●嘉永2年(1849) 松山藩主板倉勝職(かつもと)、没。勝静(かつきよ)が襲封。 ●嘉永5年(1852) 5月−岡山藩、下津井(倉敷市)に綿会所を設置、繰綿を集中させる。 松山藩で山田方谷(ほうこく)により農兵隊の組織が行われる。 ●嘉永7年(1854) 新見藩、幕府より異国警備御用として江戸藩邸差出しを命じられる。
●嘉永5年(1852) 5月−岡山藩、下津井(倉敷市)に綿会所を設置、繰綿を集中させる。 松山藩で山田方谷(ほうこく)により農兵隊の組織が行われる。
●嘉永7年(1854) 新見藩、幕府より異国警備御用として江戸藩邸差出しを命じられる。