果たし得ぬ夢 ― 豊田 実 編 ―
松戸健、松井衛(故人)は、言わずとしれた成東高 野球部の全盛時代をつくった二人であるが、もう一人 千葉県中学野球の神様 茂原市立富士見中野球部監督 補手築の松こと松崎勝衛(故人)が指揮していたことを知るものも少なくない。
松崎は、30年以上も富士見中野球部の監督を続け、県大会2度の優勝をし、千葉県中学野球界での名伯楽であった。
その三人の松から薫陶をうけた5人の男たちがいた。
田中和行( 茂原市の富士見中から最初に成東高野球部に入部し、のち甲子園出場時の部長)一つ下でその田中を追い、豊田実、正林富士夫、渡辺雅夫、そして豊田らの2つ下の金沢博之を含めた5人である。
特に豊田は、中学時より関東ナンバー1投手として期待され、鈴木孝政2世といわれ鳴り物入りで成東高へ入学したのである。
1年の夏からベンチ入りしたものの、周囲の期待も大きく、そのため過度の練習がたたり、腰を痛めてしまっていた。
「豊田 甲子園だ」「豊田 頼むぞ、まかせたぞ」そんな声が、枕元で繰り返し繰り返し聞こえてくる。1年生の豊田を苦しめる。
2年の夏も背番号18でベンチ入りしたが、同学年の長島の活躍でほとんど出番がなかった。この夏 準決勝で銚子商に2対1(延長11回敗退)銚子商、甲子園優勝・・・
2年の秋には、4番ファーストとしてレギュラーではあったが、心の中では、「俺も投げたい」そんな気持ちでいっぱいだった。準々決勝 習志野に5対4(延長15回敗退)
習志野 春の選抜出場・・・
そして 最後の夏が来た。
豊田は、去年までとは違う調整の良さだった。今年は、腰もよくなんとか間にあい、エースナンバーを背負う。
2回戦、3回戦と順当に勝ちあがり、4回戦 宿命のライバル 銚子商との試合だ。
それは、早すぎる戦いといえた。
先発は、豊田だった。この日の豊田は、違った。外角に速球が、カーブが、おもしろいように決まった。
5回まで打たれたヒットは、2本。篠塚(のちドラフト巨人1位)、宇野(のちドラフト中日4位)だけだった。
6回 ワンナウトをとり、次のバッター四球。突然 ピッチャー交代の指示。
豊田は、わからなくなっていた。「俺はまだいける。なぜだ?信じられない・・・」
ダッグアウト裏 一人 汗をふく。豊田は、「なぜ、俺が・・・」自問自答した。答えは出てこない。
そして、試合終了まで、ベンチに戻ることはなかった。
試合は、2対1 で敗れる。豊田の高校野球は終わった。またしても銚子商に甲子園をはばまれた。(4年連続)同時にそれは、 名将 松戸健の最後の試合でもあった。
試合後、その後も、豊田は、交代の理由を松戸に聞いていない。
ただ一言、卒業式の日に「豊田、悪かったな・・・」と松戸は、言った。豊田は、何か、先生がまだ言いたいような様子だったのを鮮明に覚えている。
*
また、夏が来る。だが、豊田の心のなかは、あの日、あの夏のままだ。
なぜ、俺が?・・・なぜ、俺を・・・?最後の交代の理由を聞けないまま・・・・
豊田の果たし得ぬ夢は続く。
追記 豊田のいた成東高と対戦した、銚子商、習志野は、全国制覇をしている。
(敬称略)