終わらざる心の旅  


    

   幻の決勝戦、そして幻の・・・

 昭和46年 夏の全国高等学校野球選手権 千葉大会は、成東高にとって「悲運の成東」の象徴となった年だった。当時の成東ナインは、2年生エース 鈴木孝政(のち 中日ドラフト1位)川口(のち 早稲田主将)荒井(明治 のち 明治監督)青木(のち 広島ドラフト6位)湯浅(専大)など錚々たるメンバーが揃っており私の知る限り、成東高 最強チームだった。

 その年は、春の選抜 ベスト4 木更津中央(現 木更津総合)が、優勝候補筆頭ではあったが、秋の大会では、成東も、0対1 と木更津中央と接戦を演じており、優勝候補の一角であった。

 夏の大会は、その木更津中央が、ダークホースの勝浦にまさかの敗退。

俄然、成東高、銚子商が脚光浴びる。成東高も、2年前の春の選抜 ベスト8 好投手 永島のいる千葉商に4対0と快勝。成東高 鈴木孝政、銚子商 根本隆ともに絶好調で無失点のまま 東関東大会へ出場が決まった。

 当時は、千葉代表2チームと茨城代表2チームが東関東代表として甲子園を争うことになっており、千葉代表が決まってから東関東大会まで5日ほど間が空いていた。

 その5日間に成東高に思わぬ落とし穴が待っていた。

 バント練習の際 鈴木投手が右腕にボールを受けてしまい、右腕ははれ上がり投げられなくなってしまったのだ。

 松戸先生はじめ関係者の慌てようは尋常ではなかっただろう。

 テレビで観ていた私も「こんなことってあるのか・・・」とどうしようもない気持ちになっていた。

 結局 東関東大会 準決勝の竜ケ崎一高との試合では、鈴木投手は、先発できず(2イニング投板)1対2で敗れる。

 成東高 鈴木孝政は、予選で1点も点を取られることもなく敗れた。成東高のメンバーとその勢いから成東高 甲子園確実とさえいわれた。銚子商の斉藤監督も、鈴木の怪我さえなければ、成東が.甲子園に行っていただろうと後年 回想している。

 結局 東関東大会の決勝戦は、銚子商と竜ケ崎一高となり12対1で銚子商の優勝となった。

 嗚呼・・・

                 *

 ・・・ 私の心の旅は、終わることはない。

 鈴木孝政投手の怪我さえなければ、私は、観たかった。

 幻の決勝戦、そして幻の・・・

                         (文中 敬称略)