やちひが  


  「家から自転車で通えて野球ができるから」

 優勝が決まったインタビュ−で八千代東のエース村上は、ごくあっさりと話した。

 最初から甲子園を狙えるようなチームだった。

 1年に入学したとき のちの主将 青石、4番 上条など 3年時の主力選手は、少年野球時代からの仲間である程度 名前の知れた選手たちだった。

 「このメンバーなら、甲子園へいけるかも・・・」と村上は、言った。

 それは、本気の冗談のつもりだった。

 監督は、片岡祐司。名門 成東高野球部OBで、明治大学 島岡監督の薫陶を受けていた。

 また、片岡には、強い信念があった。

 「野球は、精神力だ。最後は、勝ちたいという精神力の差がでる。守備力を徹底的に鍛えれば、甲子園を狙える。」

 学校のグランドもプレハブ校舎が建ち、ほかのクラブと交代しながら練習しなければならなかった。専用の野球場などは、最初からなかったのである。

 片岡は、徹底した守備の練習、そして試合を想定したベースラン。それは、毎夜11時まで続いた。

鍛えた強靭な体力で秋の大会を迎えた。

 ベスト4になり春の選抜 21世紀枠の候補に選ばれた。夏は、ひょっとしたら・・・そんな期待感がひろがった。

 しかし春の大会は、早々と敗退。そして不安を抱えながら夏の大会を迎えた。

 1回戦 市立稲毛戦 延長14回 2対1 ナインの意識が変わる。

 3回戦 大会NO1 真下率いる東海大望洋戦。

 9回表 2対0とリードされ2死ランナー1塁。4番 上条のまさかの起死回生同点ホームラン。やちひがは、生き返る。

 試合後 上条は、みんなに千葉弁まるだしで「次は、負けるべ」。

 この言葉が、準決勝まで続く。決勝戦の朝 上条は、言う。「今日は、負けるべ」。ナインは、爆笑した。

 決勝戦は、八千代東が初回 強攻で4点先制。しかし拓大紅陵もジリジリ追い上げ5回終了後

4対4の同点となった。試合の流れから拓大紅陵が有利だったが、6回以降拓大紅陵が、勝ちを意識しすぎたのと、ほんのわずか八千代東に勝利の女神を引き寄せた。

 甲子園出場が決まった次の日。監督の片岡のもとへ小包みが届いた。

包みをあける。薄汚れた硬球が入っていた。

手に取ってみる。

毛筆で一球入魂、その裏側には、成東高野球部と書かれてあった。

 片岡は、力強く硬球を握った。


(上記は、フィクションである。)