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●天保元年(1830)
●天保5年(1834)
●天保7年(1836)
●天保8年(1837)
●天保9年(1838)
児島郡味野村の野崎武左衛門が倉敷村の豪商層や児島郡内の豪農層に出資させ、大規模な塩田開発に
着手。
阿賀郡実(さね)村の豪農太田辰五郎が千屋(ちや)牛馬市の開設に成功する。
倉敷代官所が明倫館、心学講舎自省舎を設ける。
天候不順のため大凶作・大飢饉となり餓死者が多数出る。
山田方谷(ほうこく)が松山藩に帰藩。有終館学頭となり、翌年、家塾「牛麓舎」をおこす。
倉敷の小野治右衛門が地域独自の心学読本「教訓古今道しるべ」を刊行。
[緒方洪庵が大坂で医学塾「敵塾」を開く。]