「限りなき夏」                     

     ---- 甲子園の原風景を求めて ----

 梅雨明けはまだだった。だが暑い夏に変わりはない。

 茂原市に長生の森球場ができてから何年になるだろうか?

 夏の全国高等学校野球選手権 千葉大会の試合を今では4試合やるようになった。

 優先的に地元の高校の試合が組まれるため、観客も2,3千人は来る。

 私は、子供のクラスメートが、ベンチ入りしているため試合を観戦にいった。

 球場は、茂原市と長柄町の境くらいにあり、緑に囲まれた素晴らしいスタジアムである。

 黄色い声援の中 選手たちの母親の声も聞こえてくる。おそろいのキャップ、おそろいのTシャツ、おそろいのタオル。

 毎日、毎日、ユニフォームを洗濯し、お弁当を作ってきた親たちにとって2年半頑張った子供たちへ対する想いは、こみ上げてくるものがあるだろう。

 甲子園を目標にする高校もあれば、一戦一戦大事に試合したいという高校もある

 今日の試合は、後者の試合である。

 しかし、親の想いは、変わらない。応援席から強い熱気が伝わってくる。

 試合は、子供が通う高校が勝った。プレーする子供たちと応援席が一体となる高校野球には、感動すら覚える。

 球場をあとにし、午後からは、少年野球の試合を観戦する。

 豊田キッドシャークスと茂原BBMの5年生以下の試合だ。高校野球とは違う、少年野球という名の野球がそこにはある。

 監督の采配も、興味深いものがある。静と動というところか。

 子供たちは、塁間を投げるのもやっとという感じで能力以上の試合をしているような感じだ。応援する親たちの一団が、十数人 両チームみられるが、それは、甲子園でプレーすることを夢見る子供たちの姿を追う親たちなのである。

 観客は、三十数人しかいない試合でも未来へと向かう躍動感あるプレーを見ることができる。あくまで勝利することにこだわる。勝つための強い意識をもち、チームワークが重要な野球を通じて、チームメイトを思いやり、やさしさを身につけ、そして、いつの日かこの子らが、何千、何万人もの観客の前でプレーするときがくるだろう。

 私の今日の試合観戦もこれで終わるはずだった。しかし、もう一試合、今日最後の試合を見ることができたのである。

 私が、サイクリングしながら市民体育館わきの広場の道をゆっくり通り過ぎようとしたときだった。

 小学生3年生と4年生くらいの子供二人とその両親であろうか4人で三角ベースに興じていた。私は、言葉を失った。40年前のころ、近所の仲間たちとよくやった三角ベース。何か遠い昔の風景画を見ているようだった。

 私が今日 観た高校野球とも少年野球とも違う三角ベースという名の野球。これが、甲子園の原風景なのか?

 ただ 勝ち負けだけではなく、家族や仲間たちと楽しむ野球。それが高校野球の原点だろう。

 夏の日の今日 最後にナイスゲームを観ることができた。

 そして私は、40年ちかく前のことを思い出していた。

 雨が降ってきてもやめなかった三角ベース。審判も自分たちでやるものだから、アウト

セーフ、ストライク、ボールでいつももめていた。

 照、三橋、タニ、ガンちゃん、勉、・・・懐かしい仲間たちを思い出す。

 仲間の死・・・

 前の日まで一緒に野球をやっていた先輩 Kちゃんが事故で突然亡くなった。Kちゃんは、野球センスもあり、強いリーダーシップや思いやりや人としてのやさしさをもつ素晴らしい人だった。

 なつかしい思い出と悲しい思い出が交錯する。私に感傷的な気持ちを呼び起こす。

 Kちゃん・・・なぜ?・・・なぜ?先に・・・言葉にならない深い悲しみが私を覆い尽くす。

                          ※

 様々な想いを抱きながら、私の今日の野球観戦も終わりを告げる。「車の誘導をする球児たち」「キップを切る球児たち」「グランド整備をする球児たち」「光り輝く緑の芝や木々たち」「プレーボールの声」「サイレンの音」「ブラバンの応援」「手弁当の審判団」「高野連の役員の人たち」・・・・・高校野球に関わるすべての人、すべての風景、すべてのものに感謝し、ささやかな声援を送り続けたい。

 いつまでも・・・・・
        平成21年夏・・・梅雨明け前・・・
                                              (敬称略)