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●天明3年(1783)
●寛政3年(1791)
●寛政7年(1795)
●寛政10年(1798)
●寛政12年(1800)
●享和2年(1802)
奈良奉行所、薬種屋・合薬(あいぐすり)屋株仲間の結成を許可する。
秋里籬島(あきざとりとう)『大和名所図会』を刊行する。
宇智郡五条村に代官所を設け、河尻甚五郎を代官に任命する。
京都代官角倉玄匡(すみのくらはるまさ)、十市郡新賀(しんが)村で吉野川分水計画を発表、
関係する村の役人らに意向を打診する。
郡山藩主柳沢保光、添下郡五条村の陶工を保護し、赤膚焼(あかはだやき)を再興する。
12月15日−柳本(やなぎもと)藩領農民、年貢の軽減を要求して陣屋へ強訴、藩士ら鉄砲で応戦し解散させる。