今年を振り返る 2000.12.31 1年なんて早いものです。この前、1年を振り返るという文章をこのホームページで書いたと思ったのに、またそんな時期になりました。この1年365日という周期は、ちょっと短すぎるのかもしれませんね。まあ、地球がその周期で回っているから仕方がないのかもしれませんが、あんまりそれに特別な意味をもたせて、正月だ、お盆だ、花見だ、お月見だというのも、いかがなものでしょーか。あまり生活に変化もなく単調な農村生活だったころは、季節のときどきにお祝いやお祭りを作って騒ぐことで、気持ちを発散していたのでしょうが、現代の生活では日常のあちこちに発散する装置が溢れていて、さらに従来からの行事を遵守していこうとすると結構辛いものがあるんじゃないでしょーか。難しいことを言いながら、結局私はこのお正月などのために仕事を前倒しでやったりするのがイヤなだけのことなんですが。
本日やっと年内の仕事を終えることができて、ホッしているところです。大変なところへ、さらに2日ほど風邪で寝込んで、このホームページも年内は更新できないかと思ってましたが、なんとかできて一安心といったところです。私のように仕事の少ない者でもこんなに苦労するのに、もっと忙しい人たちはどう処理しているのでしょーか。
さて取り立てて振り返る必要もありませんが、恒例なので私の重大ニュースをまとめておきましょう。
まずは「おれたちゃドラゴンズ」の99年版を出版したことでしょう。優勝の年のマンガを単行本化するのが夢でもありましたので、それが実現して1つの目標を達成したかなという感じ<です。マンガの質としてもこれまでの中で最良のものになったんじゃないかと満足しています。この出版化にはかなり精力を使い果たしましたので、ひょっとしたらもう単行本化はないかもしれません。2つ目は小説で賞をもらったことでしょう。TOPICSでも書きましたが、初めて書いた歴史小説で第1回古代ロマン文学大賞の特別賞・飛鳥ロマン文学賞をいただきました。小説を書くというのも一つの夢だったので、この受賞は大きな励みになりました。次回作はまだ手もつけてない状況ですが、なんとか早く立ち上げたいと思っています。
3つ目はプライベートなことになりますが、新居を建てたこと。正直言って今年はずっとこれに振り回された感じです。3月に引っ越したものの落ち着いて住めるようになったのはつい最近のことで、人生の一大事というだけあって、なかなか大変なことです。
その他としては、私も作詞で参加した「We are DRAGONS」がカップリング曲としてシングルCD化した(らしいのですが実物は見てないのでホントなのか…)ことや、一日郵便局長などでスピーチをしたことなどがあります。
年賀状にも書きましたが、今年はこれまでやってきたことが実を結んだ「収穫の年」だったような気がします。20世紀最後の年がこんな年になったのは嬉しいことですが、収穫のあとはまた種をまくところから始めなければいけません。来年はそんな年にしようと思っています。
ちなみに新年1月6日の東海ラジオ「サタデーパーク天ち ん通り」で来年のドラゴンズについて電話出演する予定です(朝8時25分ごろ〜)。お時間のある方はお聞きください。
20年ぶりの再結成 2000.11.14
オフに入って秋季キャンプも真っ盛り。ドラナインも、倉敷、伊良湖、名古屋と3ヵ所に分かれて猛練習をしていますが、実は私もこのところ練習をしています。何かというと実はギターのことで、高校時代の友人3人と週末の夜に寄り合ってセッション(そんな大層なことじゃないですけど)してるんです。もう20年も前の高校生のころ、この3人でオリジナル曲のデモテープをあちこちのレコード会社に送ったりしてたんですが、残念ながらどこにもひっかからず、その後、別々の大学に進んで、一緒にギターを弾くこともなくなっていました。
今年、私が新居に引っ越したこともあって、寄り合う場所ができて、20年ぶりに友人の一人とやってみたらこれがなかなか良いんです。もう一人に声をかけたところ、そいつもやってきて我らのグループの20年ぶりの再結成ということになりました。20年ぶりにギターを弾くというやつもいたし、私はこれまでも一人でボソボソと弾いていましたが、やはり3人で弾くと勝手が違って決め事も事前に決めておかないといけないし、最初はまったくぎこちない演奏でしたが、何回かやるうちに昔の感じにもどってきたようで、非常に懐かしい思いをしています。
そういえばここ数年、NHKの衛星放送などで往年のフォークミュージシャンが登場する番組がしばしば放送され、それが火つけ役となったのか、我らが「かぐや姫」なども再結成するなど、リバイバル、というよりは往時を懐かしむというムーブメントがあるようです。おそらく当時のフォークを聴いて育った世代が成長し、社会の中である程度の発言力のある位置につき始めたということなのでしょう。
そんな番組を見て自分も歌いたくなって、押し入れにしまいこんだギターを引っぱり出してきて弾き始めたおじさんおばさんが、日本中にどれくらいいるのでしょう。かくいう我々も似たようなものですが、それでも気持ちがいいから仕方がありません。
先日、それぞれ家族連れでギター持参で公園に出かけましたが、さすがにまだ他人に聴かせるレベルではないので、弾かずに帰って来ました。「名古屋の金山駅でやろうか」というやつもいますが、私はそんな度胸はなくて「善師野の駅(ヒマな人は名鉄犬山線の駅を調べてください)ならいいぞ」と言っておきました。とりあえずは家族の前で胸をはって披露できるようになるのが当面の目標といったところです。
ドラ来季の布陣 2000.10.8
ゴメス選手の退団が正式に決まり、冗談でなくオズマを獲得しなければならなくなりました。それにしてもゴメス選手の退団は残念です。数字の上での活躍はもちろんのこと、ムードメーカーとしての貢献度ははかりしれないものがあります。新聞の記事によると、本質的には神経質な面を持っていながらもチームのために陽気に振る舞っていた部分もあるということで、なかなか繊細な感覚の持ち主だったとのことです。
そういえば沖縄のキャンプを取材に行って、記者の人たちにまじってゴメス選手らと夕食をともにしたことがありましたが、そのときも末席のほうで緊張している我々一人一人に話題を向けて、座を明るくしようとしていたのは彼でした。
彼が入団したころは同じ野手にパウエルがいてコミュニケーションもとれたでしょうが、近年はそんな相手も少なく、特に今年はディンゴがあの調子で、話題を共有できる友達がおらずフラストレーションもたまっていたのではないでしょうか。
さてそのゴメス選手が去ったことで、来季のドラゴンズのポジションは少なからず変動が出てくるでしょう。私の希望的観測も含めて、来季の布陣はどうなるのか勝手に考えてみます。
まず内野はひとまず、C中村、1山崎、2立浪、3福留、S井端というところでしょうか。
キャッチャーでは年齢の高くなってきた中村さんと併用で、五輪出場でひと皮むけた(かな?)鈴木選手の出番が今年以上に多くなってくるでしょう。また、立浪、福留、井端が故障、もしくは不調のときは種田、久慈、神野あたりが取って代わることになるでしょう。問題は外野ですが、今年のように関川、井上が不調だとそれに代わる戦力を考えざるをえません。そこで新外国人は外野手を2人獲得したいところです。これは今年のディンゴのような選手ではなくて、広いエリアをカバーできる守備力と、長打よりもコンパクトにヒットが打てる、できれば若い選手がいいでしょう。無論、李選手と1軍ワクをめぐっての競争となります。そして残る1つのポジションを日本人選手で争うというくらいで丁度いいと思います。長いペナントレースですから外国人が調子を落とせば日本人選手と代わればいいし、山崎選手が不振のときは新外国人がファーストへ回るということも可能でしょう。
本当なら大西、原田、ショーゴー、益田、幕田といったところが外野の一角を担えるように出てきてくれればいいのですが、現状では巨人と互角に戦える戦力とまでは言えない段階です。
とにかく開幕時には、有り余るくらいの戦力があって、長いペナントレースはちょうどいいのです。あとは投手ですが、こちらは今の段階では先発投手が山本昌、バンチ、野口、前田くらいしか計算できません。川上、武田は期待しないほうが良さそうだし、野口も少し不安なところがあり、そうするとあと3人は先発投手を確保しなければいけないことになります。よくよく見ると外野の穴よりも、こちらのほうが致命的な大穴が開いています。こちらは日本人選手で埋めるしか手がないので、トレードで主力級を2人は補強したいところです。
少々乱暴な話になりましたが、あの巨人と戦うためには最低でもこれくらいの補強は必要でしょう。星野監督はもっと大きな刷新を考えているかもしれません。戦力を整える段階で、すでに勝負の半分以上は決まってしまいます。来季の首位奪回に向けて、ドラゴンズがどんなチームに変わっていくか、このオフは大いに注目したいところです。
来季はこれで巨人を倒せ! 2000.9.8
9/1、2、3の巨人3連戦にドラゴンズは3連敗。ゲーム差が一気に9.5まで開いて巨人のマジックも点灯。もはや勝負ありという感じになりました。
その3連敗も接戦で落としたのなら「まだがんばれるでー!」と言う気にもなりますが、悲しいほどの一方的な打ち負けで、ゲーム差以上に力の差を思い知らされる結果となりました。
それにしても今年の巨人は何でしょーか。9/7現在で本塁打183本、得点が624点。正確な数字は知りませんが、総得点の半分はホームランで稼いでるんじゃないでしょーか。実際この9/1、2、3の3連戦では、巨人の総得点29点のうちホームランによる得点は14点と、ほぼ半分を占めています。
なにか野球ではなくて、別のスポーツを見ているような錯覚さえします。こんなことをもし巨人以外のチームがやったら、きっとあそこのオーナーは「ホームランは2ランまでとするようにルール変更しなきゃダメだ!」などと無茶な発言をするところでしょう。しかし心の広いドラゴンズファンは、そんなケチなことは言いません。考えてみれば、これぞ子供のころ単純な頭で考えた夢のチームなのです。各バッター全員がホームランを打つ。こんな判りやすい話はありません。監督の采配も何もなく、ただ投手が投げて打者が打つ漫画野球。まさに「巨人の星」の世界です。
結構じゃないですか、漫画野球。こーなってくると対戦相手も漫画野球で応戦しなければ戦いになりません。バットにボールを当てる大リーグボール1号、同じく消える魔球の2号、弱々しくて打てない3号。さらには「侍ジャイアンツ」のあの途方もない魔球の数々。あれを実現しようじゃありませんか! もしかしたら巨人の各打者も、子供の頃、胸をおどらせて読んだ野球漫画の再現を心待ちにしているかもしれません。
今、私ひとつ思いつきました。人呼んで「ストップボール」。ピッチャーの投げた球がバッターが打とうとする手前でピタッと止まり、ストンと落ちるのです。これは打てんでしょう。それじゃ見逃せばボールになっちゃうだろうと言われそうですが、それも大丈夫。なぜならこの魔球はボールにキャッチャーが猛烈に息を吹きかけることによってストップさせるため、バッターに打つ気がなければ普通にストライクが取れるのです。
このボールの利点は、限られた投手だけでなくチームの全投手がこの魔球を使うことが出来るという点です。まさか「キャッチャーに息を吐くな」というルールも作れないでしょう。
さあ、ドラゴンズの、特にキャッチャーの皆さん。来季に向かって肺活量を鍛えましょう。これを習得すれば正捕手の座も間違いありません。また投手、野手の皆さんも、独自の魔球、打法を考え出しましょう。巨人を倒すにはこの方法しかありません。あとは外国人の補強に、ベトナム帰りのオズマを獲得すれば完璧でしょう。
白昼夢、長野中日ドラゴンズ! 2000.8.8
みなさん、どーもおばんです。いえ、そろそろお盆ですね。
学生さんはすでに夏休みでしょーが、お勤めの方もお盆休みということで、海や山へお出かけになるんでしょーね。私はというと、中小自営業者の悲しいところで、あまり休んでいると仕事にならないので、ほとんど普段と同じように仕事をする予定です。しかし家族の手前、どこにも出かけないわけにもいかないので、すでに先日1泊で長野の温泉に行って来ました。長野といっても岐阜との県境で、ドラゴンズの選手もオフにオーバーホールに利用している昼神温泉というところです。中央自動車道沿線にあるために短時間で行くことができて、なかなか便利なところです。やはり山をいくつか越えたところだけあって、暑さが名古屋のあたりとは全然違って非常に快適でした。
このところの名古屋地域は35度なんて気温がザラで、ひどいときには岐阜の美濃加茂で37度、三重の津あたりでは39度という日もあって、なんで沖縄より名古屋のほうが暑いのか、誰かに理由を聞きたいとずっと思ってるんですが、そんなときに山の空気を吸って非常に気分を良くして帰って来ました。
私の子供のころ、というともう30年ほど前になりますが、夏休みの日誌に気温を書き入れていた記憶を思い返しても、ひと夏に30度を越すのはホントに8月の一番暑い2週間ほどのことで、それも31、32度が上限だったように覚えていますが、今は31、32度なら涼しいと言わなければいけないような状態です。
これはやっぱり地球の温暖化ということでしょうが、30年で3度上がるということは、あと30年後には名古屋地区は40度近い夏になるのでしょうか。そうなるともうとても住める場所じゃなくなって植物も枯れ砂漠化し、多くの人が長野あたりに移住することになるかもしれません。人の心の虚ろさからクールファイブは「東京砂漠」と歌いましたが、これからは名古屋砂漠、しかもホントにラクダがいるような砂漠になるのではないでしょうか。各家庭のペットはみなラクダ。ナゴヤドームへ野球を見に行くときは隊商を組んで歩いていく。だんだん人口も減ってドラゴンズも本拠地を移さざるをえなくなり、長野中日ドラゴンズ。長野のみなさん、30年後はドラゴンズの地元になりますよ。そーすると地元出身の峰竜太さんなんか大喜びだろーなー。そして無法地帯と化した名古屋砂漠には新たな球団、名古屋スコーピオンズが旗揚げ。うち捨てられていたナゴヤドームを根城にプロ野球界に旋風を巻き起こす。とくに故地を奪われた川上憲伸監督率いるドラゴンズとは激列な戦いをくりひろげるのであった…。
あかん、暑さのせいで脳がオーバーヒートしました。スイカでも食べて頭を冷やしてきます。しかしこの話、小説にでもすると面白いかもしれんな。
野口、川上に半そでシャツを! 2000.7.13
ペナントレースも半分を終わって、巨人が頭2つくらい抜け出た感じで、それを中日が追うという、開幕前によく言われたような形になりつつありますね。最近の巨人の好調さを見ていると、よくぞ今までモタモタしてくれたと感謝したくなるほどです。もっともここに来て巨人も上原が故障するなど、防御率2点台の投手陣にかげりが出てきたのも事実。清原も1軍復帰して緊張感のあるうちは活躍するでしょうが、これがいつまでも続くとは思えません。中日としては粘り強くついていって、巨人が下降気味になったときにつかまえるしか手はないでしょう。
さてその肝心の中日ですが、5月に10連勝、6月に4連勝があったきりで、この1ヵ月は勝ったり負けたりのグズグズとした梅雨模様のような成績です。
打線がそれほど打てないのは去年と同じで驚くほどではありませんが、問題は投手陣ですね。先発陣は川上、武田が故障で離脱、小池も再調整、野口もいま一つ調子が出ない。バンチと山本昌ががんばっているので球宴まではなんとかごまかせるでしょうが、球宴後は6連戦が続き、とても今の状態のままでは対応できないでしょう。先発陣の立て直しができなければ大崩れで首位戦線離脱という事態も冗談でなく起こりうると思います。球宴休みの間に先発陣を整備できるかどうかが大きなポイントになるでしょう。そしてチーム浮上の鍵をにぎっているのは、やはり若い野口、川上の両投手でしょうね。野口投手の不調は、昨年までのフォームがボークになると指摘されて今年からフォームを変えた、その影響があるようで、また川上投手はキャンプ中に入院したために、調整不足がここまで尾を引いているようです。2人とも原因は判っているんだから、短期間で立ち直ることも可能なのではないでしょうか。
このところテレビを見ていて思ったんですが、調子のいいバンチ、山本昌、岩瀬、ギャラード、そして昨日、一昨日と好投した前田、正津は、みんな半そでのアンダーシャツ。不調の野口、川上は長そでのアンダーシャツ。みなさん、どー思いますか。
たしかに半そでだと腕の筋肉の動きなどで球種が判ると言われますし、汗が手のひらまで流れるとか言われますが、でも勝ってるピッチャーは勝ってるんです。それぞれの選手の好みもあるでしょーが、見ている印象としてはこの時期は特に長そでは暑苦しく動作も重苦しいように見えてしまう。それに対して半そでだと、いかにもすずしげで元気があり、投球動作も躍動感があるように見えるのは私だけでしょうか。
バカバカしい素人考えだと言われるかもしれませんが、今の野口、川上に足りないものは、若々しさ、思いきりの良さ、真っ向から勝負する力強さだとすれば、半そでにすることでイメージ的にはかなり改善されるのではないでしょーか! その爽快感が心理的に良く作用してピッチングにも好影響を与えるということは十分に考えられます。
どーかね野口、川上両君。だまされたと思って、半そでにしてみないかね。
初夏は大学を思い出す 2000.6.4
今日もいい天気です。皆さん、お元気でしょーか。一年中で一番いい季節ですね。この季節になると私は今だに、大学時代に広場の芝生で寝転がっていたころを思い出します。なにもこの季節だけ寝転がっていたわけじゃなくて、それは一年中同じだったんですが、やっぱりこの初夏のころが風もさわやかで昼寝には一番心地よかったということでしょーか。
ウチの大学は、今、山本昌投手や落合投手が住んでいるところのそばにあって(って全然場所案内になってないけど)、割と閑静な環境にあるわけで、大学自体もこじんまりとして、なかなかいい雰囲気の学校だったんです。ただ地下鉄の駅から少々離れていて、しかもちょっとした高台にあるために、通学するのに夏は汗だくになって大変でした。3、4年の頃になると、私もこの対策として地下鉄駅横の酒屋でビールを買って、それを飲みながらなんとか学校までたどり着いたものです。
大学時代を振り返ると、本当に何もしなかったなーと思います。何人かの友人と、それとこの季節の芝生のことを思い出すくらいで、自分でも何をしてたのか、あまり思い出せません。クラブなんかでも音楽を少しやったくらいで、もうちょっと今の仕事に関係のある慢研とかで腕を磨いておけばよかったかなーとも思いますが、そのころは興味がなかったから仕方ありません。
結局のところ4年間、ボーッとしていたようなものですが、このボーッとしていたことが結構良かったのではないかと今では思っています。高校までは大学に入るという目的のために訳も判らず勉強して、また大学でもあくせくしていては自分というものを見つけられないまま社会に入っていくことになります。私の場合、ボーッとしているうちに、自分はこんなことがやりたいんだなあと次第に判ってきたような気がします。授業料も授業に払ったというよりは、4年間という自由な時間を得るために払ったようなものです。
まあ、なんだか固い話になってしまいましたが、そんなことで大学生のみなさん、どうか有意義な大学生活を送ってください。
それから「おれドラSHOP」での新刊記念企画には、北は青森から南は四国まで(さすがに九州はおらんなー)、大変多くのみなさんにお申し込みいただきまして誠にありがとうございます。発送のために連日の郵便局通いで、私が行くと普通郵便でも「書籍小包ですね」と言われるようになりました。
まだまだお申し込みはOKですので、ドラゴンズで笑ってみたいという方は、ぜひお申し込みください。
新刊出版こぼれ話あれこれ 2000.4.10
98年7月に安達さんとの共著で出版した「熱中ドラゴンズ」以来、2年ぶりに「おれたちゃドラゴンズ」の単行本を出版することができました。
いろいろ試行錯誤しながらも93年の新聞連載から、毎年1年1冊ペースで単行本を出してきましたが、近年の不景気で出版業界も経営が厳しいらしく、98年分の漫画はとうとう出版を断念しました。99年も同じく出版できる状況ではなかったのですが、ドラゴンズが11年ぶりにリーグ優勝を果たし、「この年に本を作らないでいつ作るんだ!」という思いで出版に着手、なんとか完成までこぎつけました。励ましの声をいただいた読者の皆さん、本当にありがとうございました。
だいたい本の出版というのはお金のかかる事業でして、私の本の場合も1回に100万円以上は経費としてかかってくるわけですが、出版社としては当然この部分だけはペイしたいわけで、さらに自分のところの人件費、そして利益をあげようとすると、なかなか3000、4000部の出版では難しいことになります。じゃあもっと作ればいいかというと、売れなきゃ今度は在庫に苦しむことになり、そのあたりがなかなか苦労するところです。
さらに私の場合、ドラゴンズ漫画という性質上、書店への流通はこの東海地域での販売に限られ、もっと全国規模で書店に出回れば店頭で目にした人に買ってもらえるのではと思いますが、今度はその流通の経費がかかるということで、結局はこの地域だけの販売になっているわけです。なんだか難しい話になっちゃいましたが、まあそんなところが出版する上での一番大変なところです。でも本当は全国規模でバーンと売れるような漫画を描けば何の問題もないわけですけどね。
また今回は中日新聞社からの出版ですが、すでに「おれたちゃドラゴンズ」シリーズは他の出版社から出ているために最初は別のタイトルにしてほしいと言われて、これも困りました。単行本にできるならそれでもいいかとも思いましたが、なんとか折れていただいて、その代わりにサブタイトルをつけるということになりました。
私は99年の優勝を象徴するように「優勝旗は永遠に」というのにしたかったのですが、出版社としては過去のことよりも今年のシーズンを連想するような「行け行け連覇、日本一!」というようなサブタイトルにしたいということでした。本の内容は99年の漫画なので、ちょっと読者を錯覚させるようで気が重かったのですが、結局は語呂のいい「Vだ!連覇だ!日本一だ!!」ということになりました(さすがに、行け行けは恥ずかしいので断わりました)。この『Vだ!連覇だ!』というところも意味が重複しているとクレームがつきましたが、私としてはこの最初の「V」に99年の意味をこめてあるわけで、なんとかこれでOKしていただきました。
少しおおげさかもしれませんが、こういったクリエイティブな仕事では妥協すると絶対にいい作品ができないと、経験上、私は思っているので、今回もかなり年配のS部長さんが担当でしたが、かなり失礼なことも言って意見交換させていただきました。
まあ、立場は違っても良い本にしたいという部分は共通しているので、最終的には両者ともに満足のいくものができたと思っています。あとはなんとか採算ペースまで本が売れてくれることを祈るのみです。次回単行本のためにも、読者のみなさま、なにとぞご協力をお願いいたします。
やっと落ち着きました 2000.3.14
先週のことですが、実は私、引っ越しをしました。同じ市内での転居なので、作業としては楽な方なのでしょうが、週末にも友人に運搬を手伝ってもらったりして、ようやく荷物の8割がたは運べたかなという状況です。
それにしても物というのは知らぬ間に増えるんですねー。独身の頃の引っ越しは友人の軽トラックの3分の1くらいの荷物だったのが、今回は業者のトラックで大物を、そしてあとは同じ友人の軽トラで8往復くらいしましたから。荷物の量は家族数の2乗に比例するという感じですね。
自分の荷物を優先すると家族からひんしゅくを買うだろうと、まずは家族の物から運んだおかげで、今だに私の本やら服やらは旧宅に置いたままで、ここ数日は同じ服ばかり着ていて、さらに下着なども持ってきたはずが行方不明で2枚のシャツとパンツをはき代える自転車操業状態。幸い天気が良くて助かってますが、そろそろ本当に探さないと恐ろしいことになりそうな予感がしています。忙しいときにはまた忙しいことが重なるもので、この引っ越しの前には月刊誌の仕事と「おれドラ」新刊本の編集が重なって、さらに毎日の「おれドラ」の連載もあり、働かないことで有名な私にしてはよくクリアできたもんだと、有森選手じゃないけれど私もガブに誉めてもらいたいくらいです。
今度の新居は周りに畑が多く、見晴らしが良い代わりに風が強くて、毎日午後になると強風で周囲の畑の土が吹き荒れ、まるで砂の惑星にいるような気分です。初日に仕事部屋の窓を開けておいたら部屋中が砂だらけになり、集めてみたら盛り塩のようになっていました。洗濯物もだいたい午後2時には取り入れないと砂だらけになりますね。
まあ悪いことばかりじゃなくて、木曽川へは自転車で10分くらいで行けるし、散歩に良さそうな田舎道もあるし、ホントに環境のいいところなので暖かくなるこれからの季節が楽しみというところです。仕事で疲れた頭と、引っ越しの筋肉痛をいやすために、しばらくはリラックスして、そしてプロ野球の開幕を向かえようかなと思っています。
くらはしさん、なんと地元で講演! 2000.1.21
このコーナーもなかなか更新できませんでしたが、実は今月大変な仕事がありまして、それが重圧となって作業が送れておりました。その仕事も先日やっと終わって晴れて更新となったわけです。
その仕事というのが、さる会合での講演で、昨年11月ころに依頼されてからずーっと頭のどこかに引っかかっておりました。なにしろ普段はほとんど他人と接触せずに仕事をしてますし、人前で話すなんてのは15年ほど前に友人の結婚式でスピーチしたくらいで、もっとも私の苦手とするところなのです。もちろん最初はお断りしたのですがいろいろと考えるところもありまして、最終的にやってみようかということになりました。
というのはこの会合が私の住んでいる市の経済界の方々の集まりということで、日頃この市の、特に商店街のことで思っていることがあったので、この機会に話してみようかなと思ったわけです。この市では駅の近くに昔ながらの商店街があって、私が高校生くらいまではかなり賑わっていたんですが、全国あちこちで見られるように最近は郊外に大型店ができてすっかりさびれた状態になっているのが現状です。時の流れといえばそれまでですが、かつて自分が楽しませてもらった街が元気のないというのは寂しいものです。また駅前ということで、毎日多くの人たちがその商店街を通って駅から名古屋へ通勤、通学しているわけで、その人たちは自分の市というのは元気がないなーと思いながら毎日通っていると思うのです。つまりそれは単に商店街の問題というだけでなく、市民がこの市に誇りとか愛着を感じなくなることにもつながってくると感じるのです。
なんだか話がむずかしくなりましたが、そんなわけで私が提案したのはこの商店街でドラゴンズ応援祭をやることです。しかも通常よくある9月とかじゃなくて、もっと早い6月ごろ。この時期なら万が一ドラゴンズが低調でも、後半の奮起を期待して応援祭というのも筋が通るというものです。とにかくドラゴンズでもなんでもいいから祭をやって、なんだか面白いことをやってるなと市民にアピールすることが大事なんじゃないでしょうか。
まあそんなことを私の仕事にからめながら話したわけで、果たして実現するのかどうか神のみぞ知るというところですが、とにかく気になっていた仕事が無事終了してホッとしている今日この頃です。
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