名古屋地区の雑誌などに書いた散文をご紹介

くらはし かん散文集

   今後、随時追加していく予定です。


 

 

名古屋再考 その一

東山動物園

 

 


 名古屋というと、僕は真っ先に動物園を思い浮かべる。
子供の頃、家族といっしょに行ったのか、あるいは遠足
で行ったのかは憶えがないが、とにかく幼い子供の脳裏
には、お城よりもテレビ塔よりも、動物園が強く印象づ
けられたようだ。                 
 あれからもう20数年の時が経ち、僕は現在この街で仕
事をしているが、あの頃、僕の胸をドキドキさせた動物
園のある都市・名古屋と、朝夕のラッシュに身を預け、
通勤しているこの街が、心の中で、どうもうまく重なり
合わないでいる。                 
 『名古屋再考』―――このシリーズでは、今やあまり
に名古屋の定番となりすぎて、わすれられがちな物たち
を今一度クローズアップすることで、名古屋という街の
魅力を再発見しようとするものである。1回目は僕の個
人的な思い入れから東山動物園を選んでみた。    
 

 

 


 

 

 

動物たちのしぐさに

人は日常生活を忘れる。

 

 ウィークデーの動物園は快適である。
朝早くから出かけたこともあって、入口をくぐると、僕の前には小さな女の子を連れた母親が、カートを押しながら歩いているだけだった。
 水兵のような服と帽子を着せられた女の子は、少し危うい足どりで駆け出しては立ち止まり、振り返って母親が追いつくのを待っている。

 動物園は動物を見るための場所である。それが第一の目的で造られていることは、ほぼ間違いのないところだ。しかし現実には「よーし、今日は動物を観るぞー」っと意気込んで動物園へやってくる人は、まずいない。恋人どうしのデートだったり、友人や家族と休日を過ごすためだったりという場合が大半だろう。ちょっと変わったところでは、写真愛好家が被写体を探してやってきたり、形態模写の芸人が、芸の手本とするためにやってきたりする。動物を観るという目的からすれば、彼らのほうが動物園の正しい利用者と言うべきだが、客の大半が彼らのようだったとしたら、ものすごい光景になるに違いない。

 動物たちのオリの前に立つと、人はなぜか、やさしい気持ちになる。オリの向こう側の人と眼が合ったりすると、思わず微笑えんだりする。普段は忘れてしまっているが、自分も動物であり、トラやクマやキリンたちと同じ生き物であることに、あらためて気づくのである。この園内、あるいはこの街、あるいはこの世界にいる人々と同じ仲間であることを知るのである。
 毎日の生活の中で、怒ったり、いがみ合ったり、傷つけ合ったりしていることを、つかの間、忘れさせてくれる。動物園は動物を観る場所ではなく、自分自身を観るための場所なのかもしれない。

 

 


 

 

 

カワイソウという言葉は

動物園では禁句である。

 

 入口から真直ぐに行くと、左側に魚のいる建物があって、その向こうにトラやピューマなど、ネコ科の動物たちがいる。
 暑さのせいでグッタリ伸びているものもいれば、落ち着きなくウロウロ歩き回っているものもいる。動物の世界では駿足を誇る彼らではあるが、このオリの中にいるトラたちは全力で走ったことがあるのだろうか。散歩につれていってもらうわけにもいかないから、きっと思いきり走ったなんてことは、ここ何年かまったくないのかもしれない。時々彼らが、どこか遠くの方へ視線を向けるとき、
「お前、走りたいんだろうなあ」
という言葉が思わず、こぼれそうになる。
 もう少し先に行くと、池の手前にラクダがいる。この人なつっこいラクダを見ていると、僕はいつも高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」という詩を思い浮かべてしまう。  でもこういう感情は、動物園では、いけないのかもしれない。そんなことを考えていたら顔を上げられなくなってしまう。動物たちにしてみても、何の役にも立たない同情なんて、真っ平ごめんだろう。

 池を過ぎて植物園の方へ行ったところに、「こどもどうぶつえん」がある。あらいぐまやヤマアラシがいるのだが、一番奥に長屋のようにズラッと並んだコンクリート製のオリがある。そこには日本産の動物たち、キツネやタヌキ、ニホンザル、アナグマ、変わったところではハクビシンなどがいる。ちょうどエサの時刻らしく、係の人があちこち歩き回っている。
 日本産というだけで、より愛情を感じ、座り込んでガラス越しに彼らをながめたりするが、こんな甘いセンチメンタリズムは、実際に飼育している人から見れば、最も忌み嫌われる類のものかもしれない。

 

 


 

 

 

動物園側の細かい配慮が

身にしみるほどウレシイ。

 

 動物園だからといって、動物がいればそれでいいというものではない。売店をのぞいたり、乗り物に乗っている子供をながめたり、そういったことが、あの温かな雰囲気を作り出しているのだろう。売店や乗り物のない動物園を想像すると、僕はゾッとする。

 園内のあちこちで、作り物の動物を眼にする。ライオンやコアラなどの像である。町の小さな公園などにも、時々こしらえてあったりするが、動物園にいる彼らの方が、何故か生き生きとして楽しそうに見える。
 ヤギなどが放し飼いになっている「どうぶつ村」では、水道のところに、ヤギとブタとバッファローの首がついていて、コックをひねると口から水が出る。その首が結構、中途半端に写実的に作ってあるものだから、愛嬌があるというよりは、なにか魔物のように見えて楽しい。
 さらに動物救急車という車が走っている。これは普通のバンの上に赤ランプとサイレンがついた車である。そして車体には、シマウマのあの白と黒のシマが描かれてある。この配慮に、僕は思わず涙が出そうになる。もっとウレシイことには、「どうぶつきゅうきゅうしゃ」と、ひらがなで書いてある。一見簡単そうなことだが、なかなかここまでサービス精神に徹し切れるものではない。

 あと看板の類でも結構楽しいものがある。例えば、
「トドがとびあがることがありますので、ご注意下さい」とか、
「ヤギがスカートをかむことがありますので十分ご注意ください」。
 この「◯◯することがありますので」という言い回しが何かうれしい。
 このほかにもいろいろあるのだが、それは実際に出かけて見つけてほしい。自分で見つける愉しみというものもあるのだ。

 

 


 

 

 

動物園で人間にカメラを

向けるのはタブーだ。

 

 「動物園で動物を見ている人を写真に撮るのは、残酷なことかもしれない。そこでは誰もが本当の自分をさらけ出してしまうから」。
 ある写真家がこんなことを話していた。確かにオリの前に立つ人の表情には興味深いものがある。子供をかかえた若いお母さんの笑い顔。写生のためにやってきた一群の中学生たちの真剣な顔。ゾウのオリの前で長い時間、座り込んで動かない老夫婦の静かな横顔。どの顔も被写体としての価値を持っている。動物に向けていたファインダーを少しずらしてみたい衝動にかられる。
 実際、動物園で人間を撮るというのは、誰も彼もがやっていて、もはや使い古されたモチイフと言ってもいい。僕もこっそり何枚か撮ってみたが、やっぱりこれは人前にさらしてはいけない気がする。

 帰りがけに、ベンチで休んでいるカップルを見かけた。彼の方は、ずい分、疲れた様子でテーブルにうつ伏せている。彼女は一人、ソフトクリームをなめながら、遠くの方を見つめている。
 そう言えば、その昔、僕がまだ高校生だった頃、「動物園でデートすると、そのカップルは別れる」というジンクスが誰が言うともなく、あった。まあ、高校時代の恋人同士なんて、恋愛の予行練習みたいなものだから、短時間で別れてしまうのは当然だが、別れの心配どころか相手さえいない僕らは、神妙な顔で小生意気なクラスメートの体験談に聞き入ったものだ。
 ジンクスの真偽はともかくとして、入場料大人400円という東山動物園は、デートコースには、もってこいの場所である。植物園の方も回れば、丸一日、楽しむことができる。学校帰りにカバンを持って歩いているカップルも見かけたが、放課後に動物園に来られる名古屋って、すごいと思う。

 

 


 

 

 

そして僕は

彼らと再会した。

 

 そろそろ閉園時間が迫ってきた。急がなければいけない。実は今回ここに来たのは、あいつらに会うためだったのだ。そう、あの恐竜たちだ。
 幼い記憶を頼りに一日中、歩き回っていたのだが、とうとう見つけることができなかった。彼らを思い浮かべるとき、その背景はいつも、うっそうと繁ったジャングルだった。僕はてっきり植物園の方だと思い、一番奥の花畑まで行ってみたりした。

 閉園まであと1時間と迫った頃、僕はとうとう自分の記憶に頼るのをあきらめ、売店のおばさんに尋ねた。
「恐竜?ああ、あの◯◯祭のときに使ったヤツ?あれは祭のあとに壊したんじゃないの?」
「そうじゃなくて、僕らが小さい頃からあったコンクリート製のでっかいヤツなんです」
   ごめんね、勉強不足で、と謝るおばさんに礼をいって店を出た。まさか壊されたってことはあるまい。しかしずい分、存在感がなくなってるんだなあ。
 途方に暮れる僕の前を警備員のおじさんが通った。ちょっと恐そうなおじさんだが、そんなことは構っていられない。
「あれは動物園の方だよ。池のそばにいるよ。三頭でかいヤツが」
 やっぱり警備員はえらい。

 なんとか探し当てたのが閉園30分前。情けないことに入口から5分ほどのところ、フラミンゴの池のほとりに、木々にかくれて立っていた。僕の記憶の中の彼らとは比べ物にならないくらい小さかった。確かトリケラトプスって言ったっけ、水の中のそいつは顔にコケなんか生やしていた。チラノザウルスのようなヤツは、やけに頭がつるつるして、そこへカラスが止まったりしていた。ブロントザウルスは自分よりずっと高い東山タワーを見上げていた。
 ずい分、小さくなった彼らを見上げながら、それでも僕は何だか嬉しかった。

 

 

 


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