はどーも昔の「チャコちゃんケンちゃん」のケンちゃんを思い出して仕方ないんですが、似てませんかね。  

 

 

ロッテの小島投手

1998.3.18  

 昨日からドラゴンズは関東での3連戦で、ロッテ、西武、ヤクルトと当たります。このオープン戦の時期は、ペナントレースでは当たらないチームとの対戦が多く、「へー、こんな選手がいるのか」とか「ドラから移籍したあの選手は元気かな」という普段と違う楽しみがあります。

 

 ロッテというと、落合ー牛島のトレード以来、選手の行き来が激しく、親戚というか関連会社のような感じで、現在も首脳陣から選手まで中日出身者が多く在籍しています。

 中でも注目しているのが捕手の吉鶴と椎木。かつてドラゴンズで中村、矢野につづく第3の捕手の座を争っていた二人で、それが今ではロッテのレギュラーを争う関係になっているのだから、これはほんとうに面白いですね。1年早く移籍した吉鶴のほうが一歩リードしているようですが、力の差はそれほどないと思うので、この先どうなるか楽しみです。
 それから酒井、樋口、山本保の内野陣も一軍の控えでがんばっているようです。

 あと忘れちゃいけないのが小島弘務さん。あのキャラクターは本当にかけがえのない存在だったんですが、先月も名古屋のCBCラジオにキャンプ先のピオリアから出演して、「まわりになんもあらへんから、毎日サボテンの数、かぞえてますわ」とあいかわらずのコメントをしておりました。全く野球選手にしておくには惜しい人です。
 その番組のスタッフの方から連絡があり、「小島さんから似顔絵がほしいと頼まれました。しかも中日とロッテのユニホームで二枚描いてくれって言ってます」ということで、本当なのか冗談なのか判らなかったんですが、まあ、たいしたものでもないので二枚描いて送っておきました。彼のことだから、たぶん自分の言ったことも忘れて「なんや、これ」と今ごろ首をひねっているのかも知れません。

 

 まあ、とにかく移籍した選手が新しいチームで活躍しているのは、見ていて嬉しくなります。さて今日は西武の半ドーム球場でL×D戦。めずらしく午後からテレビ中継があるのでゆっくり見ようか。西武へ行った清水、金村選手も元気そうで、ひょっとしたら顔が見えるかもしれないな。あと気掛かりなのは、うーん、前原か。そろそろ、はじけなアカンで。

 

 

 

セ・リーグ順位予想

1998.3.25  

 いよいよ開幕が目前に迫り、テレビや雑誌など、あちこちで順位予想が話題になっています。長いペナントレースだから、いろいろ不確定要素もあって、いくら専門家でも、こればっかりはなかなか当たらないようですが、まあこの時期、好き勝手に予想し合うのもファンの楽しみですよね。  

 実は今度、東海ラジオの「松原敬生のバラエティージャーナル」(月〜金・10〜11:50PM)という番組で、4/3に恒例の『セ・リーグのペナントレースを占う』という企画をやるということで、私も呼ばれて順位予想をすることになりました。以前にも2度、松原さんの番組で予想をしたんですが、もちろん2度ともドラゴンズを1位にしていたので、はずしており、今年こそなんとか当てたいと現在、案を練っているところです。

 私がいつもやるのは、各チームの投手一人一人の勝星を推測してそれを比較するという方法で、ちなみにドラゴンズを予想してみると、

1997 1998
山 本1815
今 中 2 5
門 倉1010
野 口 012
落 合 410
川 上 08
ジャービス 0 5
その他2513
合 計5978

ということで、今年は78勝となりました。
 山本は昨年とほぼ同じペースで15勝は固いでしょう。運が良ければ+αも期待できそう。
 昨年は故障に泣いた今中。「今年の鍵を握る男」「10勝はいける」とか言われていますが、あんまり精神的に負担をかけるのは良くないんじゃないかと思いますね。とりあえず5勝してくれればOKです。
 門倉は昨年もやっと10勝で、今年の状態を見てもあまりすごい飛躍はなさそう。とりあえず10勝キープできれば良しとしましょう。
 そして野口。私は彼と落合と川上が今年の鍵を握っているんじゃないかと思っています。特に野口は大化けの予感。すでにオープン戦でもいいピッチングを見せています。あの状態なら12、3勝はいけるでしょう。
 落合も故障上がりですが、非常に安定した投球をしていて、先発で回れば10勝は固い。中継ぎでという声もあるけど、ぜひ先発に固定してほしいと思います。
 それから川上。本当は10勝といいたいところだけれど、ルーキーにあまり負担をかけるのも悪いから8勝としました。でも希望としては2ケタで新人賞ですね。
 さらにジャービス。オープン戦では序盤の立ち上がりに不安を感じますが、それさえクリアできれば結構勝てそう。とりあえず5勝はしてください。
 その他、といっては失礼ですが、昨年は先発陣がしっかりしていなかったので、かなり大勢に勝ち星が散らばる形になりました。でも今年はローテーションもしっかりして中継ぎ、抑えに回る星は減ると思われます。ローテーションが普通に機能する場合、中継ぎ、抑えの勝ち星は年間だいたい13勝くらいになるようです。

 

 では問題の順位はというと、78勝なら当然優勝ラインですが、やはり最大のライバルはヤクルトでしょう。ブロスと吉井の2人の2ケタ投手が抜けて、よくまだこんなにいい投手がいるなあという感じですね。今のところヤクルトは75勝と踏んでいますが、最近、新外国人のドリスキルが人が変わったように好投をし始め、これが5勝でもすればドラゴンズを上回りそうです。うーん、困った。頼みの綱は親会社の借金くらいでしょーか。

 また次の機会に他チームの星勘定も紹介しましょう。  

 

 

セ・リーグ順位予想 part2

1998.4.1  

 さて前回はドラゴンズの今季の投手別勝ち星を推測したところ78勝ということになりましたが、それでは他チームはどうでしょうか。表組みが面倒ですが、がんばってやってみましょう。

 

ヤクルト  広島  巨人  横浜  阪神  
田畑  12沢崎  13斎藤  10野村  8湯舟  8
石井一 15大野  5槇原  10三浦  10薮   8
川崎  7山内  7桑田  10川村  5竹内  6
伊藤智 10黒田  2ガルベス 10戸叶  7伊藤  5
山部  3横山  5ヒルマン  3斎藤  5中込  7
渡辺  3加藤  5岡島  5マホームズ 3葛西  5
宮出  5紀藤  5河原  5関口  5川尻  5
ドリスキル 5高橋英 5    島田  5弓長  4
高津  5ミンチー  5 福盛  4船木  1
その他 13その他 13その他 11その他 13その他 6
合計  78合計  65合計  64合計  65合計  55

 

ということで、今年は中日とヤクルトが首位争い、広島、巨人、横浜がダンゴで阪神が定位置ということになるんじゃないかと思います。

 正直なところ、中日の78勝の予想は未知数の野口、川上、ジャービス、落合にたよるところが大きいのに対し、ヤクルトは昨年とほぼ同じ成績で、それにプラスして新戦力が普通に働けば78勝か、さらに80勝も可能なわけで、若干ヤクルトのほうが力は上かなと思います。
 打撃面でも中日はかなり得点力はアップしたと思いますが、ヤクルトもムートン、ホージーの両外国人はかなりパワーがありそうです。ヤクルトのマイナス面をあれこれ考えると、親会社の借金問題くらいですが、これが選手に「どーせ、がんばっても年俸は上がらないや」とか「こんなときこそ俺たちががんばらなきゃ」とか、どちらにしろ雑念を起こさせるなら、野球に集中できずマイナスに影響するんじゃないでしょーか。

 

 広島、巨人、横浜の混戦は、投手力ではあまり差がなさそうなので、打撃力の差ということになるでしょう。巨人はルーキーの高橋の加入で、打線がつながるように言われてますが、しかし新人がシーズン通して好成績でいられるかというと、少々疑問を感じざるをえません。そうなると巨人が脱落して5位ということも十分ありえますね。

 ということで今のところ私の予想は、中日、ヤクルト、広島、横浜、巨人、阪神という順です。
 うーん、かなり願望が入ってますか。 

 

 

祝!ドラゴンズ単独首位!!

1998.4.15  

 開幕して1週間とちょっとが過ぎましたが、ドラファンのみなさま、いかがお過ごしでしょーか。いやー、嬉しいですね、単独首位。ペナントレースも始まったばかりで、今から首位だなんだといっても仕方ないですが、それでも勝ち方がいいのが嬉しいじゃないですか。  

 足をからませ、ヒットをつなぎ、しぶとく点を取り、そして投手陣が手堅く抑える。まだまだ荒削りですが、オフから目指してきた野球が、形になりつつあるのが感じられます。いくら激しい練習を積んでも、いざ本番となると、ちょっとした戦況の変化や思わぬアクシデントで、なかなか思った通りの成果が出せないものですが、今のところドラゴンズでは山本さんに勝ち星がつかないのが誤算というくらいで、ほぼ監督の計算通りにチームが動いていると思いますね。

 思わぬアクシデントといえば、ヤクルトの古田が開幕していきなり右手を痛め戦線離脱。そのせいでヤクルトは出遅れていますが、久々に古田が復帰した、先の中日戦では、やはりドラゴンズはかなり苦戦をさせられました。しかもまだ故障のため打撃もできない状態でしたが、リードだけであれだけ苦しめられるとは、やはりすごい選手ですね。彼が完全復帰すればやはりヤクルトは上昇してくると思いますので、今のうちにドラゴンズは出来る限り走っておきたいものです。  

 さて今年のドラゴンズで眼を引くのは、投手ではなんといっても野口でしょう。すでに2勝をあげチームの勝ち頭ですが、その変身ぶりは「いよいよ本物だ」と名古屋の解説者諸氏に言わせつつあります。私もこの周辺記の3月下旬の勝星予想で「野口12勝」と書きましたが、聞くところによると本人はひそかに「目標は14勝」と言っているそうで、いやー、おみそれしました、ぜひその勢いで勝ち進んでほしいものです。

 

 

 

 

プロのプレーをありがとう!

1998.4.26  

 「第1クールの最終日、私は一塁側スタンドにいた。やはり私にはここが一番居心地がいい。選手の動きを追いながら、さて今年のドラゴンズは、と考えた。
 前回の優勝から十年。今年こそという思いは、例年にも増して強いだろう。もちろん私もそれを願っているが、でも本当のところ私が望むものはほかにある。それはプロにしかできないプレーを見ることである。あるいはそれは優勝、日本一という目標よりも難しいことかもしれない。しかし、プロ野球ファンの究極の望みは、それに尽きると思うのだ。…」

 

 今シーズンの開幕前、中日新聞の開幕特集の企画でイラストを描かせていただき、そのついでに雑文まで書かせてもらったが、その一節に上のようなことを書いた。沖縄キャンプを見ていたときの回想だが、実際あのころはチーム内のあちこちに新しい顔があふれて、組み立て前のプラモデルのようで、はたしてこれはうまくまとまっていくのだろうかという不安が私の中にあった。おまけに山崎選手は風邪で出遅れ、ルーキー川上はまだ合流していなかったころだから、なおさら不安な心持ちだったのを覚えている。
 私はこのときの雑文のタイトルを『私の本当に望むもの』としておいたのだが、インパクトがないと思われたのだろう、新聞社の方が「プロのプレーを見せてくれ」という恐ろしく挑発的なものに変えてくださった。しかしまあ、前年のあのひどいシーズンを見せられて、私も実際は心の中でそう叫んでいたのだ。

 

 前置きがずい分長くなったが、さて昨日、4月25日の中日ー広島5回戦。これは本当に見応えのあるゲームで、最後は広島の新星・小林幹英のど真ん中のストレートを中村が見送って三振、ゲームセットとなったが、その瞬間、私はなんともすがすがしい満足した気分だった。ドラゴンズが負けてこんな気分になるのは1年に1回、いや、これまで数度しかなかったと思うが、それほどすばらしいゲームだった。  

 野口、大野の両先発の見事なピッチング。その野口のたった1球の失投を逃さなかった広島・前田のホームラン。その後の追加点を許さなかった李のダイビング・キャッチとライト安田からの本塁クロスプレー。さらに小林幹のにくいほどのピッチング。そして打てなかったとはいえ最終回の打席に立った山崎、久慈、中村の、普段とは違う気迫。

 終わってみれば2時間41分の短い試合だったが、本当にプロ野球ファンを涙させるに十分なゲームだったと思う。たしかに中日打線が繋がらなかったことや、野口の走塁など悔やまれるケースもあった。しかしそれも両先発投手の好投の内といってもいいと思うのだ。

 

 このゲームがこれほど盛り上がったのは、たしかに現在ペナントレース1位と2位の戦いで、さらに野口、小林幹の3勝同士の月間MVP争いとかの要素もあるだろうが、それにしても順位がどうこうとか、そんなことから昇華して本当に純粋に力と力のぶつかり合いといった、どこか違う世界、まるで「野球天国」で行われているように私は錯覚していた。

 そして負けたあとも、こんな試合ができるなら今年のドラゴンズは大丈夫だと確信が持て、本当にビールが美味しかった。
 「プロのプレーをありがとう!」
 これほど早く、こんな言葉が言えるとは思わなかった。  

 

 

  ロッテの小島さん

1998.5.5  

 4月も終わり、ドラゴンズはカープについで2位と好調な滑り出しで嬉しいかぎりであるが、最近もうひとつ嬉しいことがあった。

 それはさる4月30日のこと。くしくもドラゴンズが巨人に3連勝を決めた日だが、パ・リーグでは首位のロッテが、やはりオリックスに3連勝を決めた。この試合では、元中日の酒井がプロ入り10年目にして初ホームランを放ち、それが逆転の3ランというはなばなしい一発になった。その夜のニュースで、酒井選手の嬉しそうな顔を見て私も嬉しかったが、さらにその翌日、新聞を見ると、なんとロッテの登板投手の中に小島弘務投手の名前があるではないか。

 

 実は私は開幕からずっと小島さんの活躍を期待して新聞を見ていたのであるが、開幕メンバーに彼の名前はなく、「うーん、今年も二軍スタートか」と残念に思っていた。そして毎日、小さく載ってくるイースタンの結果を目を皿のようにして見ていたのであるが、なぜか彼の名前が見当たらないのだ。
 中日ならば、たとえ二軍でも多少は情報が入ってくるし、いざとなればナゴヤ球場まで出かければなんとかなるものだが、ロッテの二軍となると、なんだかもう地球の反対側みたいなもので、ほんとにもう何も判らない。二軍でも登板していないとなると考えられるのは故障くらいで、キャンプ中のギックリ腰がぶり返したのだろうかと、あれこれ想像して心配していたのだ。

 その彼が中継ぎで1イニングを無失点で抑え、勝ちに貢献している。あまりの嬉しさに、その夜は彼から送られてきた千葉名産の焼はまぐりを肴にひとり祝杯をあげた。

 

 中日時代に彼と名コンビだった落合投手も、今年は宣につなぐ貴重な中継ぎとして高く評価されている。
 以前、彼からもらった手紙に、
「(今年は)小島さんのおもりをしなくていいので野球に専念できます。”小島いなくなってよかった効果”となるようにしたいです。」
と書かれてあったが、彼もきっと私以上に小島さんの活躍を喜んでいることだろう。そしてお互いの活躍を、それぞれ自分の励みにしているにちがいない。
 美しきかな、友情である。
 

 

 

ドラの成績と不景気と私の仕事の関係についての一考察

1998.5.18  

 一時は貯金が1にまで減ってしまったドラゴンズだが、ここへきて3連勝で、なんとか2位につけている。明日からの首位広島との2連戦次第で、グッと上へ出るか、ストンと落ちるか、大きな別れ目になりそうである。

 

 しかしとにかく好調なのは結構なことで、ドラゴンズの周辺で仕事をしている者には嬉しいかぎりだ。ナゴヤドームの飲食店の経営者とか、ドラ番組の制作者とか、その他いろいろの人がその影響を受けている。ドラの成績が死活問題という人もいるにちがいない。かく言う私にしても、自分ではさほど影響はないと思っていたが、最近それをヒシヒシと感じることがあった。

 

 というのは毎年、開幕前後に出している単行本のことだが、今年は前年の最下位に加え、出版業界の大不振のため、出版を見送ることになったのだ。もっとパワーのある漫画ならいいのだが、ドラゴンズという全国的に見てカルトに近い題材を扱っている漫画ということもあり、たとえ平時でも出版ということになるとなかなか難しいようである。

 そんなこんなで、今回ばかりは仕方がないなと諦めていたところ、また別の出版社で出してみようかというところがあり、これは他の人との共著なのだが、せっかくの話なのでやってみようかと思っているところである。昨年1年分の中からシーズン中を中心に150本ほどが載る予定で現在作業を進めている。詳しくはまた本が完成したらお知らせしましょう。  

 ということで私の仕事とドラゴンズの成績は結構関係があるなーと、今さらながら気づくとともに、最近、深刻化している不景気の影響をこの私でも受けるんだねーと、なんだかいろいろ考えさせられる今日この頃である。
 とにかくドラゴンズ、がんばれー!  

 

 

なぜ勝てない?山本昌

1998.5.29  

 ほんとになぜ勝てないんでしょーね、山本さん。
 好調なチームの中にあって、唯一の心配といえば、やはり山本さんの不調でしょう。今は若い野口、門倉、川上がなんとか星を稼いでいますが、とてもこのまま1シーズンを乗り越えられるとは思えません。山本さんの復調がチームの命運を握っているといってもいい状況になっています。

 

 四球が多いとか、最初のピンチで崩れるとか、球が高いとか、素人の我々があれこれ騒ぐまでもなく、ピッチングに関しては精緻な自己分析をする彼ですから、不調の原因は本人が一番判っているのでしょう。おそらくビデオも擦りへるほど見て、技術面に関しては、ほぼ100%解決してるんじゃないでしょーか。

 ちなみに解説者の牛島さんは「左腕が遠回りして出てくる気がする」と言っていました。おそらく腕が遠回りすることで打者からボールの出どころが見やすくなり、タイミングを合わせやすくなるということだと私は理解していますが、高目にボールが浮くのも、それと関係があるんでしょーかね。
 最近、新聞で「精神面の問題だ」という監督やコーチの発言を目にしますが、あれはおそらく「技術面はクリアできたはずだから、あとは精神面だ」ということなんでしょう。

 

 精神面といえば、山本さんはジンクスを担ぐので有名で、登録名の「山本昌」もそうだし、以前は登板日にお子様用の甘口カレーを食べるとも言っていたし、マウンドへ向かうときに左足でラインをまたぐし、最近ではドームへ向かう途中にガソリンを満タンにするなど、我々が耳にするだけでもいくつかある上に、秘密にしているジンクスが、まだかなりありそうです。
 球場についたらまず誰に声をかけるとか、登板前のトイレは奥から何番目の便器にするとか、ものすごい数のジンクスがあって、それを先発のマウンドに上がるまでに一つ一つこなすというのは、かなりのハードスケジュールではないかと思います。

 

 少々乱暴な言い草かもしれませんが、今回のこの不調を期に、それを一度リセットしたらどうでしょうか。長いプロ生活の中で積み重ねてきたジンクスだから、本人には大切なものなのでしょうが、もし打開策が見つからないようなら、気持ちをふっきる意味も込めて、やってみたらどうかなあ。激辛カレーを食べ、ガス欠で球場へたどり着き、マウンドへ向かうときは両足でジャンプしてラインを越える。えっ、もうやってますか?
 とにかく、仕事も上の空で、早い復調を願っております。

 

ドラゴンズ、首位独走を!

1998.6.12  

 今日は惜しかった。せっかく今中投手が好投しているのに、打線がさっぱり打てない。巨人の負けにつきあって、首位浮上の機会を逃すとは…。

 

 「まだ首位なんかに立たないほうがいいですよ〜」という声をよく耳にする。たしかに首位のチームが8月過ぎごろからズルズル落ちて、シーズン終盤に混戦になるというパターンは多い。91年のドラゴンズも、そうだった。

 しかしあえて今年は首位独走で優勝してくれと言いたい。ドラゴンズの優勝はいつもシーズン終了間際まで追いあげて逆転優勝というのがパターンだが、あれは心臓に悪い。一度でいいから2位に3ゲーム以上差をつけたまま独走して、9月の中頃に優勝という、そんなリッチな気分を味わってみたい。なにを馬鹿なことを思われるかもしれないが、なんだか今年はそれができそうな気がするのだ。

 

 ここまで野口、門倉、川上、そして落合、宣らの活躍で防御率を低く抑え、決して高くない打率をカバーし、全体としてチームを2位の位置にキープしている。さらにここにきて、山本昌、今中が明らかに復調の気配を見せている。今日の今中だって8回を被安打3で、普通なら立派な勝ち投手である。ということでローテーションの5人が今の調子で投げ続ければ、まず大きな連敗はないと思うのだ。
 気掛かりといえば、やはり打線だが、これはもう仕方がない。発展途上の選手ばかりだから、打てなければ練習で振りまくるしかないだろう。若手はもちろん、山崎も立浪も李もしかりである。

 

 なんだか自分でも、いつになく鼻息が荒い気もするが、このところ抱えていた仕事が一段落ついた解放感からかもしれない。以前にも書いたと思うが7月下旬に単行本が出る予定で、やっとその作業が終わった。今回はちょっと変則的な本なので、どんな反響があるか、今から怖い気もしている。
 それはともかく、首位独走、ぜひお願いしたい。今年は不可能ではないぞ!

 

 

 

落合を守れ!

1998.6.27  

 ここへ来て急に故障者が出始めた。李の骨折、神野の肉離れ、宣の腰痛、落合の肩のハリ、私の風邪。

 私の風邪はどうでもいいが、それにしても攻守両面のキーマンが姿を消す、あるいは不調となっては、首位独走の夢も苦しくなったと言わざるをえない。ここはもう現有戦力が持てる力をフルに発揮して、首位争いに食いついていくしかないだろう。

 

 しかし李の骨折は突発事故としても、その他はここまでの疲れが一つの原因だろう。
 特に落合などはフル回転で投げてきて、無理をしているのは誰もが判っていた。とても1年間このペースで投げられるとはファンも思っていなかったはずだ。今後は彼の負担をもっと軽くしないと、昨年の二の舞になりかねない。

 「今年は痛いときは痛いといいます」と言っていた落合投手だから、まだ大事には至っていないと思うが、彼と併用できるセットアップを早く確立しないと、投手の継投が崩壊しかねない。現在ウェスタンでハーラートップの大塔投手ならタフだし、私は適任だと思うのだが、とにかく「落合保護策」を急いで対応してほしいと思う。

 

 唯一の光明は山本昌投手の復調である。なんでもフォームを昨年までのものに戻したとかで、先日3勝目を挙げた。ここまで大きく負けがこんでいても、まだ新しいフォームにこだわっていたエースの意地にも感心するが、それを元に戻した途端に勝てるというのもスゴイと思う。とにかくチームが苦しいときだから、不本意ではあるかもしれないけれど、山本さんには古いフォームで勝ちを稼いでほしいものだ。
 残り7、8、9月で3つずつ勝って、今年は12勝頼みますぜ、山本さん。

   

 

 

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